ラルフ・ローレン(Ralph Lauren, KBE、1939年10月14日 - )、本名:ラルフ・ルーベン・リフシッツ(Ralph Rueben Lifshitz)は、米国ニューヨーク出身のファッションデザイナー、また彼が設立したファッションブランド。
企業としてのラルフ・ローレンは、特に高級スーツやポロシャツなどのメンズウェアでその名を知られ、ブルックス・ブラザーズと並ぶアメリカン・トラディショナル(アメトラ)の代表的存在とされている。通称「ラルフ」、「ポロ」。
オリンピックアメリカ合衆国代表のユニフォームも複数の大会で手掛けている。ジュエリー、時計部門は、リシュモングループの傘下にある。
1939年、ニューヨークのブロンクス区に、ベラルーシ系アシュケナージ・ユダヤ人の移民で家屋塗装業を営むフランク・リフシッツ (Frank Lifshitz) とフレイドル・コトラー (Fraydl Kotlar) の間に生まれた。
ニューヨーク市立大学バルーク校にて2年間ビジネスを学ぶが中退。1962年から1964年までアメリカ陸軍に入隊。除隊後、セールスマンとしてブルックス・ブラザーズに勤務。
1967年、ネクタイメーカーのボー・ボランメル社にデザイナーとして入社。幅広のネクタイをデザインし、若者に支持される。
1968年、ノーマン・ヒルトンの財政的支援のもと独立し、「ポロ・ファツションズ」を設立し、自身のブランド「ポロ (Polo)」をスタート。
1970年と1973年に、服飾業界の名誉ある賞「コティ賞」を受賞。
1971年から婦人服も手がけ始めた。
1974年、映画『華麗なるギャツビー』の主演のロバート・レッドフォードの衣装デザインを担当。
1977年、映画『アニー・ホール』にてヒロインのダイアン・キートンがラルフ・ローレンの衣装を着用し、“アニー・ホール・ルック”として一世を風靡する。
1986年、パリにアメリカ人デザイナー初の路面店をオープン。
1992年、国際ヨットレースで有名なアメリカズカップにスポンサードし、アメリカチームにユニフォームを提供。同年、アメリカのファッションデザイナー協議会で、オードリー・ヘップバーンから功労賞を受賞。
1997年、公開企業となり、ニューヨーク証券取引所に上場。
1999年、ラルフ・ローレンが手掛ける初のレストラン「RL Restaurant」をシカゴにオープン。
ラルフ・ローレン事業部を立上げていた西武百貨店による100%出資で、2002年11月に「株式会社ポロ・ラルフ ローレン ジャパン」が設立(1990年代に存在した同名会社とは別)。代表取締役は檜山俊夫。
2004年10月15日、アメリカのポロ・ラルフ・ローレン・コーポレーション社100%出資による、「ラルフ・ローレン・リテール・ジャパン有限会社」が設立される。同社はラルフ・ローレンの日本直営店や、アウトレットのファクトリーストアを運営。
2006年3月30日、東京・表参道にアジアのフラッグシップストアとなる「ラルフ ローレン表参道(RALPH LAUREN Omotesando)」をオープン。白壁で造られた佇まいから、ブランドファンの間では「ホワイトハウス」の愛称で親しまれるようになった。後に銀座にも路面店を開店。
2007年時点で、ラルフ・ローレンはアメリカ国内に35か所以上のブティックを所有。そのうち23か所ではラルフ・ローレン・パープル・レーベルも扱っていた。
2009年4月、日本でラルフ・ローレンブランドを展開していた株式会社ポロ・ラルフ ローレン ジャパン、ラルフ・ローレン・リテール・ジャパン有限会社、ほかオンワード系等の4社が統合され、「ラルフローレン株式会社」が設立される。(初代代表取締役:エドワード・コール、2014年からの2代目代表取締役:アレッサンドロ・ラニョーロ、3目代表取締役:ジェイ・キンプトン)
同年、広告に起用したモデルの写真に過剰なデジタル修正を施していたことが話題となり、これについて、「女性の体型についての歪んだイメージで写真を修正したことに責任を感じている」との旨の謝罪を行った。問題となった専属モデルはフィリッパ・ハミルトンで、「太りすぎている」との理由からラルフ・ローレンから解雇されていたことも明らかとなっている。
2010年、パリのサンジェルマン=デ=プレにあるラルフ・ローレンショップ内に、レストラン「Ralph's」をオープン。
2012年9月29日、「DENIM & SUPPLY」が原宿のキャットストリートに日本初(世界では2番目)となるフラッグシップストアをオープン。
2013年11月14日、「ラルフ ローレン表参道」に併設されていた「RUGBY RALPH LAUREN CAT STREET」の跡地に、「RRL」の日本初となるフラッグシップストア「RRL表参道」がオープン。
2014年9月、高級ブティックが軒を連ねるニューヨークの5番街に、「POLO RALPH LAUREN(ポロ ラルフ ローレン)」レーベル初のフラッグシップストア「POLO RALPH LAUREN Flag Ship Store(2015年までの名称:Polo by Ralph Lauren Flag Ship Store)」がオープン。その2Fには、ラルフ・ローレンが手掛ける初のカフェ「Ralph's Coffee」も同時オープンした。
2014年9月30日、中国での初のラルフ・ローレンのフラッグシップストアを、香港・銅鑼湾(コーズウェイベイ)にあるショッピングセンター「ザ・リーガーデンズ」内にオープン。
2015年1月9日、ニューヨーク5番街の「Polo by Ralph Lauren Flag Ship Store」に隣接した場所に、レストランBar「THE POLO BAR」をオープン。1階がバー、地下1階がレストラン。看板メニューは「POLO BARバーガー」。
2015年、クリストファー・ピーターソン最高財務責任者 兼 副社長が、グローバル・ブランド・プレジデントに昇格。
2015年11月、創業者のラルフ・ローレンがプレジデント(社長)、およびCEO(最高経営責任者)を退任し、H&M及びオールド・ネイビー出身のステファン・ラーソンが新社長 兼 CEOに就任。これにより、ラルフ・ローレンはエグゼクティブ・チェアマン(常勤の代表取締役会長) 兼 チーフ・クリエイティブ・オフィサーとなる。
2016年6月、アメリカのポロ・ラルフ・ローレン・コーポレーションは1億8000万〜2億2000万ドル(181億〜222億円)の経費節減を図るために、大規模な事業再編を実施。正社員の8%に当たる約1,000人をリストラし、更に米国内の約50店舗を閉鎖することを発表。
2016年9月、「POLO RALPH LAUREN(ポロ ラルフ ローレン)」が、ロンドンのリージェント・ストリートにヨーロッパ初のフラッグシップストアをオープン。
2016年度の英国ファッション協会主催「Fashion Awards(ファッション・アワード)」にて、Outstanding Achievement Award(功労賞)を、会長のラルフ・ローレンが受賞。
2017年2月2日、社長 兼 CEOのステファン・ラーソンが在籍わずか1年半で、同年5月1日付で退任することを発表。創業者であるラルフ・ローレンとの間にクリエイティブ面での対立があったことを説明した。ラーソンは退社に伴い、退職金1000万ドル(約11億2800万円)を受け取るほか、向こう2年間、医療保険の給付を受けることも発表された。
2017年2月16日、 EXILEのAKIRAが、アジア人初となるラルフ・ローレンのアンバサダー、公式イメージモデルに選ばれる。ラルフのヴィンテージの服を着ているAKIRAの自費出版の写真集がラルフ・ローレン会長の目に留まって指名された。
2017年4月4日、アメリカのポロ・ラルフ・ローレン・コーポレーションは前年に続き、人員削減やオフィスの見直しなどを進めて年間1億4千万ドル(約155億円)の経費削減を見込んで、インターネット販売の方を強化するため、ニューヨーク・マンハッタンの中心地「5番街」にあるフラッグシップ路面店を同月15日に閉鎖すると発表。米国を代表する名門ブランドの5番街からの撤退は、米国内で大きく報じられて話題を呼んだ。5番街には、低価格なファストファッションブランドの路面店が次々に現れたことが原因で、価格の高いラルフ・ローレンは業績不振が続いていた。
2017年7月17日付で、社長 兼 CEOに、元「P&G」でブランド事業に25年間携わった経験を持つパトリス・ルーヴェ(Patrice Louvet)が就任。
2017年7月23日、原宿キャットストリートの「DENIM & SUPPLY」のフラッグシップストアが閉店。そして跡地に、「POLO RALPH LAUREN CAT STREET」が同年9月8日にオープン。さらに9月12日には代官山、9月15日には神戸と心斎橋にもPOLO RALPH LAURENの路面店をオープン。
2018年9月7日、ブランド創立50周年記念のショーを、マンハッタンのセントラル・パークにあるベセスダ・テラスにて開催。ヒラリー・クリントン、スティーヴン・スピルバーグ、ロバート・デ・ニーロ、アン・ハサウェイ、シェリル・クロウ、カニエ・ウエストなど、多数の著名人もゲストに迎えた。また、当日行われたファッションショーでは、EXILEのAKIRAもモデルとしてランウェイに参加した。
2018年11月22日、ラルフ ローレン表参道がリニューアルオープン。キッズやベビーの商品を扱うコーナー「ポロ ラルフ ローレン チルドレン」、カスタマイズコーナーの「CYO(Create Your Own)」が新たに加わった他、それまでは店の外で移動車で営業していたカフェ「Ralph's Coffee」が、店内に常設された。
2018年11月、ラルフ・ローレン会長がイギリスの名誉大英帝国勲章「KBE」を受勲することが決定。2019年に行われる叙勲式で、エリザベス女王の代理人から紀章が贈られる。
2018年12月、GENERATIONS from EXILE TRIBEの白濱亜嵐と片寄涼太が、ブルーレーベルのLIMITED EDITION「WINTER STADIUM COLLECTION」の広告モデルを務める。
2019年1月25日、最先端テクノロジーの機能「RL HEAT」が登場。専用のRL HEATアプリでコントロール出来るヒーティングシステムで、ダウンジャケットに搭載。
ブルックリンでDOUBLE RLと店舗が隣り同士という縁から深い親交のあったヘアサロン「LUDLOW BLUNT」とコラボレーションし、2019年3月15日、有楽町・阪急メンズ館7Fにて、DOUBLE RLとLUDLOW BLUNTを併設した店舗「DOUBLE RL WITH LUDLOW BLUNT」がオープンした。
2019年6月10日、京都市中京区河原町通に、CYOカスタムショップも備えた「ポロ ラルフ ローレン 京都BAL」がオープンし、同年7月上旬には「ラルフズ コーヒー」の国内2店舗目も併設でオープンする予定。
ローレンのファッション業界への貢献が認められ、2019年6月、バッキンガム宮殿で行われた非公開の叙勲式において、「名誉最優秀大英帝国勲章 KBE(ナイト・コマンダー)」の名誉ナイト勲章が授与された。アメリカ人のファッションデザイナーが名誉ナイトの称号を授与されるのは初となる。
1968年、リッキー・ロービアと結婚。
ローレン自身は、デザイン画を描くことが苦手だと明かしており、自分はデザイナーではなく自分の持つコンセプトをデザイナーへ提案する人、コンセプターであると称している。
自動車コレクターとして知られ、その膨大かつ希少なコレクションは総額6億ドル以上になると推定されている。なかでもペブルビーチとヴィラ・デステの2大コンクール・デレガンスで優勝を果たした1938年製のブガッティ・タイプ57SCアトランティークは、ローレン自身がおそらく世界で最も美しい車であろうと述べるほど愛好している一台であり、この車からインスパイアを受けた腕時計「オートモーティブ・コレクション」もブランドで展開されている。
アンティークウォッチのコレクターとしても知られており、初期のオフィチーネ・パネライと50年代のカルティエを好んで収集している。
1991年、ラルフ・ローレンは若きデザイナー、マイケル・タピア(Michael Tapia)を採用。翌1992年春には、1920年代〜1930年代のアメリカのスポーツ選手が着用したユニフォームからインスピレーションを得て、夏のバルセロナオリンピックのアメリカ代表チームの公式ユニフォームとしてデザインしたコレクション「STADIUM 1992」を発表。マイケルが次々に手掛ける斬新でスポーティーでカラフルなデザイン(以下の歴代のロゴの★マークを参照)は、それまでのラルフ・ローレンのデザインとは一線を画すものであり、一気にラルフ人気が高まることとなった。 マイケルによるPOPなデザインは他のブランドにも影響を及ぼし、トミー・ヒルフィガー、ノーティカなどが踏襲。中でもトミー・ヒルフィガーは最も影響を受け、マイケルと同じカラーリングを多数模倣した。ジェリー・コスビーも、カーゴパンツのサイドポケットのフラップ部分に、マイケル・タピア考案の「アメリカ国旗入りPOLO SPORTロゴ」のデザインをそのまま引用している。
1990年代以前のアイテムは「VINTAGE POLO」(通称:ヴィンポロ)と呼ばれ、プレミア化している。
家具、雑貨、生活用品など。
数字、アルファベット順。 ★マークはマイケル・タピアによるロゴデザイン。
ラルフ・ローレンの商品だと偽った偽物も世界中に普及しており、特に近年ではビッグポニーロゴの商品に多く見られる。 そういうものは、ポニーの刺繍や、刺繍の裏側が雑であったりする。
なお、タグ部分に「ポロ ラルフ ローレン(株)」、「ラルフ・ローレン・ジャパン」、「オンワード樫山」、「ナイガイ」、「インパクト21」、「パートナー21」、「アクティ21」、「ダーバン」、「市田株式会社」、CHAPS RALPH LAURENの場合には、「全紳連(全日本紳士服工業組合連合会)」、「日登美株式会社」、「トレンザ株式会社」といった日本の代理店名が表記されていれば、正規品だと判断できる材料になる。
しかし、中には代理店名までタグにコピー表記してある悪質な偽物も存在する。但しその場合は代理店名のみの表記であり、住所や電話番号まではタグに表記されていない。偽物の販売店に対する摘発も世界各国で行われており、国や時期によっては一斉検挙活動も実施されている。
また、偽物以外にも、ラルフ・ローレンの商品によく似ていて仲間かと混同されがちなブランドが、以下の様に複数存在するが(アルファベット順)、いずれもラルフ・ローレンとは全く関係が無い。
ロー・ライフ。「Lauren Life」を意味し、ラルフ・ローレンの衣類を熱狂的に愛好し、全身の95%以上をラルフでコーディネートする集団の通称。正式名は「The Lo-Lifes」。ブルックリン区のSt John’s地域の住人による「United Shoplifters Association」(通称:Polo U.S.A.、別名:Polo Cliques)と、同じくブルックリンのMarcus Garvey Villageというアパートの住人による「Ralphie's Kids」(別名:Get Money Crew)と呼ばれた2つの窃盗集団が1つになり、1988年に発足。創設者はRack-Lo。
ラルフ・ローレンを「流行り」ではなく「生活」の一部としており、レアなアイテムの披露会、交換会、ベストドレッサー選考会などを行っている。体にポニーロゴやLO LIFEロゴなどのタトゥーを入れている者も居る。
彼らが所有するアイテムの多くは、1980年代~1990年代前半のアメリカにて、高額なラルフ・ローレンの商品を買えなかった若者たちが、メイシーズ(MACY'S)をはじめとする百貨店で万引きを繰り返していた当時に入手されたものである。ローライフの面々は、盗んだ衣類を売り払ったり、戦利品と称して自ら着用していた。これがきっかけで、ラルフ・ローレンというブランドがアメリカの若者の間で注目されるようになった。ローライフの存在が無ければ、ラルフ・ローレンがストリートカルチャーでこれほどまでに流行る事は無かったと言われている。
ローライフはその後、服を寄付するチャリティイベントなどを行う社会団体として活動するようになった。
2005年公開の映画『JUST FOR KICKS』にも、LO LIFEのアメリカ白人男性が出演している他、ニューヨークのヒップホップクルー「Timeless Truth」の面々もLO LIFEを売りにしている。 また、日本にもLO LIFEの支部があり、アメリカからラルフ・ローレンのアイテムを持ち帰って来て活動している。
2016年、ラルフ・ローレンにインスパイアされたデザインを施したLO LIFEのオリジナルブランドをスタート。
2019年1月19日にタイムズスクエアで開催されたRACK LO主催のポロファッションバトル「LO GOOSE ON THE DEUCE」では、頭からつま先までのコーディネート部門「Head to Toe」に、日本からモーターサイクルクラブ「Urban Ryders M.C.」の代表・Yu-tangが参戦。自身のバックボーンであるモータースポーツをテーマにしたコーディネートで、日本人初となる優勝を果たした。
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