小田急電鉄株式会社(おだきゅうでんてつ、英: Odakyu Electric Railway Co., Ltd.)は、日本の大手私鉄の一つで、東京都・神奈川県を中心に鉄道事業・不動産業などを営む会社である。略称は小田急(おだきゅう)で、小田急グループの中核企業である。
1949年5月に東京証券取引所一部上場。日経225(日経平均株価)の構成銘柄の一社である。
1923年(大正12年)5月1日に旧会社である小田原急行鉄道が設立され、1941年(昭和16年)に親会社の鬼怒川水力電気がこれを合併して小田急電鉄となった。第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)5月1日に東京急行電鉄(いわゆる大東急)に統合されたが、戦後の1948年(昭和23年)、東京急行電鉄の再編成により、東京急行電鉄(現在の東急電鉄)、京浜急行電鉄(京急)、京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)および新会社の小田急電鉄の4社に分離されて発足した。
新宿駅 - 小田原駅間を結ぶ小田原線など3路線・120.5 km(営業キロ)、計70駅を運営している。グループ企業が運行する小田急箱根鉄道線のほか、東京メトロ千代田線などにも乗り入れ、首都圏鉄道ネットワークの一角をなしている。鉄軌道部門収益は1211億500万円で大手私鉄16社中5位であり、全事業収益に占める鉄軌道部門収益の割合は70.4%となっている(2020年3月31日時点)。グループ企業には、運輸、流通、不動産、ホテルなど94社ある(2020年8月1日現在)。小田急ポイントサービスの加盟店舗である。
グループ力を生かして2019年(令和元年)にMobility as a Service (MaaS) 事業にも進出し、そのためのモバイルアプリケーション「EMot」(エモット)を導入。2020年 - 2021年の新型コロナウイルス感染症による鉄道乗客減少への対応も兼ねて、EMotを使ったグループ・沿線の飲食・食品店でのサブスクリプション(定額制)による収益拡大を図っている。
小田急グループの経営理念は『小田急グループは、お客さまの「かけがえのない時間(とき)」と「ゆたかなくらし」の実現に貢献します。』である。社会に対して事業を通じて果たすべき役割・責任や、企業市民として社会に存在する意義を表している。
社紋は1948年(昭和23年)に制定された。小田急の「小」を図案化したもので、中央の「工」は鉄道の象徴であるレール断面を、周囲の円は社内の輪を象徴している。
ブランドマークは2008年(平成20年)より使用を開始している。作成したのはランドーアソシエイツ。ロゴマークはアルファベットのOを図案化したマーク()と、小文字の「odakyu」ロゴの組み合わせで、「豊かな沿線環境のもとに、自然・歴史・都市文化の新しい融合、豊かな生活の創造、より多くの上質と感動を提供していく小田急グループ」を表現している。ブランドマークはodakyuとだけ記される「グループブランドマーク」、odakyuの下にELECTRIC RAILWAYと記される「コーポレートブランドマーク」、odakyuの下にGROUPと記される「グループ表示マーク」の3種類がある。
ブランドマークは導入とともに特急車両・一般車両にも掲出されている。従前から一般車両に付けられている「OER」の略称プレートも存置されたが、4000形以降の車両やリニューアル車両では省略している。
かつては、小田急ロマンスカーのエンブレムとして1700形から採用された「OER」の飾り文字と神奈川県の県花であるヤマユリの花を合わせたイラストデカールが3100形(NSE)・7000形(LSE)・10000形(HiSE)・20000形(RSE)の車内の自動ドアに貼付されていた。また、LSE(リニューアル車のみ)・HiSE・RSEには車体側面にも貼付されていた。
戦前の小田急は、星亨の側近利光鶴松が経営した電力資本・鬼怒川水力電気を親会社としていた。同社は明治43年(1910年)に資本金1350万円で設立された会社で、取締役社長に利光鶴松、専務取締役に小林清一郎、常務取締役に大塚常次郎が就き、取締役には後藤勝造、吉田幸作、藤江章夫、岩下清周、大田黒重五郎、安藤保太郎、渡辺亨、監査役に平沼専蔵、白杉政愛、木村省吾、須田宣が名を連ねた。
利光は郊外鉄道の将来性に着目し、東京市内の地下鉄網「東京高速鉄道」、山手線を外周する「東京山手急行電鉄」、城西地区の開発を目的とした「渋谷急行電鉄」などを次々と企画した。結局、実現したのは小田急線と井の頭線(渋谷急行計画の後身)だけであったが、東京高速鉄道は後に五島慶太らの手により実現した。
電力国家管理に伴う日本発送電への統合で、基幹事業の電力部門を奪われた鬼怒川水力電気は小田急を合併して電鉄会社となったが、中国・山東半島での鉱業に乗り出したのが裏目に出て同社の経営を圧迫した。そのため、利光は一切の事業を東京横浜電鉄の五島に移譲し、吸収合併されて東京急行電鉄(いわゆる大東急)となった。このため企業乗っ取りの歴史である大東急形成の中で、小田急だけは事情が異なるのだが、大東急解体の旗頭となったのは旧小田急関係者であった。
新生小田急は1948年6月、東京急行電鉄(東急)から6635万1000円で事業を譲り受けて発足した。この時、井の頭線は東急から京王帝都電鉄(現・京王電鉄)に移管され分離したが、その代わりに戦前は無関係であった箱根登山鉄道(現・小田急箱根)と元来は東京横浜電鉄の関連会社であった神奈川中央交通を東急から譲受して系列会社とした。また、やはり戦前は無関係だった江ノ島電鉄の持株の一部も東急から譲受し、後に買い増しを行い系列下に収めている。
他方で1951年には、東急の五島の指示で相模鉄道の株を大量に買い増して、筆頭株主(持株比率 約30%)になるという事象も発生した。相模鉄道が株式の第三者割り当てによる敵対的買収の阻止を行ったため、買収に至ることはなかった。また相模鉄道は公正取引委員会に審査を申し立て、1951年(昭和26年)9月12日に「小田急電鉄が相模鉄道の株を買い占める行為は、はなはだしく競争を制限する行為であるため、小田急が所有する相鉄の株式をただちに放出しなければならない。」という趣旨の裁定が下された。また10月には事態収拾のために国鉄総裁の長崎惣之助が仲裁に乗り出し、長崎と相模鉄道・小田急電鉄の3者間で、3カ条の覚書が交わされ、手打ちとなった。これら経緯から、今でも小田急は相模鉄道の純粋持株会社である相鉄ホールディングスの大株主となっている。その後、徐々に株式の売却を進め、2021年(令和3年)3月12日の株式の売却により筆頭株主から外れ、2022年3月時点の持株比率は4.39%(約430万株)となっている。小田急自身も相模鉄道を関連企業とはみなしていないことから、一般に相模鉄道は小田急グループには含まれていない。
近年、犬猿の仲と称された西武鉄道と営業資産の協力関係、共通商品の開発に乗り出して功を奏している。箱根地区を巡る西武鉄道グループとの確執については「箱根山戦争」の項を参照。
各ダイヤ改正の詳細は「小田急電鉄のダイヤ改正」を、下記年表にある車両基地等の新設・廃止は「小田急電鉄の車両検修施設」をそれぞれ参照。
小田急電鉄は以下の路線を営業している。小田急が営業している以下の路線、特に本線である小田原線は「小田急線」と呼ばれる。
過去には以下の路線を営業していた。
また、他の鉄道路線との連絡線として「その他の営業線」で述べる松田連絡線を保有しているほか、過去には「その他の廃止線」で挙げる連絡線を保有していた。
東京都新宿区の新宿駅から神奈川県小田原市の小田原駅までを結ぶ路線である。1927年(昭和2年)4月1日に全線開通した。東京圏の通勤路線としての性格と、有料特急ロマンスカーをはじめとする小田原・箱根方面への観光輸送の両面を持つ。
東京都区部やそれに近接する都下多摩地域・神奈川県東部を通る区間を中心にラッシュ時は混雑する。そのため、代々木上原駅 - 登戸駅間は輸送力増強および踏切解消のため連続立体交差化・複々線化事業が実施された。
若者の街として著名な下北沢、沿線有数の高級住宅街を擁する成城、大規模な住宅地および多摩地域有数の大規模繁華街を擁する町田、江ノ島線との交点であり運行の要所である相模大野、ベッドタウンとして発展している海老名市、県央地域最大の物流・産業拠点で厚木都市圏を形成している厚木市、東京都心部から行きやすく、登山者が多い大山・丹沢のある伊勢原市・秦野市や、海に面する歴史に満ちた城下町小田原を結ぶ、小田急を代表する路線である。
東京メトロ千代田線およびJR東日本常磐緩行線(常磐線各駅停車)と相互直通運転を行っており、小田急の車両は代々木上原駅から東京メトロ北綾瀬駅まで、さらに途中の綾瀬駅からJR常磐緩行線に乗り入れて、千葉県の松戸駅・柏駅・我孫子駅、茨城県の取手駅にまで足を伸ばす。2016年(平成28年)3月25日までは、小田急の車両は綾瀬駅までの運転で、東京メトロの車両のみが取手駅方面から千代田線・小田原線を経て多摩線唐木田駅へ直通運転されていたが、同年3月26日からは、小田急・東京メトロ・JR東日本の所属を問わず、関係する全ての車両(60000形およびJR東日本の209系1000番台を除く)が、小田急線・千代田線・常磐緩行線を通し運転するようになった。これにより小田急の車両が千葉県東葛地域や茨城県南地域に乗り入れることになった。
また、小田原駅から小田急箱根鉄道線(箱根登山電車)の箱根湯本駅まで特急ロマンスカーおよび一部の各駅停車(上りのみ)が乗り入れている。2008年(平成20年)3月15日のダイヤ改正以前は急行・準急列車も同線へ乗り入れていた。
特急「ふじさん」は新松田駅 - 松田駅間の連絡線(新松田駅の少し渋沢駅寄りにある)を経由して東海旅客鉄道(JR東海)御殿場線御殿場駅まで直通運転を行っている。2018年(平成30年)3月16日までは「あさぎり」の愛称で運転されていた。1991年(平成3年)3月16日から2012年(平成24年)3月16日まではJR東海、小田急電鉄の双方の車両を使用して新宿駅 - 沼津駅間で運転されていたが、同年3月17日のダイヤ改正以降は、運転区間が新宿駅 - 御殿場駅間に短縮され、小田急電鉄の車両60000形「MSE」での運転となった。なお、関東地方の私鉄では唯一、営業路線がJR2社(JR東日本・JR東海)の在来線管内の駅を直接結んでおり、乗り換えることができる(JR東日本の新宿駅、登戸駅、町田駅、厚木駅や小田原駅とJR東海松田駅で、松田駅に関しては小田急は新松田駅)。そして日本全体の私鉄路線でも自社車両が異なるJR2社に直接車両が乗り入れるのも本路線が唯一である。
神奈川県相模原市の相模大野駅から神奈川県藤沢市の片瀬江ノ島駅間を結ぶ路線である。正確には相模大野駅から小田原駅方の地点に小田原線との分岐点「相模大野分岐点」があり、これが運賃計算に反映されている。途中の藤沢駅は線形の都合上スイッチバック構造となっている。小田原線が開業して2年後の1929年(昭和4年)4月1日に全線開通した。
小田原線新宿駅・町田駅などから直通列車が運行されており、新宿駅から特急ロマンスカーのほか、快速急行が日中、毎時3本ほど運行されている。
神奈川県川崎市の新百合ヶ丘駅と東京都多摩市の唐木田駅を結ぶ路線である。東京メトロ千代田線と併せて東京都の都市計画9号線を実現する。
多摩ニュータウンへの連絡鉄道として建設された経緯がある。途中の小田急多摩センター駅まで開業した当時、そこより先を橋本駅まで京王相模原線と併走する計画であったが、京王相模原線と競合することや単純に旅客需要が見込めないことから取り下げ、唐木田駅を開業させ、併せて喜多見検車区唐木田出張所(唐木田車庫)を開設した。
今後は相模原市と東京都町田市が主導するかたちでJR横浜線相模原駅を経由してJR相模線上溝駅方面への延長も計画されており、相模原駅延伸への前提となる在日米軍相模総合補給廠の一部返還が事実上内定したことから実現されるかどうか注目されている。
開業当初から2002年(平成14年)までは線内折り返しがほとんどだったが、2018年(平成30年)3月17日現在は新宿直通の急行が日中に毎時3本運転されている。また、このほかに線内折り返しの各停が毎時6本運転されており、同線では最低でも毎時9本が確保されている。
急行は多摩線内では栗平駅、小田急永山駅、小田急多摩センター駅、唐木田駅に停車する。なお、以前は平日の夜間には新宿駅・北千住駅 - 唐木田駅間のロマンスカーホームウェイ・メトロホームウェイなども見られた(3本)が、2016年(平成28年)3月25日をもって多摩線内のロマンスカーの営業を終了した。2018年3月17日のダイヤ改正では、多摩急行、準急、千代田線直通の急行の廃止で、千代田線からの直通列車が下り1本のみに削減された。
JR御殿場線へ直通運転するために、小田原線新松田駅付近から御殿場線松田駅へ向かう単線の連絡線(通称「松田連絡線」)が存在する。定期列車では特急「ふじさん」が使用する。小田急の乗務員は松田駅到着まで乗務する。
小田急や小田原駅で接続する小田急箱根と車両メーカーとの車両授受もこの連絡線を使用する(1994年(平成6年)より前までは小田原駅で行っていた)。車両メーカーとの甲種鉄道車両輸送はJR東海の御殿場線を経由して行われ、日本貨物鉄道(JR貨物)が機関車・運転士共に担当する。連絡線は小田急電鉄に属するため、JR貨物の運転士の運転は松田駅到着までであり、松田駅で小田急の運転士に交代する。列車は、そのまま連絡線を通って新松田駅まで運転を行い、機関車を切り離し単機で松田駅に戻る。小田急の運転士はこの連絡線運転のため、JR貨物で電気機関車EF65の訓練を受けており、運転の頻度は多くないものの、輸送に対応する必要に応じて2017年(平成29年)時点で小田急の全運転士の約4%にあたる23名が資格を保有している。
小田原線の向ヶ丘遊園駅から向ヶ丘遊園の近くの向ヶ丘遊園正門駅までの間1.1 kmを結んでいたモノレール路線。それまでの豆電車に代わって1966年(昭和41年)に開業した。独立した運賃体系となっていたほか、日本では数少ないロッキード式モノレールだった。
向ヶ丘遊園へのアクセス路線として機能していたが、2000年(平成12年)2月13日から行われた定期検査時にモノレールの台車に疲労亀裂があることが判明したため、運転再開が見送られた。改修費用の問題および遊園地の利用客減少に伴い2001年(平成13年)2月1日に正式廃止となり、向ヶ丘遊園自体も翌2002年(平成14年)3月いっぱいで閉園した(バラ苑のみ川崎市の管理で存続)。モノレールの各施設は全て撤去されたが、川崎市により廃線跡地の遊歩道整備などが行われた。
2006年以降のダイヤ改正は小田原線・多摩線が東京メトロ千代田線およびJR東日本の常磐緩行線(常磐線各駅停車)と相互直通運転を行い、小田原線の特急「ふじさん」が渋沢 - 松田間の連絡線経由でJR東海の御殿場線と直通運転を行っている関係で、一部の例外を除きJRグループのダイヤ改正と同じ日程で行われている。ただし2007年・2011年は実施されず、2010年は一部列車のダイヤ修正に留まっている。2012年にはロマンスカーの使用車両および運行系統・停車駅の変更などが大きく、JRグループのダイヤ改正と同日の3月17日に3年ぶりの大規模なダイヤ改正が実施された。
現有路線の節で述べた通り、2016年3月26日のダイヤ改正では、それまで千代田線綾瀬駅までの乗り入れであった小田急の車両もJR常磐緩行線への乗り入れが開始された。小田急の車両は自社路線のある東京都や神奈川県のほか、JR御殿場線への乗り入れで静岡県にも入っているが、同日より常磐緩行線への乗り入れで千葉県や、山梨県を除く関東地方で唯一大手私鉄の路線が存在せず、乗り入れてくる大手私鉄の車両もこれまで東京メトロのみであった茨城県南地域にも入るようになり、また小田急は複数のJRグループの会社の路線に乗り入れる大手私鉄となった(これにより小田急の車両は茨城県から静岡県までの広範囲で走行することとなった)。
小田急電鉄では、「ロマンスカー」と総称して呼ばれる有料特急列車を運行しており、系統・種類に応じて下記の愛称がある。全列車とも全座席指定で運行される。大手私鉄では近畿日本鉄道の「近鉄特急」と並ぶ看板列車であり、使用車両にブルーリボン賞受賞車が多い。
2008年3月15日からの東京メトロ千代田線乗り入れ開始に伴い次の愛称が登場した。同時に新設された後述のベイリゾート号以外は全て頭に「メトロ」がつく。これらはすべて60000形MSEにより運転される。
2018年3月17日のダイヤ改正で、次の愛称が新設された。
運行日が限定される列車
小田急電鉄の場合、2600形までの通勤形車両については制御装置等の英字による略称を内部用語として用いることがあり、趣味的にも流用される。また、その延長で3000形 (初代)に"Super Express(Car)"の略称である「SE」の通称を与え、以降特急形車両については内部または公募で愛称・略称が与えられている。前者は全電動車式高性能車の問題を、後者は小田急ロマンスカーを参照されたい。なお、京浜急行電鉄、京成電鉄や東京都交通局、名古屋市交通局、および阪神電気鉄道の昭和50年代までに落成した車両などと同様に「○○系(けい)」ではなく「○○形(がた)」と呼称される。また、特急形・通勤形とも固定編成を前提とした機器構成がなされているので、原則として編成替えは行われない。
技術面での評価は高く、1957年には3000形「SE車」が東海道本線にて当時の狭軌鉄道での最高速度世界記録 (145 km/h) を樹立した。その他、ブルーリボン賞、ローレル賞などの鉄道関係の賞を数多く受賞していた。しかし、近年では通勤形車両のみならず、特急形車両でも他社で実績のある技術や工法を多く取り入れ、50000形VSEを除いて独自性はない。
車両の製造メーカーは特急形が日本車輌製造と川崎重工業、通勤形は前記の2社と総合車両製作所横浜事業所(および前経営者の東急車輛製造)であったが、50000形VSE以降の特急形は日本車輌製造のみ、4000形(2代)は総合車両製作所横浜事業所(および東急車輛製造)とJR東日本新津車両製作所(現・総合車両製作所新津事業所)で製造している。車両更新・改修は車両製造メーカーまたはグループ企業の小田急エンジニアリング(過去には小田急車両工業)で施工される。制御装置の製造メーカーは60000形「MSE」までの特急形が東芝(現・東芝インフラシステムズ)、通勤形と70000形「GSE」・EXEαの特急形は三菱電機と分けられている。
火災防止のため、全ての通勤形車両で車両間にある仕切扉のドアストッパーを撤去した。また、在籍する営業用車両の集電装置は全てシングルアーム式パンタグラフを搭載している。これは大手私鉄では初めてである。
台車については、開業以来一部(ロマンスカー3000形SE車、国鉄タイプの1800形、旧型車の機器を流用した4000形 (初代)ほか)を除いて長い間住友金属工業(現・日本製鉄)製のもの(特に2200形から1000形までの新造通勤用車両やロマンスカー7000・10000・20000形はリンク式の一種であるアルストムリンク式と呼ばれる構造)が採用されていたが、ロマンスカーの50000形VSE以降は日本車輌製造製に、通勤用の3000形以降は東急車輛製造(→総合車両製作所)製に切り換えられている。ただし、新5000形は日車製のNS台車が採用されている。
2001年(平成13年)1月15日に「小田急研修センター(動力車操縦者養成所)」を開所した。鉄道係員養成のほか、グループ会社合同の研修で使用される。
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満の端数は切り上げ、小児のICカード利用時は一律50円)。鉄道駅バリアフリー料金制度による料金10円の加算を含む(小児IC運賃は対象外)。2023年(令和5年)3月18日改定。
大人料金(小児半額・10円未満の端数は切り上げ)。2022年10月1日改定。単位円。
小田急は沿線に、箱根や江の島・鎌倉、丹沢・大山、伊豆といった有名観光地があり、観光客向けに「フリーパス」や「クーポン」を発売している。
一部のものは相模鉄道・西武鉄道でも販売しているので、両鉄道の各駅からも利用できる。
かつては西伊豆フリーパス、中伊豆フリーパス、南伊豆フリーパスも発売していた。
かつては箱根ベゴニア園・ひめしゃらの湯のクーポン、箱根ホテル小涌園 湯ったりクーポンも発売していた。
かつては足柄古道・万葉ハイキングパスも発売していた。
かつては御殿場往復割引きっぷ、小田急・世田谷線散策きっぷも発売していた。
2021年現在、駅構内の自動放送は上りホームを関根正明、下りホームを緒方智美が担当している。ただし、以下の駅は例外である。
車内自動放送は、日本語を西村文江、英語をクリステル・チアリが担当している。なお2018年3月17日のダイヤ改正時からは、新たに駅番号と次の停車駅の案内のパーツが追加されている。
鉄道事業者としては初めて「早期地震警報システム」を導入し、2006年8月1日に気象庁が特定事業者に向けて提供する高度利用者向け緊急地震速報の配信開始にあわせて運用している。
デジタル信号を用いた自動列車停止装置のD-ATS-Pを全線で使用している。D-ATS-Pは2012年3月に多摩線で導入し、以後、各線で導入が進められ、2015年9月12日に全線で導入が完了した。D-ATS-P導入前は変周式の自動列車停止装置 (OM-ATS) が全線で使用されていた。
小田急線内にある230余の全踏切に監視カメラ・集音マイク・スピーカーを設置(立体化によって廃止された踏切9個には監視カメラのみ設置)し、運輸司令所と隣接している電気司令所にて踏切の各動作(遮断機の動作、異常発生時の機器の状況)を監視するもので、踏切支障時の迅速な対応が可能になる。2005年から導入が始まり、2008年12月に全線で導入を完了した。
公式サイト、関東交通広告協議会および『東京都統計年鑑』『神奈川県統計要覧』より。
は、右欄の乗降人員と比較して増()、減()を表す。
小田原線のターミナル駅である新宿駅の一日平均乗降人員は約31万人であるが、京王線新宿駅と比較すると19万人程度少ない。しかし、新宿駅の南側に位置する代々木上原駅で東京メトロ千代田線への相互直通運転を行っており、都心方面への利便性と輸送の冗長性に寄与している。同駅の一日平均乗降人員は約19万人であり、近年は増加傾向が続いている。
乗降人員が10万人を超える6駅は全て快速急行が停車する。特に横浜線と接続する町田駅は、新宿駅から30km程度離れているのにも関わらず一日平均乗降人員は約20万人であり、他の私鉄路線と比較しても突出して輸送人員が全体的に多い。また新宿駅から45km程度離れた本厚木駅は、他路線と接続しない単独駅でありながら一日平均乗降人員が10万人に近い。小田原線はこれらの主要駅を利用する乗客を捌くために、優等列車を基軸としたダイヤが終日にわたって組まれている。朝のラッシュ時に運転される通勤急行は、登戸駅を通過する代わりに成城学園前駅に停車する千鳥停車を行い、快速急行に乗客が集中しないようなダイヤが組まれている。
江ノ島線で最も乗降人員が多い駅は藤沢駅であり、一日平均乗降人員は約12万人である。路線距離に対して比較的接続路線が多く、同駅と相模大野駅、大和駅、中央林間駅、湘南台駅の5駅は乗降人員が6万人を超えている。
多摩ニュータウンへのアクセス路線である多摩線は、他2路線と比較して輸送量が少ない。都心方面へは京王相模原線と競合しており、多摩急行の新設を機に小田原線への直通列車を増発した。輸送人員は年々増加傾向にあるものの、小田急多摩センター駅の乗降人員は京王多摩センター駅の6割程度である。
有価証券報告書によれば、労働組合の状況は以下の通り。
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