1964年の阪神タイガース(1964ねんのはんしんタイガース)では、1964年の阪神タイガースの動向をまとめる。
この年の阪神タイガースは、シーズン途中で就任をした1961年を含めて、藤本定義監督の4年目のシーズンである。
前年優勝を逃したチームは小山正明を放出してまで大毎の4番・山内一弘を獲得。投手陣は村山実に加えて3年目のジーン・バッキーがこの年からローテに入り、また捕手陣でも山本哲也や福塚勝哉に代わって前年入団の辻佳紀がレギュラーを獲得するなど、世代交代に成功したチームは1962年同様大洋との首位争いをペナント終盤まで展開。9月16日のダブルヘッダー第一試合終了時点で首位大洋に4.5ゲーム差をつけられ大洋の4年ぶり優勝が秒読みと言われたが(残り試合阪神9、大洋8)、9月20日の川崎球場での大洋との直接対決ダブルヘッダーで連敗でもすれば大洋の優勝が決まる中で連勝し、次の9月26日の甲子園での直接対決ダブルヘッダーでも1敗か2分でもすれば大洋の優勝が決まる中で連勝して大洋は全日程終了、残り3試合で2勝か1勝2分以上で優勝が決まる中、最初の2試合で勝ち切り9月30日の甲子園での中日戦(ダブルヘッダー第1試合)で2年ぶりのリーグ優勝が決定。チーム80勝のうち、村山とバッキーの2人で51勝を上げた(村山22勝、バッキー29勝)。 この年の日本シリーズは南海との対決となり第5戦に勝って一度は王手をかけるものの、甲子園に戻った第6戦以降打線が無得点に終わり、最終的には南海のエースジョー・スタンカの前に打線が封じられ3勝4敗で敗れ、山内や吉田義男などの奮闘もむなしく日本一を逃した。この年のシーズン途中、後に先発2番手として1970年代以降のチームを支える古沢憲司が16歳で入団し、プロ入り後即初登板を果たして一躍注目を浴びた。
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
※日付の後の(a)はダブルヘッダー第1試合(b)はダブルヘッダー第2試合
※セーブ制度は1974年から
※色付きは規定投球回数(140イニング)以上の選手
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou