天野 鍜助(あまの かすけ、1883年4月24日 - 1966年3月19日)は、日本の沖縄県の教育者、政治家である。長男は琉球政府の農業技術者の天野鉄夫である。
大宜味村に生まれる。1903年(明治36年)、沖縄県師範学校を卒業し、具志川尋常高等小学校の訓導となる。1911年に訓導を退職し、大宜味村村会議員をつとめたたが、1914年に教職に就き、辺野喜小学校や古宇利小学校の校長を務めた。
1920年に、初の民選として大宜味村の村長に当選し、以後、3期務める。しかし、1931年(昭和6年)、大宜味村政革新運動が起き、村の経営について批判を受け、6月には、辞職要求を突きつけられた。
翌1932年(昭和7年)6月に議会で辞任を表明した。しかし、同年の大宜味村の村会議員選挙に立候補して、当選した。1933年(昭和9年)、沖縄県議会議員に当選する。
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