1991年の読売ジャイアンツ(1991ねんのよみうりジャイアンツ)では、1991年の読売ジャイアンツの動向をまとめる。
この年の読売ジャイアンツは、2回目の藤田元司監督体制の3年目(通算6年目)のシーズンである。
前年2位広島に22ゲーム差をつけてペナントレースを独走し優勝しながら、日本シリーズで西武を相手に1勝もできず敗退した影響が残ったままシーズンを迎えることになったが3年目の藤田監督はこのシーズンのテーマを「選手の自主性」と定めて西武野球との差を埋めようとしたものの、リーグ内では従来のチーム戦略を踏襲するものとなった。しかしその結果、前年の日本シリーズで露呈した弱点がこの年現れることとなった。野手陣では新外国人のフィル・ブラッドリーが一定の成績を収め、原辰徳・駒田徳広なども奮闘するが打線の繋がりに欠いた。また守備面でのエラーで決勝点を奪われる試合が多く、失策数も前年48個だったのが76個だった。さらに、チーム盗塁阻止率も正捕手の村田真一の弱肩や中尾孝義の衰えもあってこの年.156で2年連続12球団ワーストを記録し、なかでも8月13日の大洋戦では8盗塁を許す惨状であった。投手陣も前年ほどの安定感はなく、先発陣は孤軍奮闘の桑田真澄を除いて斎藤雅樹、槙原寛己、木田優夫らが軒並み不調でチーム防御率が3.72へ低下し、桑田と香田勲男以外は貯金を作れず(香田も貯金は1つだけ)前年80勝を挙げた6人での合計は56勝に終わる。最後はヤクルトとの3位争いに敗れて1979年以来12年ぶりのBクラスとなる4位に転落した。カード別成績では最下位の阪神に19勝7敗と大きく勝ち越した以外は貯金を増やせず、5位の大洋には13勝13敗と苦戦した(2桁セーブを記録している投手がいるチームに勝ち越しできずストッパーが固定されてない阪神にしかシーズン勝ち越しできなかった)。シーズン終了後、藤田監督の腹心だった近藤昭仁ヘッドコーチ・松原誠打撃コーチが解任された。ブラッドリーもチームになじめず、シーズン終了後に退団した。
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