大開(おおひらき)は、大阪府大阪市福島区にある町名。現行行政地名は大開一丁目から大開四丁目。
町内に野田阪神駅前通商店街と野田阪神本通商店街の2つの商店街を持ち、特に後者は昔ながらの商店が多いが、近年一般住宅への建て替えが進んでいる。「おおびらき」と発音されることがあるが、正しくは「おおひらき」である。また、福島区内で唯一の高等学校である西野田工科高等学校が存在する。
パナソニック(旧:松下電気器具製作所)創業の地であり、大開公園内に松下幸之助創業の記念碑が建立されている。地元有志により毎年4月に「ふじまつり」、11月に「ぜんざいパーティー」が同公園で行われている。
大阪市福島区北西部に位置する。東は海老江、南東は吉野に接する。また、北は淀川に面している。最寄駅は阪神電気鉄道の本社に隣接する阪神電気鉄道阪神本線野田駅 (阪神)であり、なにわ淀川花火大会の時期は多くの観光客により混雑する。
大阪市福島区役所が発行する「わがまち福島区」によると、近代以前はほぼ全域が西成郡野田村の田地であり、聖天川が南の境界になった人家の全くない小河川が曲流する田園地帯であった。中津川が村域の西の境界となり、その南西にあった島は、鼠(ねずみ)島と呼ばれていた。1897年(明治30年)に野田村は大阪市に編入され、大阪市北区西成野田となる。1900年(明治33年)の大字改編により21町に細分され、西野田大開町の町名が誕生。1905年(明治38年)の阪神電車の開通や、1909年(明治42年)に開校した職工学校(現:西野田工科高等学校)を核にして、その後は工場も含みながら著しく市街地化が進み、市電も開通して交通の便が向上したことで、聖天川は埋め立てられ、西側の中津川方面には大工場が林立した。大正14年(1925年)に此花区へ所属変更の上、「西野田」の冠称を廃止。昭和18年(1943年)に福島区へ所属変更。昭和50年(1975年)に住居表示を実施し現在に至る。
元々茶畑であった所を西野田工科高等学校の開設に伴い新たに周辺を切り開いたことから大開と名付けられたとされる。野田村の小字名として大正14年まで西野田大開町と称した。
2019年(平成31年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである。
1918年に、大開二丁目でパナソニックグループの源流となる『松下電気器具製作所』(法人としては現在のパナソニックホールディングス)が創立。当時、松下幸之助は23歳。妻むめのと後の三洋電機創業者である義弟井植歳男の3人での操業開始であったが、一般家庭への電化製品の普及と共に、急速に業容を拡大し、1922年には同町内に100坪余りの新工場(第一次本店・工場)を竣工、その後1925年に大開三丁目にランプ工場を建設、1929年にも第二次本店・工場を竣工した(同跡地は後に大開公園として整備され、松下幸之助創業の記念碑が2004年に建立された)。松下電気器具製作所は1933年、大阪府北河内郡門真村(現:門真市)に大規模な工場を建設し大開から移転、1935年に商号を『松下電器産業株式会社』に改称した。
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