小島 一慶(こじま いっけい、1944年〈昭和19年〉10月2日 - 2020年〈令和2年〉4月23日)は、日本のフリーアナウンサー。元TBSアナウンサー、司会者。俳人(「玉藻」同人)。
本名の漢字表記は同じだが、名前の読みは「かずよし」である。長崎県長崎市出身。
母子家庭育ちで、本人曰く「貧しかった」。一家には、旅回りの役者だった祖父、博打打ちで「明烏のおはつ」と呼ばれていた祖母もいた。祖父が時折酒乱で暴れていたことから母は耐えられず別居して、子供のころの小島も身に危険を感じると母の元へ逃げ込んでいたということもあった。
幼稚園時代から演劇に熱中するようになり、また浪曲が好きで、子供の頃は浪曲師か役者になりたいと思っていた。中学入学後はすぐに演劇部に入部、長崎県立長崎東高等学校に在学していた高校生時代も部活は演劇部で、高校で生徒会長になった時には演劇部の予算を4倍にしたことがあった。
しかし高校3年生のある日に東京に出て来た時に、芸術座で菊田一夫の右腕として演出の仕事をしていたある先輩に会った時に「役者になっても、10年は食っていけないぞ」と言われた時に、貧しかった家庭で育った自分の境遇を考えて「これは辛い」と思い方向転換を決意、「サラリーマンになろう。なるにしても、面白いことが出来るサラリーマンになる」と思うようになる。ラジオドラマの『鞍馬天狗』で芥川隆行のナレーションに魅了されたことがあったことからナレーターになることを考え付いたが、ナレーターがサラリーマンの何物かその時はわからず、更に考えて思い付いたのが、舞台中継もナレーションも出来るだろうとしたアナウンサーだった。アナウンサーを目指すようになったのは、少年時代よく聴いていた『コーセー 今週のベストテン』や『ラ・セーヌ ヒットソングアワー』(ニッポン放送)のことも頭にあったという。
日本大学芸術学部入学後はアナウンス研究会に入会。就職活動ではTBSの他NHK、日本テレビ、フジテレビ、ニッポン放送など総なめにするつもりで受験するも全て不合格、卒業論文の単位だけ残して留年することにし、留年中はTBSでアシスタントディレクターのアルバイトをしていた。そして次の年はTBSだけを受験、合格して入社に至る。
1968年(昭和43年)4月、TBSにアナウンサー13期生として入社(同期には松永邦久・池田園子・石井和子・見城美枝子・郷司淑子・菅原牧子)。深夜放送『パックインミュージック』の火曜日を担当したほか、『一慶・美雄の夜はともだち』のパーソナリティを先輩アナの林美雄と交替で務めたりと、ラジオにおいて精力的に活躍していた。先輩アナの久米宏が『ぴったし カン・カン』を降板した際には小島が引き継いだ。
上司から営業部門への異動が打診されたが、1990年3月にTBSを退社。
TBS退社後はテレビ朝日と専属契約を結び、テレビ朝日専属キャスターとして『ホットライン110番』の司会を務める。しかし1991年、不倫騒動で全番組を降板し、長期休養する。
その後はTBSを中心に他局の情報番組・ニュース番組・テレビショッピング番組などにも出演。また、TBSテレビの『どうぶつ奇想天外!』のナレーション、TBSラジオの『明日も元気!』にも出演していたが、婦女暴行容疑で刑事告訴されたことを受け、2008年12月31日で両番組の出演を降板、所属事務所の佐藤企画からも契約満了と同時に退職した。本件は示談が成立し告訴は取り下げられている。
2014年に復帰。3月には赤坂BLITZでパックインミュージックのイベントを白石冬美と行った。その後も、古巣のTBSラジオを中心に活動していた。
2020年4月23日午後5時55分、肺がんのため、東京都内の病院で死去。75歳没。
妻はTBSアナウンサー同期の池田園子。
趣味は麻雀で、大学生の時にアルバイト先で麻雀を覚えて以来病み付きのようになったとのこと。若手の頃は、ディレクターやスタッフ、TBSの在る赤坂の町内会の人達ともよく雀卓を囲んでいたという。また、パチンコ好きなところもある。
俳句も趣味で、俳句結社「玉藻」の星野高士に師事、カルチャー教室で講師もしている。
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