ゲーリー・グッドリッジ(Gary Goodridge、1966年1月17日 - )は、トリニダード・トバゴの元男性総合格闘家、元キックボクサー。首都ポートオブスペインのセントジェームス地区出身(en:Saint James, Trinidad and Tobago)。カナダ・オンタリオ州バリー在住。ビッグ・ダディ・ファイトチーム主宰。
本格的に格闘技を始める前はアームレスリング世界王者であった。並外れた怪力の持ち主で、完全に極まったアームロックを腕力のみで外してしまったこともある。左腕に刻まれた“剛力”のタトゥーは、文字通り自らのパワーを誇示するために彫ったものである。筋骨隆々とした強面な風貌とは裏腹に、普段は温厚で紳士的な人物として知られ、格闘技関係者から尊敬を集めている。PRIDE参戦当時のニックネームは「PRIDEの番人」。これはグッドリッジが、PRIDE初参戦の選手と数多く対戦したことに起因する。初参戦の選手にとっては立ちはだかる厚い壁、ファンにとっては積極的なファイトで会場を沸かせる名物選手として人気を集めた。
トリニダード・トバゴの首都ポートオブスペイン・セントジェームス地区で生まれ、カナダのオンタリオ州バリーへ移住。プロ格闘家になる前は、アリストンにあるHONDAの工場で働いていた。
UFC 2を一緒に見ていた友人の勧めでUFCに出場を決める。グッドリッジはアマチュアボクシングでカナダのスーパーヘビー級王者だったが、UFCに出場するには他の格闘技も習うべきだと考え、クックスールウォンの道場に入門した。
1996年2月16日、総合格闘技デビュー戦となったUFC 8にてトーナメントに出場。トーナメント1回戦でポール・ヘレラ、準決勝でジェリー・ボーランダーにKOで勝利するも、決勝戦でドン・フライに敗れた。
1996年5月17日、UFC 9でオリンピック・レスリング金メダリストのマーク・シュルツと対戦し、TKO負け。
1996年7月12日、UFC 10のトーナメントに出場。トーナメント1回戦でジョン・キャンペテーラに勝利するも、準決勝でマーク・コールマンに敗れた。
1996年12月7日、Ultimate Ultimate 1996のトーナメントに出場。トーナメント1回戦でドン・フライトと対戦するも疲労によるギブアップで敗れた。
1997年7月6日、IVC 1のトーナメントに出場。1回戦、準決勝を勝ち進むと、決勝でペドロ・オタービオに勝利して、トーナメント優勝を果たした。
1997年10月11日、初来日。PRIDEの旗揚げ戦となったPRIDE.1で、サンボ選手権王者のオレッグ・タクタロフをその豪腕で殴り倒し、戦闘不能に追い込みKO勝ち。
そのアグレッシブなファイトスタイルを買われ、PRIDE.2でマルコ・ファス、PRIDE.3でアミール、PRIDE.4でイゴール・ボブチャンチンと連続で出場。
1999年7月4日、PRIDE.6でバルセロナオリンピック柔道銀メダリスト小川直也にV1アームロック一本負け。
2000年1月30日に開催された『PRIDE GRANDPRIX 2000』では、1回戦で大刀光にギロチンチョークで一本勝ちするも、5月1日の2回戦でイゴール・ボブチャンチンにKO負けを喫した。
2001年7月29日、PRIDE.15では、PRIDE初参戦のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに三角絞めを極められ、タップアウト負け。
2001年10月8日、新日本プロレス東京ドーム大会に参戦。
2003年に開催された『PRIDE GRANDPRIX 2003』では開幕戦、決勝戦ともに第1試合のワンマッチに出場。8月10日の開幕戦ではエメリヤーエンコ・ヒョードルにTKO負け。しかし11月9日の決勝戦ではPRIDE初参戦のダン・ボビッシュにKO勝ちし、番人の面目躍如を果たした。
2003年12月31日のPRIDE SPECIAL 男祭り 2003で、ドン・フライと対戦。1R27秒右ハイキックでKO勝ち。試合前に勝敗にかかわらず、体力の限界を理由に格闘家からの引退を表明しており、これがPRIDEでの引退試合となった。
2004年4月30日に現役復帰し、K-1 WORLD GP 2004 in LAS VEGASに参戦。
2008年3月30日、The Khan 1でチェ・ムベと対戦、2Rにカウンターの右フックからダウン後、パウンドでTKO負け。
2008年7月19日、Affliction旗揚げ戦Affliction: Bannedでポール・ブエンテロと対戦し、判定負けを喫した。
2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜でゲガール・ムサシと対戦し、パウンドでTKO負け。
1999年からK-1に参戦し、武蔵、佐竹雅昭、ジェロム・レ・バンナ、グラウベ・フェイトーザらと対戦した。
K-1歴代王者のピーター・アーツやマーク・ハントとも互角に渡り合い、マイク・ベルナルドやシリル・アビディ、カーター・ウィリアムスなど多くのK-1ファイターに勝つなど、期待以上の活躍を見せた。
2004年9月25日、K-1 WORLD GP 2004 開幕戦のGP1回戦でマイティ・モーと対戦し、KO負け。
2005年7月29日、K-1 WORLD GP 2005 in HAWAIIで開催されたHAWAII GP予選トーナメントでは、カーター・ウィリアムスや藤本祐介らを全試合KOで破り優勝。
2005年9月23日、K-1 WORLD GP 2005 in OSAKA 開幕戦のGP1回戦では、ジェロム・レ・バンナと激突。リベンジを狙ったが、ローキックからパンチ連打を浴びて3回目のダウンを喫しKO負け。
2005年11月19日、K-1 WORLD GP 2005 inTOKYO 決勝戦のリザーブファイトに選ばれるも、グラウベ・フェイトーザに判定負け。
2006年4月29日、K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGASで開催されたUSA GP予選トーナメントでは、決勝でハリッド"ディ・ファウスト"にKO負けし準優勝。
2006年8月12日、K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGAS IIで開催された世界最終予選では、1回戦でカーター・ウィリアムスに逆転判定負け。
2006年9月30日、K-1 WORLD GP 2006 in OSAKA 開幕戦のGP1回戦にウィルス性の病気にかかり欠場となったピーター・アーツに代わって出場。レミー・ボンヤスキーと対戦し、KO負け。
2008年12月15日、カナダオン タリオ州トロント郊外に自らのジム「Fighting University」をオープンさせた。
2012年、早発性CTE(慢性外傷性脳症)であると診断される。ただしグッドリッジ本人によると、普段はジムで格闘技を指導しており、各地でセミナーをすることもあるほどの軽い症状であり、「良い人生を送っていて、自分の人生が好きだ。自分のやってきたことに満足しているので後悔はない」と語っている。
抜群のパワーと打たれ強さを活かし、常に前へ出続ける攻撃的なファイトスタイルが特徴。全盛期は太い腕から繰り出される強烈なパンチでKOを量産し、格闘技界を代表するパワーファイターの1人と評された。その豪快な試合運びから、勝っても負けても会場を沸かせる選手である。
ルールに関係無く実力を発揮するタイプで、PRIDEやK-1など様々な団体で活躍した。ディフェンスにやや難があり戦績は不安定だが、グラウンドの攻防から立ち技のパンチ、キックまでこなす器用な一面もある。
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