フェリックス・ローゼンクヴィスト(Felix Rosenqvist, 1991年11月7日 - )は、スウェーデン出身のレーシングドライバー。姓はローゼンクビストやローゼンクイストとも表記される。難関で知られるマカオグランプリをフォーミュラ3カテゴリーで2連覇した2人目のドライバーである。
10歳でレーシングカートレースを始めた。資金的な余裕がなかったため、スウェーデン国内カートの次は海外カート転戦より安く参戦できるという理由で、2008年にアジア・フォーミュラ・ルノー2.0で4輪デビュー。上海市に住み、慣れない生活環境の中チャンピオンを獲得した。
タイトル獲得により、翌2009年のフォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)参戦のオファーが日産から来たが、契約直前に世界金融危機により話が立ち消えとなったためスウェーデンに帰国。フォーミュラ・ルノー2.0のスウェーデンとNEZ(北ヨーロッパゾーン)シリーズでチャンピオンを獲得した。
翌2010年にはドイツF3とマカオGPにデビューした。その後資金の調達に苦労しながら2011年からユーロF3に挑戦し、2年目でシリーズ3位を獲得。一方マカオGPでは参戦5年目の2014年から2連勝を達成し、さらに2015年にはヨーロピアンF3で念願のタイトルを手にした。
その後F1へのステップアップは果たせなかったが、2016年後半にフォーミュラEにマヒンドラ・レーシングからデビュー。ルノーとアウディの争いの中に割って入り、デビューイヤーで優勝含め5度の表彰台と3度のポールポジション、年間総合3位を記録してチームメイトのニック・ハイドフェルドを40ポイント近く上回り、確かな実力を持っていることを証明した。また同年ブランパンGTスプリントカップにも元インディカードライバーの トリスタン・ヴォーティエと組んでフル参戦し、1勝と2度の表彰台を獲得し総合7位につけた。また同年前半はインディライツをメインに活動しており、ここでも3勝を挙げている。さらに同年ドイツツーリングカー選手権(DTM)、インターコンチネンタルGTチャレンジ、デイトナ24時間のPCクラス、スパ・フランコルシャン24時間(総合2位)など、多くのカテゴリーに幅広く参戦した。
2017年にはチームルマンから全日本スーパーフォーミュラ選手権にフル参戦。初のフォーミュラEとスーパーフォーミュラを同時フル参戦するドライバーとなった。カーナンバーは7、チームメイトは大嶋和也。シーズン通して予選では振るわなかったが、決勝で素晴らしいペースを見せて3度の表彰台を獲得。菅生では予選12位スタートからノーピット作戦を完遂して5位入賞するなどポイントを確実に稼ぎ、ルーキーにしてピエール・ガスリーに次ぐ総合3位の好成績を収めた。またポルシェ・カレラカップスカンディナビア(3勝)、ル・マン24時間のLMP2クラス、FIA GTワールドカップなど前年同様幅広く参戦した。さらにフォーミュラE第4シーズンでは香港、マラケシュと連勝しチャンピオン争いを展開している。なおローマラウンドでもポールポジションからトップを快走したが、終盤マシントラブルで陥落という悲劇を味わった。
2018年はフォーミュラEとの兼ね合いもありスーパーフォーミュラから降りたが、代わりにSUPER GTにチームルマンより初参戦することが決定。チームメイトは昨年のスーパーフォーミュラでも共に戦った大嶋和也。十分なテストドライブ機会が得られない中でGTマシンに適応し、開幕戦スタートドライバーを担当。4位入賞を果たした。また1月にはジャッキー・チェン・DCレーシングよりデイトナ24時間に参戦した。
2019年、チップ・ガナッシ・レーシングからインディカー・シリーズにフル参戦を果たす。2016年と2017年にもチップ・ガナッシのインディカーをテストドライブしていた経緯があり、3年越しの念願叶ってのインディカーレギュラーシート獲得となった。2019開幕戦セントピーターズパークで予選3位を獲得しデビューを飾ると、第5戦インディカーGPではポールポジションを獲得、以後もシーズンを通じて速さを見せ第13戦ミッド・オハイオでは優勝したチームメイトで5度のインディカー王者であるスコット・ディクソンとトップ争いを演じての2位表彰台を獲得し、チームの1-2フィニッシュ及びホンダエンジンの1-2-3フィニッシュに貢献。第16戦ポートランドでも2位でフィニッシュするなど、年間ランキング6位を獲得し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。
2020年は開幕戦で上位集団を走行中にクラッシュしてしまうが、ファステストラップを記録。第4戦ロードアメリカではインディカー初優勝を挙げるなど前年に続いて速さを見せたが、第11戦ミッド・オハイオなど上位を走りながら他車のクラッシュに巻き込まれることも幾度かあり年間ランキングは11位となった。
2021年からアロー・マクラーレンSPに移籍。デトロイト(ベル・アイル・パーク)では決勝レース中にバリアに刺さるクラッシュに見舞われ、自力でコクピットから脱出できず負傷入院するなど噛み合わないシーズンとなりランキング21位で終えた。
2022年シーズンも第4戦まで成績が振るわなかったが、第5戦GMR・グランプリで久々となるラップリードを記録し6位となり復調を見せ始め、第6戦インディ500で決勝4位、第8戦ロードアメリカでラップリーダーとして走行するなど好調を持続すると6月23日にマクラーレンSPとの翌2023年シーズン新契約が早々に合意し発表された。米NBCによると、ローゼンクヴィストとマクラーレンSPとの2023契約は確かなものであるが、それがインディカーのシートかフォーミュラEのシートであるかはこの時点では明らかにされていないと報じられた。これは同時期に表面化したアレックス・パロウのチップ・ガナッシとマクラーレンSP間に生じた契約トラブルの影響であり、この間ローゼンクヴィストのインディカーシート動向は不安定であった。結果的にパロウがチップ・ガナッシへの残留を表明して状況は鎮静化した。
2023年、マクラーレンSPでの3シーズン目となった。第7戦デトロイトで3位、第16戦ポートランドで2位と表彰台を獲得。最終戦を前にした9月5日、翌年からメイヤー・シャンク・レーシングへ移籍することが発表され、複数年契約であることも明かされた。
2024年、メイヤーシャンク・レーシングの60号車での参戦。チームメイトはトム・ブロンクビストとなった。
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* シーズン進行中
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