松平 頼救(まつだいら よりすけ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。常陸国宍戸藩5代藩主。官位は従五位下・大炊頭。書道や茶道に優れた教養人であり、『垂裕閣法帖』16巻を編纂している。三島由紀夫は来孫である。
宍戸藩の本家である水戸藩5代藩主・徳川宗翰の六男。明和3年(1766年)、先代藩主・松平頼多が死去したため、その婿養子として跡を継いだ。享和2年(1802年)4月5日、長男・頼敬に家督を譲って隠居し、同年5月には剃髪して大翁と号した。文化5年(1808年)には太玄斎と号する。
文政13年(1830年)5月4日、75歳で死去した。
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