第3次吉田第2次改造内閣(だいさんじ よしだだいにじかいぞうないかく)は、衆議院議員・自由党総裁の吉田茂が第49代内閣総理大臣に任命され、1951年(昭和26年)7月4日から1951年(昭和26年)12月26日まで続いた日本の内閣。
前の第3次吉田第1次改造内閣の改造内閣である。
1951年(昭和25年)7月4日任命。在職日数176日(第1次、2次、3次通算1,537日)。
1951年(昭和26年)7月4日留任。
1951年(昭和26年)7月4日留任。
1951年(昭和26年)12月12日任命。
※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。
サンフランシスコ講和条約締結に向けて、吉田茂首相は広く日本国民の支持を得て講和条約締結に臨むべく、与党の自由党に加え、各党の支持を獲得したいところであった。そのため自由党は、国民民主党との保守提携に動いた。しかし、この時期、国民民主党保守提携派は、林屋亀次郎などの閣外協力を志向する一派と、西田隆男らの閣内協力にまで踏み込む一派とがあり、これに自由党の増田甲子七幹事長と広川弘禅総務会長(この二人は、吉田後継をめぐるライバルでもあった)とが、それぞれに接触、工作を繰り広げ、1951年(昭和26年)6月下旬から7月上旬にかけて、保守提携の交渉は暗礁に乗り上げる形となった。
結局、同年7月3日に吉田内閣は単独で内閣改造を行い、閣僚の大部分が留任、前の党三役であった佐藤栄作、益谷秀次、根本龍太郎らが入閣した。
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