産経新聞大阪本社(さんけいしんぶんおおさかほんしゃ)は、京阪神など近畿地方と北陸地方、東海3県、中国地方(山口県は除く)並びに四国地方を対象地域とした、産業経済新聞社(産経新聞)の地域本社である。正式名称は「株式会社 産業経済新聞社 大阪本社」。産経westという場合、ここを指すことがほとんどである。
歴史的な経緯から、産経新聞の中で大阪を中心とした近畿地区での販売が最も大きな割合を占めている。2019年の発行部数は114万部(朝刊79万部+夕刊35万部)であり、人口の多い首都圏を抱える東京本社版(朝刊のみ56万部)の2倍ほどの発行部数を持つ。また、大阪本社版(西日本地区)全体の92%を近畿地区で占めており、それ以外の西日本の地域での販売部数は非常に少ない。2020年10月に経営合理化を目的として紙版の販売を近畿大都市圏のみに絞り込み、その他の地域は子会社の産経デジタルが運営する産経電子版でカバーすると報じられたが、実際には西部本部管轄の九州(山口県含む)を含めた北陸・東海(信越・静岡県除く)以西をカバーして発行を継続している。しかしながら、過去の経緯より、地方紙の共同配信サービス(47NEWSなど)に参加するなど、近畿圏のブロック紙という位置づけもなされている。
1922年(大正11年)、大阪府大阪市西成区天下茶屋で前田久吉が『夕刊大阪新聞』(後の大阪新聞)の前身である旬刊『南大阪新聞』として創刊したのが始まりで、1933年(昭和8年)6月20日、夕刊大阪新聞の僚紙として『日本工業新聞』を創刊。この時代の夕刊大阪新聞社は、大阪市北区堂島浜通4丁目(現・福島区玉川1丁目)にあった。
1942年(昭和17年)11月1日、政府の新聞統制により、愛知県以西の産業経済関連の日刊紙が統合、『日本工業新聞』を母体に『産業経済新聞』が創刊された。なお、この統合には日本経済新聞社の前身の中外商業新報社が大阪で発行していた『大阪中外商業新報』も参加しており、以後、産経新聞と日本経済新聞は同じ歴史の上を歩むことになる。
1950年(昭和25年)、東京でも『産業経済新聞』の印刷・発行を開始すると同時に、紙面を経済紙から一般紙に変更。関西のブロック紙から全国紙に発展すると、翌1951年(昭和26年)、日経が大阪支社を再設置して対抗。日経は9年ぶりに大阪での印刷・発行を再開した。
1952年(昭和27年)、大阪市北区梅田2丁目に大阪サンケイビル(サンケイホールを併設。現・ブリーゼタワー)が完成し移転。1955年、『サンケイスポーツ』を大阪で第一号を創刊。同年、東京発行の産業経済新聞は時事新報と合同した『産經時事』の題号で発行したが、1957年に東西で異っていた題字は再び『産業經済新聞』に統一され、『産經新聞』、『サンケイ』を経て1988年に再び『産經新聞』に題字を改めている。
テレビ・ラジオなどのメディア拡大にも力を入れ、カンテレ、ラジオ大阪の設立にも関わった。1959年、東京進出などで膨大な借金を抱え、創業者の前田が退任、財界から水野成夫を社長に招き、経営の建て直しを図った。同時に登記上の本店が大阪から東京に移転、フジテレビジョン(法人としては現在のフジ・メディア・ホールディングス)、ニッポン放送、文化放送などと提携を結び、後の『フジサンケイグループ』結成につながった。
2002年3月30日、東京本社版の夕刊が廃止され朝刊単独紙に移行したが、「大阪新聞」も東京夕刊廃止と同じ日に廃刊となった。大阪本社は、大阪新聞を紙面統合する形で朝夕刊セットでの発行を継続し、現在に至る。夕刊は主に旧大阪新聞で掲載されていた関西圏の地場ニュースや連載記事を主体として掲載しており、全国的な時事などの記事は産経新聞からスピンオフされた全国夕刊紙・夕刊フジが実質的に担うようになった。
大阪サンケイビルが築50年を超え老朽化したため、2005年(平成17年)8月8日、大阪市浪速区湊町二丁目1番57号の新社屋「難波サンケイビル」に本社機能を53年ぶりに移転。産経は創刊以来70年以上慣れ親しんだ大阪・キタを初めて離れた。
2007年9月1日、産経新聞社の総支局の統廃合により、東京・大阪両本社の県域版の再編を行った。大阪本社管内では中国地方(山口県は除く)と四国地方の県域版を廃止し「中四国版」に再編。兵庫県の地域版(神戸、但馬、播州、淡路など)も一つの版に統一するなどの改革を行った。なお、番組表に関しては従来通り府県単位で掲載される。
2008年7月、梅田二丁目の大阪サンケイビル跡地に超高層ビル『ブリーゼタワー』が竣工。本社機能の一部は「梅田オフィス」として復帰した。(本社社会部と別に、大阪総局が同オフィス内に設けられている。)
2008年12月11日、九州・山口県向けの産経新聞を毎日新聞西部本社(福岡県北九州市小倉北区)の工場(佐賀県鳥栖市)で委託印刷を行うことで毎日新聞社と基本合意したのに伴い、2009年9月30日付を以って大阪本社の発行による「九州版」を終了し、翌10月1日からは新たに大阪本社内の組織として新設された九州・山口本部(2012年6月1日西部本部に改組)からの発行で「産経新聞九州・山口特別版」が発行された。なお従来通り沖縄県は九州・山口版ではなく、大阪本社・および地域により東京本社の最終版(大阪:15版→14版、東京:15版 地方版・番組表差し替えなし)を空輸し、当日の午後以後に配達・販売されている。
九州・山口特別版は東京本社版の紙面で構成されるが、地方版と番組表は大阪本社で制作される。なお「九州・山口特別版」の広告及び販売の営業は大阪本社が請け負っていたが、2015年10月1日付より、大阪本社の販売・配達の問い合わせ電話番号が、西部本部の販売・配達の問い合わせ電話番号に変更された。
1面のレイアウトは1988年5月の紙面刷新・題字変更後から今日に至るまで変更されておらず、中央に題字、左側に「朝の詩」・広告、右側に日付・製作者クレジットと広告が掲載されている。(東京本社版も2008年3月19日まではこうだったが、現在は1面左側に日替わりでコラムが掲載されている都合で、右寄りになった。その後2013年4月1日の紙面刷新で2008年3月以前と同じ大阪版同様のレイアウトとなった。また、九州・山口特別版=2009年10月1日新創刊も、この東京本社版のレイアウトになっていたが、こちらも2013年4月1日の紙面刷新で、東京版・大阪版と同じレイアウトとなっている。)
なお、前身紙が大阪を中心とした関西地区のブロック紙という位置づけであった経緯から、全国紙でありながら47NEWSとよんななクラブに大阪府の地方紙という位置づけで参加している。また、題字が「産業経済新聞」の時代までは経済紙だった名残で、関西発祥の老舗・上場企業には決算などの公告を産経新聞大阪本社版に掲載すると定めていた会社が多かった。
富山、金沢、岐阜にも支局が存在したが廃止されている。
精華 (けいはんな)、豊中 (北摂)、堺、関西空港(泉佐野)にも支局が存在したが廃止されている。
夕刊のラジオ面は、1988年5月のリニューアル後、約1ヶ月は非掲載だったが、後に文化面に掲載を再開された。ラジオ欄の局名表記は(後に掲載されるBSも含めて)縦書き表示となっている
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