茂木 七郎治(もぎ しちろうじ、前名・高治郎、1898年(明治31年)9月12日 - 1993年(平成5年)1月1日)は、日本の商人(肥料商)、実業家。野田運輸、花畑乗合自動車各代表。野田自動車運輸代表。総武鉄道常務取締役。柏屋商事監査役。野田商誘銀行支配人。茂木七郎治家4代目当主。
人物
千葉県東葛飾郡野田町(現・野田市)出身。3代茂木七郎治の長男。明治中学卒業。野田醤油(現・キッコーマン)に入社し、後総武鉄道に転社した。明治大学に学んだ。1918年、家督を相続し、高治郎を改め襲名した。
趣味は読書、旅行、囲碁。宗教は真言宗。住所は千葉県野田市野田。
家族・親族
- 茂木家
茂木七郎治家の初代は、三代七郎右衛門の次男であり、幼名を善三郎と称し、安政5年分かれて一家を起こした。初代は勤倹質素の人、しかも公共慈善に尽くすことを楽しみとした。
- 祖父・林景(りんけい) - 歌事を楽しみ、俳句に長じた。
- 父・七郎治(1866年 - 1918年、千葉平民、野田商誘銀行支配人、肥料商)
- 母・ふみ
- 弟・専之助(1902年 - ?、千葉、小宮六兵衛の養子)
- 姉・ヨシ(1894年 - ?、東京、酒井米次郎の妻)
- 妻・包(1898年 - ?、千葉、藤崎勘三郎の二女)
- 長男
- 二女、三女
脚注
参考文献
- 日本商工人名録発行所編『日本商工人名録』日本商工人名録発行所、1914年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 岩崎徂堂『極秘日本富豪の家憲』大成館、1916年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937-1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 森川英正『日本財閥経営史 地方財閥』日本経済新聞社、1985年。
関連項目
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