朝倉市(あさくらし)は、福岡県の中南部、筑後地域に位置する市である。
福岡県の中央部、県庁所在地である福岡市の南東約40km、久留米市の北東約20kmの場所に位置する。市内を北西から南東へと貫く国道386号あたりを境に、南側は盆地、北側(市域北部から北東部〜東部にかけて)は古処山をはじめとする600〜900m級の山々が連なる。この山地の中に福岡県両筑地域の水資源供給の役割を担う寺内ダム・江川ダムがある。また市域の南側には、境界にほぼ沿う形で筑後川が流れている。
市域西端部は旧甘木市で、中心となる鉄道駅の甘木駅、朝倉市役所や商店街などの中心市街地が所在する。市中心部から北東約8kmの位置に、秋月城の旧城下町の秋月地区がある。秋月地区は「筑前の小京都」と呼ばれ、観光地となっている。朝倉都市圏の中心都市である。
国道386号の杷木地区(旧杷木町)を過ぎると、大分県日田市に入る。
朝倉市発足時、旧杷木町のみ従来の大字の前に「杷木」を冠するように改められた。
安本美典が唱える説で、甘木・朝倉地方を中心とした周辺地域の地名と、奈良・大和地方を中心とした周辺地域の地名の酷似から、邪馬台国の中心は甘木・朝倉にあり後に奈良・大和地方に移って大和朝廷になったとする説。この説にちなんで5月には甘木公園で「花の邪馬台国まつり」が開催されている。
鎌倉時代の1203年(建仁3年)、原田種雄(たねかつ)が鎌倉幕府より秋月庄を賜り秋月城(現在は城跡のみ)の築城を始める。それ以降、原田氏は秋月氏を名乗り、以後17代にわたって統治が続き城下町として栄える。
秋月氏は1587年(天正15年)、豊臣政権による九州征伐に屈し、日向国高鍋に移封された。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの功により、黒田長政が筑前国の領主となる。秋月には叔父の黒田直之を配した。直之は秋月城や町割りを整備した。その後1623年(元和9年)、福岡藩を統治していた黒田長政の遺言により、長政の三男黒田長興が秋月に5万石で分封され秋月藩が成立、城下町を立て直した。以後は黒田氏による統治が明治時代の廃藩置県まで続くこととなる。
廃藩置県により秋月県が誕生、県庁所在地となったがすぐに福岡県に統合され、県内の一都市となった。その後、明治政府の打ち出した政策に強い不満を抱いた士族により、1876年10月24日熊本藩で起きた神風連の乱に呼応する形で10月27日に秋月の乱が起こった。
1953年6月に九州一帯を襲った集中豪雨により筑後川が各所で氾濫。現在の朝倉市域では、特に大福、蜷城一帯の全家屋が浸水した。
2017年7月5日に九州北部を襲った記録的な集中豪雨では市内の黒川地区にある北小路公民館では降り始めからの累加雨量894mm、24時間雨量829mmに達するなど市内各地で記録的な豪雨となり、市内各地で土砂崩れや河川の氾濫による浸水が発生。市内で34人が死亡、2人が行方不明となったほか、住宅の全壊・大規模半壊372件、その他国道386号を中心とする道路等の生活基盤施設や農地なども多くの被害を受けた。
朝倉市では同年度末に復興計画を策定、2020年代も復興・復旧や将来に向けた防災・減災事業が進められている。17世帯が暮らしていた小河内地区は、被災者生活再建支援法に基づく長期避難世帯に指定され、のちに1軒が地元へ戻ったものの、転居先での暮らしの定着や砂防ダム建設計画の浮上などもあり、2022年春に地区の解散を決めた。
朝倉市の市域は、一部を除いたほぼ全域が旧筑前国に属しており、福岡県の公式的な地域圏としては福岡地域圏に分類される。しかし反面、市内の鉄道(西鉄甘木線)が久留米方向へ向かって整備されており久留米市を中心とする筑後地域圏に含まれる要素も多い。また、自動車のナンバープレートも久留米自動車検査登録事務所の管轄のため「福岡」ではなく「久留米」となっており、郵便番号も筑後地区の地域番号である「83」(838-XXXX)となっている。朝倉市のうち旧甘木市、朝倉町域は福岡都市圏の5%通勤圏に属する。
甘木鉄道: 甘木鉄道甘木線(基山駅でJR鹿児島本線と、小郡駅で西鉄天神大牟田線と接続。福岡市方面へのメインルート)
西日本鉄道: 西鉄甘木線(宮の陣駅で西鉄天神大牟田線と接続。久留米市方面へのメインルート)
以下の2路線が市内の停留所に発着する。発着地は朝倉市中心部近くの大分自動車道甘木インターチェンジに併設される高速甘木(甘木バスストップ)、旧朝倉町中心部近くの朝倉インターチェンジに併設される朝倉インターバス停(朝倉バスストップ)、旧杷木町中心部の杷木発着所。
★は故人
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