Aller au contenu principal

越智大祐


越智大祐


越智 大祐(おち だいすけ、1983年6月30日 - )は、愛媛県今治市出身の元プロ野球選手(投手)。

来歴・人物

プロ入り前

今治市立菊間中学校では捕手だったが、新田高等学校時代に正捕手争いに敗れ、2年夏までは控え捕手。内野手を経て投手に転向した。卒業後は早稲田大学人間科学部へ進学。早稲田では和田毅や清水大輔に次ぐ投手として、1年春から2年秋まで無傷の11連勝、早大野球部史上初の「東京六大学リーグ4連覇」に貢献した。3年次には一時調子を落としたがすぐに復調し、秋には防御率1.01で最優秀防御率賞を受賞。大学時代の通算成績は43試合登板し15勝5敗、防御率2.61。投球回数(183回)を上回る205三振を奪った。

2005年の大学・社会人ドラフトで読売ジャイアンツから4巡目指名を受けて入団。

巨人時代

2006年、2007年と一軍登板なし。2007年から背番号が35から62に変更された。

2008年3月28日の対東京ヤクルトスワローズ戦でリリーフとして公式戦初登板。同年7月25日の同カードで初勝利を挙げる。シーズン途中からは山口鉄也と共に中継ぎの柱を担った。チーム最多の68試合に登板した一方で、セントラル・リーグ最多の15暴投を記録した。11月9日、埼玉西武ライオンズとの日本シリーズ第7戦では1点リードの7回から登板。ところが、8回に片岡易之への死球を機に同点を許すと、連続四球でピンチを広げ平尾博嗣に決勝適時打を打たれた。結果的にチームは日本一を逃したが、シーズンオフには年俸も大幅に上がり、背番号も22に変更された。

2009年、開幕前、越智とともに前年に飛躍した山口とのコンビ名がスポーツ報知で募集され、応募総数1290通の中から越智と山口が選んだ「風神雷神」に決定した。越智は「雷電フォーク」で打者をねじ伏せる「雷神」を目指すという意気込みをみせた。同年4月30日にはマーク・クルーンの代役として抑えを務め、プロ初セーブを記録。防御率は前年の2.40から3.30と1点近く悪化したが、1年を通して山口と共に勝利の方程式として活躍を見せた。8月2日の阪神タイガース戦では山口が迎えたピンチを越智が抑えるという場面もあり、試合後には山口と自分は「2人で1つ」とコメントした。

2010年、59試合に登板し、3年連続50試合以上登板を達成。久保裕也、山口鉄也らとともに勝ちパターンにおける中継ぎを務め、シーズン終盤には不調だったクルーンの代わりに抑えも務める。防御率は前年と同水準の3.20だったが、投球回は56.1と減少。シーズン終了後、前年比500万円減の8000万円で契約更改する。オフには一般女性との入籍を発表。翌年4月16日には長女が誕生する。

2011年、開幕一軍を逃す。4月下旬に負傷した山口に代わり一軍昇格したが、8月8日に再度の一軍登録抹消。8月26日に一軍に復帰したものの、登板数は42試合に留まった。シーズン終了後は復活への期待をこめて秋季キャンプの投手陣リーダーに指名された。

2012年は開幕を一軍で迎えるが、4月4日の広島戦後に登板後に両足の違和感を訴え、19日に登録抹消。二軍で調整を続けていたが症状は消えず、病院で診察を受けた結果、特定疾患指定の難病である黄色靭帯骨化症であることが判明。医師からは「野球を続ければ、2年後には車いすの生活になる」と告げられた。手術を受けることになり、シーズン中の復帰は絶望的となった。6月28日に手術は無事成功し、7月からリハビリを開始。8月下旬には近距離からの投球を行った。9月末にはブルペンにも入り、12月の契約更改の時点で本人いわく「8割の力で投げられる」程度にまで回復した。

2013年、一軍登板はなかったが、10月に宮崎で行われたフェニックスリーグのメンバーにも選ばれる。2014年から背番号が67となり、同年の一軍登板はなく、10月1日に球団から戦力外通告を受け、現役引退する。

引退後は、2015年頃、東京麻布で焼き肉店を営んでいたが、現在は閉店している

選手としての特徴

150km/h前後の直球と「雷電フォーク」と呼ばれる落差が大きいフォークボールを軸に三振を奪う投球スタイル。投げる際に前足を大きく前に踏み込む2段モーション気味のフォームを使用する。速球は最速155km/hを記録し、フォークも140km/hを超える。また、ややシュート気味に変化するツーシームとスライダーやカーブも時折り投げる。その一方で暴投も多く、2008年には中継ぎ投手ながら15暴投を記録している。これは、リリーフのみで登板した投手としてはシーズン最多記録である。

詳細情報

年度別投手成績

  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

表彰

  • 「ジョージア魂」賞:1回(2010年度第2回)

記録

投手記録
  • 初登板:2008年3月28日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、5回裏に2番手で救援登板、2回1失点
  • 初奪三振:同上、5回裏にアーロン・ガイエルから見逃し三振
  • 初ホールド:2008年5月21日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏二死に5番手で救援登板、1/3回無失点
  • 初勝利:2008年7月25日、対東京ヤクルトスワローズ13回戦(東京ドーム)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点
  • 初セーブ:2009年4月30日、対広島東洋カープ6回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、9回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点
打撃記録
  • 初安打・初打点:2010年4月10日、対中日ドラゴンズ2回戦(東京ドーム)、8回裏に鈴木義広から中越2点適時二塁打
その他の記録
  • オールスターゲーム出場:1回(2010年)

背番号

  • 35(2006年)
  • 62(2007年 - 2008年)
  • 22(2009年 - 2013年)
  • 67(2014年)

脚注

関連項目

  • 愛媛県出身の人物一覧
  • 早稲田大学の人物一覧
  • 読売ジャイアンツの選手一覧
  • 山口鉄也
  • 勝利の方程式
  • 宮本大輔、酒井勉、大隣憲司、星野仙一 - 同じく黄色靭帯骨化症を発症

外部リンク

  • 個人年度別成績 越智大祐 - NPB.jp 日本野球機構

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 越智大祐 by Wikipedia (Historical)