ハーツクライ(欧字名:Heart's Cry 香:真心呼喚、2001年4月15日 - 2023年3月9日)は、日本の競走馬、種牡馬。主な勝ち鞍は2005年の有馬記念、2006年のドバイシーマクラシック。
父・サンデーサイレンスは1995年から13年連続でリーディングサイアーに選出された。母・アイリッシュダンスは1995年の新潟大賞典、新潟記念など中央競馬で9勝を挙げた。
馬名は母の名より連想してダンスパフォーマンスの『リバーダンス』中の一曲「ザ・ハーツクライ (The Heart's Cry) 心の叫び」から名付けられた。
2004年1月の京都競馬場の3歳新馬戦(芝2000m)で武豊を鞍上にデビューし、1番人気に応え難なく勝利した。
次のきさらぎ賞では1戦のキャリアながら3着に入り素質の高さを見せる。その後若葉ステークスでスズカマンボとの叩き合いを制した。
3歳牡馬クラシック第一弾皐月賞は5番人気に推されるも、ダイワメジャーの14着と大敗。続く京都新聞杯では再びスズカマンボに競り勝ち、重賞初制覇を果たした。
迎えた東京優駿(日本ダービー)では直線で大外から追い上げ、3着のハイアーゲームを捕らえるがキングカメハメハのレースレコード勝ちの前に屈し、2着となる。鞍上の横山典弘はレース後、「現時点では完成度の差」としつつも「この馬は走るよ。凄い能力」と語った。
秋になり、再び武豊を背に神戸新聞杯に出走するもキングカメハメハの3着に終わった。
キングカメハメハ不在の菊花賞ではダービー2着が評価され1番人気に支持されたが、デルタブルースの7着に終わり、クラシック競走優勝は果たせなかった。
その後、3歳馬ながらジャパンカップと有馬記念を連戦するが、菊花賞から馬体重が12kg減ったジャパンカップは10着、キャリアで最低体重の472kgで挑んだ有馬記念は9着に敗れている。
2005年初戦の大阪杯は直線だけで追い込みサンライズペガサスの2着。続いて天皇賞(春)では追い上げるもスズカマンボの5着に敗れた。次に挑んだ宝塚記念でも11番人気のスイープトウショウにクビ差及ばず2着と、春は惜しいレースが続いた。その後放牧に出されるが、管理調教師である橋口弘次郎は「放牧が明けて秋になると、春とは別の馬のように馬体が成長した」とコメントしている。
秋初戦、トライアル競走を使わずに天皇賞(秋)に出走。2004年の東京優駿と同年の有馬記念以降同馬に騎乗してきた横山典弘がゼンノロブロイに騎乗したため、短期免許で来日中のフランス人騎手のクリストフ・ルメールが騎乗し、その後も引退まで騎乗を続けた。結果はスローペースということもありヘヴンリーロマンスの6着であったが、上がりタイムの32秒8は前走敗れたスイープトウショウ(5着)と同じであり、将来への期待を失わないものだった。
続くジャパンカップは、後方から馬群を掻き分けて追い込み、ホーリックスが1989年に記録したレースレコードを0.1秒上回る2分22秒1の日本レコードタイムで入線し、イギリス調教馬のアルカセットと同タイムながらハナ差3センチの2着に敗れた。
その後ファン投票6位に推され、有馬記念への出走を決める。迎えた第50回有馬記念では、鞍上のクリストフ・ルメールがこれまでの追い込むスタイルを一転させ大胆な先行策をとって成功し、無敗で三冠を制してこのレースに臨んできた圧倒的1番人気ディープインパクトの追撃を押さえ、半馬身差で初のGI制覇を達成した。
この勝利と年間を通じてのGI戦線での活躍が評価され、JRA賞で2005年度最優秀4歳以上牡馬に選出された。また有馬記念後、橋口は翌年にハーツクライの海外遠征プランを明らかにした。
2006年の初戦として選んだのは、3月のドバイシーマクラシックであった。事前の同じ橋口厩舎のユートピアとの追い切りでは、馬なりで上がり3ハロン33秒台という破格の時計を出し、本番では有馬記念と同じく、逃げ先行の作戦で、直線ではムチを入れることなくOuija Board(ウィジャボード)ら後続を突き放し2着に4馬身差をつけ勝利した。
同年7月には欧州最高峰の競走の1つ、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス (KGVI&QES)へ出走。Hurricane Run(ハリケーンラン)に次ぐ2番人気に支持された。1970年以来の6頭立てという少頭数となり、終始3, 4番手を追走して、最後の直線で一度は先頭に立つなど健闘したものの、3着に終わった。橋口は滞在期間中に「馬の雰囲気が思っていたのとは少し違う」と語り、ルメールもレース後に「一度使っておきたかった」と語っている。陣営は来年度の再挑戦を決定した。
同年の日本初戦となったジャパンカップでは、凱旋門賞出走後のディープインパクトとの有馬記念以来の再戦ということもあり、注目された。しかしレース前にハーツクライが喘鳴症を発症していることが公表され、不安が残る中での出走となった。そして2番人気で迎えたレースではスタートから先行し、ライバルであるディープインパクトが最後方につける中、ハーツクライは道中3番手を進み、最後の直線を迎えたが、近走の様な手応えがなく、見せ場なく沈み11頭立ての10着と大敗した。
橋口は大敗を喘鳴症の影響によるという見方を示し、オーナー及び関係者協議の結果11月28日に現役引退が発表され2007年より種牡馬入りが決まった。
以下の内容は、netkeiba.comの情報に基づく。
繋養先は北海道勇払郡安平町の社台スタリオンステーションで、初年度の種付料は500万円となり、春から供用されてその後99頭が受胎した。翌2008年、第1号の産駒となる栗毛の牡馬を、自身の生まれ故郷である社台ファームで繋養されているメイボールが1月16日に出産した。
2010年に初年度産駒がデビューし、7月24日の小倉競馬場の新馬戦で、バラードソングが産駒としての初勝利を挙げた。2011年4月30日の青葉賞でウインバリアシオンが産駒のJRA重賞初勝利を挙げる。
2013年10月27日の天皇賞(秋)でジャスタウェイが優勝し、産駒のJRAGI初勝利を挙げた。さらにジャスタウェイは2014年のドバイデューティーフリーを制し、日本競馬史上初となるドバイミーティング親子制覇を達成した。
2014年5月25日の優駿牝馬(オークス)ではヌーヴォレコルトが勝利。産駒の牝馬GI初制覇を達成した。翌週の東京優駿(ダービー)ではワンアンドオンリーが優勝。自身が成しえなかった東京優駿制覇を達成した。翌週の安田記念でもジャスタウェイが勝利し同一産駒での3週連続G1制覇を達成している。
2018年9月1日にはヨシダがウッドワードステークスを勝利。日本生産馬による史上初の米ダートG1勝利となった。
2019年の有馬記念をリスグラシューが制して有馬記念の父娘制覇を達成。くしくもディープインパクトも有馬記念の父娘制覇を達成しているが、有馬記念の父娘制覇はこの2例のみである。
2020年をもって種牡馬を引退。2021年生まれの産駒が最終世代となる。種牡馬引退後は引き続き社台スタリオンステーションで功労馬として繋養された。
2023年3月9日、起立不能となり、死亡した。22歳没。
なお、2005年の天皇賞(秋)以降、ハーツクライの主戦ジョッキーとなっていたルメールは、ハーツクライ死亡2週間後に行われたドバイシーマクラシックにおいてイクイノックスに騎乗し、ハーツクライの時と同じように逃げて勝ちを収めた。レースの後、ルメールは「僕がこのレースを勝つのは、2週間前に亡くなったハーツクライ以来。彼に敬意を表する機会を与えてくれたイクイノックスに感謝したい」と述べた。
9月16日に世界最古のクラシック競走であるセントレジャーステークスをコンティニュアスが勝利して、英クラシック競走を制した。
太字はGI競走、競走名の前の国旗は開催国(日本以外の場合に明記)
アニメ脚本家であり、後にジャスタウェイの馬主になる大和屋暁がハーツクライの一口馬主だった。
「人が乗ると猫のようにおとなしくなる」と言われるが、馬房では前脚も後ろ脚も飛んできて油断できない馬であった。2006年のキングジョージで遠征した際には馬房の石壁を蹴り壊しており、受け入れ先のルカ・クマーニ調教師に驚かれている。
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