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オリンピックのサッカー競技


オリンピックのサッカー競技


オリンピックのサッカー競技(オリンピックのサッカーきょうぎ)は、各大陸予選の上位チームが集う夏季オリンピックで行われるサッカー競技である。男子については1900年のパリオリンピックから競技が行われ、1908年のロンドンオリンピックから公式種目になった。以後、1932年のロサンゼルスオリンピックを除いて毎大会実施されている。女子については1996年のアトランタオリンピックから実施されている。

概要

大会の位置づけ

オリンピックのサッカー競技に対する位置づけは、男子と女子でその捉え方に明らかな違いが見られる。

女子競技は、女子ワールドカップに並ぶ権威ある大会として扱われ、オリンピック自体の注目度を利用して国際サッカー連盟(FIFA)も女子サッカーの普及のために大会に対して概ね協力的である。また、女子ワールドカップはオリンピックの前年に開催されているため、各国はオリンピックを一つの区切りとしてチーム作りを進める。

これに対して男子競技は、ワールドカップとU-20ワールドカップの間の中途半端なカテゴリーの世界大会として捉えられることが多い。アジア、アフリカ、北中米カリブ海、南米の諸国は若年層の強化、あるいは五輪という大会のステータスを重視して力を入れることが多いのに対し、欧州では同年に欧州選手権があることも関係し、年齢制限つきの大会であるオリンピックサッカーへの注目度は極めて低い。また、シーズン開幕直後の時期のケガや疲労を恐れ、所属する選手を五輪に出場させることに消極的なクラブも多い。特に優秀な若手選手を抱える欧州のビッグクラブではそれが顕著であり、欧州各国はもちろん、非欧州各国においても欧州クラブ側の抵抗によってベストメンバーを揃えるのに苦労するサッカー協会は多い。

2008年の北京オリンピックでは、ベストメンバーを揃えようとするブラジル、アルゼンチンの両サッカー協会と、選手の参加を拒む欧州のクラブとの対立が激しくなった。FIFAはクラブに対し、国際Aマッチと同様に五輪への選手参加を妨げないよう指示したが、FCバルセロナの訴えを受けたスポーツ仲裁裁判所(CAS)が2008年8月6日、「クラブには選手を五輪男子サッカーに解放すべき法的な義務はない」と結論づけた。そのため、例え五輪男子本大会でもクラブ側が代表招集を拒否できることになっていた。その後、FIFAは2012年3月29日から30日のFIFA理事会で、オリンピック男子本大会に出場する代表に選出された「23歳以下の選手(厳密にはオリンピックが行われる前年の12月31日時点で23歳未満の選手)」の代表招集をクラブ側は拒否できないと決めた。なお、24歳以上(厳密にいえば、前年の12月31日時点で23歳以上)の選手のオーバーエイジの選手については、クラブ側が五輪代表招集を拒否できる。FIFAはこの五輪男子派遣義務決定事項は既存のFIFA規則で強制力を持たせられるとの考えを示した。強制力の根拠として、選手の地位に関するFIFA規則の「FIFA理事会の特別決議に基づく、選手の派遣義務」を引用している。なおFIFAは2016年リオデジャネイロオリンピックについては、クラブ側が代表招集に応じる義務はないとする一方、選手がオリンピックの場を経験できるようクラブに働きかけていくとしている

オリンピック委員会とサッカー協会

オリンピック選手団を派遣するのは各国の国内オリンピック委員会であり、サッカーのナショナルチームを編成するのは各国のサッカー協会である。日本オリンピック委員会と日本サッカー協会のように、オリンピック委員会の構成単位となる国・地域は、基本的にサッカー協会と一致する。その例外がイギリスであり、イギリス全体を管轄するサッカー協会が存在しない。

イギリス代表

イギリスはFIFAからイギリス本土4協会(以下英本土4協会)(イングランドサッカー協会、スコットランドサッカー協会、北アイルランドサッカー協会、ウェールズサッカー協会)およびイギリス海外領土6協会(モントセラトサッカー協会、イギリス領ヴァージン諸島サッカー協会、ケイマン諸島サッカー協会、タークス・カイコス諸島サッカー協会、バミューダ諸島サッカー協会、アンギラサッカー協会)の各代表をそれぞれ認可されているが、そのままでは国内オリンピック委員会単位としての参加しか認められないオリンピックには出場できない。オリンピックを主催するIOCは、イギリス本土においてはイギリスオリンピック委員会(BOA)のみを認可しているので、オリンピックのサッカー競技には、英本土4協会が個別に出場することはできない。IOCはイギリス海外領土のうち、バミューダ諸島、イギリス領ヴァージン諸島、ケイマン諸島の3地域の国内オリンピック委員会を認可しているため、それらの地域はそれぞれオリンピックに出場できる。当初はオリンピックのみの特例として、英本土4協会が「サッカーイギリス代表」を結成して参加していたが、協会間の確執が絶えなかった。そのため、オリンピックの欧州予選を兼ねるUEFA U-21欧州選手権で英本土4協会のいずれかが本大会出場権を獲得する順位に入っても、自動的に出場権を放棄するようになった。

自国開催となる2012年ロンドンオリンピック(男子はU-23、女子はA代表)では、久々にイギリス代表を結成しようとする動きもあったが、英本土4協会のうち、イングランド以外の3協会が反発。結局「混成チームは英本土4協会の自立を脅かす」との理由から、イングランド代表が単独でイギリス代表として出場することを決定し、FIFAも2009年総会で一旦はこれを了承した。しかし、BOAを中心として調整をした結果、英本土4協会統一チームの結成で合意した。最終的にはロンドンオリンピックに出場する本登録の選手18名中、男子には、イングランドから13名、ウェールズから5名選ばれ、スコットランドと北アイルランドからは選ばれなかった。女子は、男子とは異なり、イングランドから16名、スコットランドから2名選ばれ、ウェールズと北アイルランドからは選ばれなかった。

歴史

男子

黎明期

オリンピックの創成期、すでにサッカーは世界的にもメジャーなスポーツとなりつつあった。競技として採用されたのは1900年のパリオリンピックからであるが、第1回大会であるアテネオリンピックでは非公式に試合が行われたとする文献もある。それによると、アテネのチームがオスマン帝国のイズミルのチームと対戦し、さらにこれに勝ったイズミルのチームがスウェーデンのチームと試合を行ったという。一方で、それを誤りとする文献もある。

1900年のパリオリンピックではサッカー競技が公式に開催された。当時は急ごしらえのチーム同士で試合を行っており、一部のチームには外国人の選手が混じっていたという。そのため、IOCはこの大会から正式に実施されたと認定しているものの、FIFAは認めていない。1906年のアテネ中間大会にはデンマークがアテネのチームを9-0で下して勝ったという記録が残っている。FIFAは1908年のロンドンオリンピックを「初めて正式種目としてサッカー競技が実施された五輪」としており、この大会のころから国別対抗戦という性格が固まる。

この時期、すでにイングランドではプロフェッショナルの選手が当たり前の存在となり、この影響を受けて他のヨーロッパ諸国でも実質的なプロフェッショナルプレーヤーが誕生しつつあった。さらに1900年代末には、ヨーロッパ各国でこうしたプロフェッショナル化へのアマチュア側の最後の反抗が試みられていた時期に当たっていた。一方で、国際オリンピック委員会(IOC)はアマチュア主義に固執していたため、サッカー界とIOCの関係は決して良好なものではなかった。

ワールドカップ創設以後

1904年に結成された国際サッカー連盟(FIFA)は、サッカーにおける真のナショナルチーム世界王者を決める大会として1930年にFIFAワールドカップを創設した。当時はアマチュアのみが出場できたオリンピックと違い、ワールドカップはアマチュアとプロフェッショナルの両方が出場可能であった。ワールドカップが徐々にその権威を高めていくと、FIFAはオリンピックへの興味を失っていった。そのため、1932年のロサンゼルスオリンピックで種目から外された。第二次世界大戦後にはFIFAがアマチュア主体のオリンピックからプロフェッショナル主体のワールドカップに完全にその軸足を移すようになった。

ステート・アマの時代

こうしたアマチュアとプロフェッショナルのギャップを突いてオリンピックでの強豪国として登場してきたのがソビエト連邦を初めとする共産主義国家、いわゆる「東側諸国」である。東側諸国では、報酬を国家から支給され競技に専念できる環境が整えられながらも、身分は国家公務員=アマチュアとして維持できるステート・アマという形態が常態化していた。そのため、プロを送り込めず「アマチュア選抜」で臨む西側諸国に対し、東側諸国はほぼA代表に等しい編成で代表チームを参加させることができた。こうした東側の国々が1952年から1980年まで、8つの金メダルを独占した。この間の東側以外の国は、デンマークが銀メダルを1回、スウェーデンと日本が銅メダルを1回ずつ獲得したのみであり、ほぼ全てのメダルを東側が独占的に手に入れる時代であった。東側諸国に有利なこの状況を打破するため、FIFAは1980年のモスクワオリンピックからワールドカップの予選もしくは本大会に出場した欧州と南米の選手は五輪に出場できないことにしたが、ソ連のアフガニスタン侵攻に反発した西側諸国がモスクワオリンピックをボイコットしたため東側諸国の優位が続いた。結果的に各国のオリンピック代表チームは非常に若い年代で構成されたチーム編成となり、後の年代別代表の一環としてのオリンピック代表の原型が形作られた。

プロ参加解禁とU-23大会化

こうした状況に変化をもたらしたのは、1984年のロサンゼルスオリンピックでのIOCによるプロ選手参加の容認であった(オリンピック憲章のアマチュア条項自体は、このロサンゼルスオリンピックの10年前の1974年の第75回IOC総会で削除されていた)。当時のオリンピックにおけるプロ解禁という潮流の一環でしたが、これはIOCとFIFAの間に新しい対立を引き起こした。すなわち、集客性に富んだサッカーの充実を図りたいIOC(A代表をオリンピックに出すことを求める)とFIFAワールドカップの威厳とプレミアを守りたいFIFA(A代表をオリンピックに出せばワールドカップと差別化できなくなる)の利害の対立である。最終的には、ロサンゼルスオリンピックでもモスクワオリンピックと同様に、ワールドカップに参加したヨーロッパと南アメリカのアスリートはオリンピックに参加できないこととなった。この大会ではほとんどの東側諸国が出場をボイコットした影響も大きいが、これまでの東側諸国優位を覆しフランスが優勝、ブラジルが準優勝を果たした。1984年のルールは1988年版でも維持されたが、追加の段落があった。以前にワールドカップの1試合で90分未満しかプレーしていなかったヨーロッパと南アメリカのサッカー選手が出場可能となった。

FIFAは1988年のソウルオリンピックから23歳以下の選手の大会にする方針だったが、IOCの強硬な反対によりロサンゼルスオリンピックと同じ出場資格の大会になった。1大会遅れて1992年のバルセロナオリンピックから現在まで続く23歳以下の規定が導入された(五輪本大会時点で23歳以下の選手のみの大会。厳密にいえば、五輪前年の12月31日時点で23歳未満の選手のみの大会)。これによりオリンピックにおけるサッカー競技はU-17ワールドカップ、U-20ワールドカップと並ぶ年代別世界選手権大会の一環として再編成されることになった。

バルセロナオリンピックの観客数が思ったほど伸びなかったため、IOCはA代表を出場させるよう改めてFIFAに要請したが、FIFAは再度拒否。妥協案として、1996年のアトランタオリンピックから本大会時点で23歳以下の選手という出場資格はそのままで、本大会のみ24歳以上の選手(オーバーエイジ)を最大3人まで加えることができることにした。

2009年3月、FIFAは選手の年齢制限を21歳以下に引き下げる方針を定め、同年6月の第59回FIFA総会に諮ることを決定した。IOCは収入が見込める競技の一つである男子サッカーに、世界的に著名な選手が多く出場することを希望し続けており、この年齢制限改訂に対しては五輪競技からの除外や参加チーム数の削減を持ち出して抵抗した。これに対しFIFAは第59回FIFA総会における議題から年齢制限変更案を取り下げ、代替案として「ワールドカップに出場経験のない選手であれば年齢に関わらず出場可能」とする、モスクワオリンピックとほぼ同様の参加資格を提案した。2009年12月のFIFA理事会(2016年2月26日以降FIFA評議会)では、2012年のロンドンオリンピックにおける男子サッカー競技は従来通りの「23歳以下+オーバーエイジ最大3人」で行うこととした。ロンドンオリンピックの次の2016年のリオデジャネイロオリンピックについても、2010年6月の第60回FIFA総会で、従来通りの「23歳以下+オーバーエイジ最大3人」で行うことを決定した。

女子

女子の競技は1996年のアトランタオリンピックで採用され、最初から女子A代表の大会として開始された。

開催方式

日程

2000年のシドニーオリンピックから、五輪開会式の数日前にサッカー競技のグループリーグが開始されている。ただし、開会式に先行して試合が行われた期間は、公式なオリンピックの開催期間には入れられていない。

オリンピック憲章では「競技実施期間は16日を超えてはならない」とされている。1996年のアトランタオリンピックまでは、サッカーも開会式後から日程が組まれていたが、16日間に収めるために中1日の過密日程を強いられていた。夏季オリンピックは北半球の夏に開催されることが多く、暑さによる選手の健康面への悪影響が懸念されていた。そのため、FIFAがIOCと協議し、グループリーグに中2日の間隔を取るため、特例で開会式よりも前にサッカーを開始することがシドニー五輪から認められた。

試合会場

日程と参加チーム数の関係から、試合会場は広域(主開催都市から数百キロ離れた都市)に渡る複数の会場で行われることも多い。

  • 2016年リオデジャネイロオリンピックにおいて、主会場であるリオデジャネイロから約2,800km離れたマナウスで開催された例がある。
  • 2012年ロンドンオリンピックにおけるグラスゴーでの開催や、2020年東京オリンピックにおける札幌での開催は、いずれも主開催都市から約700km離れている。

ユニフォーム

IOCからの通達により、北京オリンピック以降はFIFAワールドカップやその予選、各大陸別選手権などで使う通常の代表用ユニフォームとは別のユニフォームを着用している。胸の各国サッカー協会・連盟マークやサプライヤーのデザイン(アディダスの3本線など)の使用は禁止され、多くは胸に各国旗マークを付けている。ただし各大陸別連盟が主催するオリンピック予選では適用されず、通常のユニフォームが使われる。

男子

出場資格

オリンピックにおけるサッカー競技に出場する選手には年齢制限が設けられている。規定ではオリンピックが行われる前年の12月31日時点で23歳以下の選手に出場権がある。したがってオリンピック代表のことをしばしばU-23代表と言い換える場合がある。先述の通り、本大会に限り前年の12月31日時点で24歳以上の選手を最大3人まで加えることができる(オーバーエイジ枠)。

大陸別予選でも本大会への出場が可能な選手でチームが構成されるのが基本である(ただし予選では、24歳以上の選手を加える規定は導入されない)。例えばアジア地区予選では、本大会の前々年には21以下満の選手に、本大会の前年では22歳以下の選手に出場権が与えられる。これらから五輪予選に出場する代表チームをその実施時期に応じてU-21代表U-22代表と呼ぶ場合もある。なお、これに沿わない年齢資格で予選大会が実施される場合もあり(欧州予選、2016年大会までの南米予選など。詳細は後述)、この場合はオリンピック本大会では予選とは異なる年代の選手から代表選手を選出することになる(予選出場選手が本大会で年齢制限超過の場合については、オーバーエイジ枠で出場することは可能)。なお、2020年大会は新型コロナウイルスによる影響で1年の延期が決まったため、当初大会が予定されていた2020年に24歳になった選手も出場可能とする措置が取られた。

予選

各大陸別に予選を行う。FIFAワールドカップの予選と同様、各大陸に出場枠が割り当てられ、予選の方式は各大陸のサッカー連盟に方法が一任されている(このため予選の方法が毎回変わることがある)。

U-23の大会となった1992年以降、各大陸別のオリンピック出場枠は以下の通りである。FIFAワールドカップの予選と同様、大陸間プレーオフ枠が設けられる場合もあり、以下の表ではこれを0.5枠で表記する。(H:開催国枠、(W):大陸間プレーオフ勝利、(L):大陸間プレーオフ敗戦)

大陸連盟により、五輪独自の予選を実施する場合と、別の大会が予選を兼ねる場合がある。

  • アジアサッカー連盟(AFC)では、2012年ロンドン大会までは個別の予選を実施していたものの、2016年リオデジャネイロ大会以降は前年のAFC U23アジアカップがオリンピック予選を兼ねている。
  • アフリカサッカー連盟(CAF)は2012年ロンドン大会より、五輪前年のアフリカ U-23ネイションズカップ(実際は大会時点でU-22)がオリンピック予選を兼ねている。
  • 南米サッカー連盟(CONMEBOL)は、2004年までは五輪独自の予選を実施していたものの、2008年から2016年については南米ユース選手権(U-20の大会。2年に一度開催)のうち五輪前年に開催される大会がオリンピック予選を兼ねるものとしていた(五輪出場権を得たチームは、五輪時にU-23になる選手で改めてチームを構成する)。2020年より五輪独自の予選を再開すると発表した。
  • 北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)では、五輪独自の予選を実施することが通例となっているものの、決勝戦まで実施して優勝チームを決定するなど、大陸選手権としての位置づけもあるフォーマットとなっている(例:2012年ロンドン大会予選)。
  • オセアニアサッカー連盟(OFC)では、2016年リオデジャネイロ大会の予選は前年のパシフィックゲームズサッカー競技が兼ねた。
  • 欧州サッカー連盟(UEFA)はUEFA U-21欧州選手権にオリンピックの予選を兼ねさせている。U-21の名称は予選開始時のレギュレーションによるものであり、予選開始から2年後の本大会では五輪と同じく23歳以下の選手による大会となる。2004年アテネオリンピックまではU-21欧州選手権の本大会と五輪の開催年が重なっており、本大会を戦った選手がそのまま五輪に出ることが多かった。しかし2006-07年大会からはワールドカップとオリンピックの中間年に本大会が開催されるため、本大会を23歳のときに戦った選手は翌年の五輪にはオーバーエイジで加入しない限り出場できない。したがって、現在の欧州の五輪代表はU-21欧州選手権時のメンバーの多くの選手を五輪時にU-23になる選手に入れ替えて五輪に出場している。例えば、2012年ロンドンオリンピックに出場したU-23サッカーベラルーシ代表は、2011年U-21欧州選手権時のメンバーから11人を入れ替えて出場した。
    • 上述の通り、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4代表は(当該4協会ならびにイギリスオリンピック委員会によりチームを編成しない限り)出場資格がないので、それらのチームが出場権を獲得する順位に入った場合は、それ以下の順位の国が繰り上がりで出場権を獲得する。

本大会

初期には、3チーム総当たりであった1904年大会を除き、ノックアウトトーナメントで行われていた(なお1920年大会はダブルイリミネーション方式を採用)。その後1960年ローマオリンピックより1次ラウンドはグループリーグ方式で実施されるようになった。1964年東京オリンピック以降は、1次ラウンドは出場16チームを4チームずつ4組に分けて1回総当りのリーグ戦を行い、各組2位までの8チームでノックアウト方式の決勝トーナメントを行っている。 他の競技ではこのリーグ戦に「予選(preliminary)」という用語が使われるが、サッカーにおいては当初より"First Round"または"First Stage"としており、東京オリンピックの組織委員会および日本蹴球協会はこれに「1次リーグ」という訳語を使用するよう要請した。

女子

出場資格

女子には年齢制限がない。以前、男子に制限として設けられた、ワールドカップに出場した選手はオリンピックに出場できないという制限も設けられていない。参加国数はFIFA女子ワールドカップより少ない。

予選

最初の2大会(1996年アトランタオリンピック・2000年シドニーオリンピック)は、それぞれ前年のFIFA女子世界選手権(現:FIFA女子ワールドカップ)が予選を兼ね、上位7チームおよび開催国の計8チームで競技が行われた。2004年アテネオリンピックからは、男子同様に各大陸ごとの予選により出場チームが選出されることになった。男子同様、予選の方式は各大陸のサッカー連盟に一任されている。

各大陸ごとの予選により出場チームが選出されるようになった2004年以降、各大陸別のオリンピック出場枠は以下の通りである。(H:開催国枠、(W):大陸間プレーオフ勝利、(L):大陸間プレーオフ敗戦)

ヨーロッパ地区については、2004年アテネオリンピックから2020年東京オリンピックにおいては引き続きFIFA女子ワールドカップを予選として用いており、「ヨーロッパのチームをFIFA女子ワールドカップの成績で順位付けし、オリンピックへの出場チームを決定する」ものとしていた。FIFA女子ワールドカップの結果のみで出場チームを決定できなかったため、別途プレーオフを実施した例もあった(2008年大会予選・2016年大会予選)。その後2024年パリオリンピックより、新設されるUEFA女子ネーションズリーグがオリンピック予選を兼ねるものとした。

南米地区については2008年北京オリンピックより、オリンピックの2年前に実施されるコパ・アメリカ・フェメニーナが予選を兼ねており、女子ワールドカップ(オリンピック前年に実施)の出場国と同時に決定される。またオセアニア地区については、2020年東京オリンピックと2019年女子ワールドカップの双方の予選大会として2018 OFC女子ネイションズカップを実施した。

結果

男子

女子

統計

男子

U-23大会化以降

女子

脚注

注釈

出場国に関する注釈

出典

関連項目

  • オーバーエイジ
  • オリンピックのサッカー競技・メダリスト一覧
  • オリンピックのサッカー競技・会場一覧

外部リンク

  • サッカー: オリピックヒストリー、ルール、最新情報、パリ2024に向けての大会
  • Men's Olympic Football Tournament - FIFA.com(英語)
  • Women's Olympic Football Tournament Tokyo 2020 - FIFA.com(英語)
  • RSSSFによる男子競技の記録
  • RSSSFによる女子競技の記録

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: オリンピックのサッカー競技 by Wikipedia (Historical)


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