文政(ぶんせい、旧字体:文󠄁政)は、日本の元号の一つ。文化の後、天保の前。1818年から1831年までの期間を指す。仁孝天皇の即位に伴い定められた(代始改元)。前元号の文化期と併せ、町人文化が顕著に発展した時期であり、それを化政文化という。
改元
- 文化15年4月22日(グレゴリオ暦1818年5月26日): 仁孝天皇即位のため改元
- 文政13年12月10日(グレゴリオ暦1831年1月23日): 天保に改元
朝廷は7つの案を出した上で「文政」と「文長」を推し、幕府はこれを受けて「文政」を新元号とした。
出典
『尚書』舜典の「舜察天文、斉七政」から。
文政年間の出来事
- 文政2年(1819年)6月 : 新文字金発行。
- 文政3年(1820年)5月 : 新文字銀発行。
- 文政5年(1822年):北辰一刀流創始者・千葉周作が現在の群馬県に進出しようとし、北辰流の門弟達と地元の馬庭念流が衝突寸前の事態に発展(伊香保神社掲額事件)。
- 文政5年(1822年)8月:信濃国で洗馬騒動。
- 文政6年(1823年): ドイツ人シーボルトがオランダ商館員として来日。
- 文政8年(1825年): 江戸幕府が異国船打払令。
- 文政8年(1825年)12月 : 信濃国で赤蓑騒動。
- 文政11年(1828年): シーボルトが天文方高橋景保から贈られた伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』の縮図を国外に持ち出そうとしていたことが発覚。江戸幕府はシーボルトにスパイ嫌疑をかけ、また、シーボルトの情報収集に協力した疑いで高橋景保ら多くの日本人有識者を投獄(シーボルト事件)。
- 文政11年(1828年)8月 : シーボルト台風来襲。九州地方北部を中心に死者1万9千人以上。
- 文政12年(1829年): 文政の大火。
- 文政13年(1830年)夏~秋: 阿波を中心にお蔭参り大流行。
- 文政13年5月10日(1830年6月26日) ナサニエル・セイヴァリー(Nathaniel Savory)ら25名が小笠原諸島父島に入植する。
- 文政13年7月2日(1830年8月19日)京都亀岡付近を震源とするマグニチュード6.5±0.2の地震発生(京都地震)
誕生
- 文政2年(1819年): 阿部正弘(江戸幕府老中首座 備後福山藩主)、安藤信正(江戸幕府老中 陸奥平藩主)
- 文政4年(1821年): 胤康
- 文政6年(1823年): 勝海舟
- 文政7年(1824年): 徳川家定(江戸幕府第13代将軍)、大村益次郎、久邇宮朝彦親王(明仁上皇の曽祖父)
- 文政8年(1825年): 岩倉具視、松本喜三郎
- 文政10年(1827年): 西郷隆盛、深井静馬
- 文政11年(1828年): 深見篤慶
- 文政13年(1830年): 大久保利通
死去
- 文政元年(1818年): 徳本上人(享年61)、司馬江漢(享年71)、松平治郷(享年67)
- 文政4年(1821年): 西保周太郎(甲斐国の博徒)
- 文政5年(1822年): 上杉鷹山(米沢藩主 享年71)、松浦検校(音楽家)
- 文政6年(1823年): 河内山宗春
- 文政8年(1825年): 雷電爲右エ門(享年58)
- 文政10年(1827年): 高田屋嘉兵衛(享年58)、小林一茶(享年65)、大槻玄沢(享年70)、徳川治済(享年77)
- 文政11年(1828年): 大黒屋光太夫(享年77)
- 文政12年(1829年): 松平定信(江戸幕府老中 享年72)、近藤重蔵(享年58)、高橋景保(享年45、獄死)
西暦との対照表
※は小の月を示す。
脚注
関連項目
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