『フレッシュジャンプ』 (Fresh Jump) は、集英社が発行していた日本の漫画雑誌。1982年に隔月刊誌として創刊し、翌1983年より月刊化。1988年に休刊。隔月刊時代に通巻8号、月刊化後に通巻65号(増刊含む)の計73号が発刊された。
1982年7月、「新鮮(フレッシュ)な作家による、新鮮な少年漫画、新鮮な雑誌作り」をコンセプトに創刊された。誌名の由来は、当時の新人漫画賞であったフレッシュジャンプ賞から。編集長は当時『週刊少年ジャンプ』の編集長だった西村繁男が兼任。新人漫画家の作品を積極的に採用し、『週刊少年ジャンプ』連載作家の読切も多く掲載された。原哲夫・徳弘正也・猿渡哲也・まつもと泉・桂正和・えんどコイチ・富沢順・森下裕美・佐藤正・こせきこうじ・あろひろしなどを輩出し、新人漫画家の登竜門として『週刊少年ジャンプ』の2軍誌のような位置付けとなっていた。
1983年9月号をプレ月刊号として、1983年9月発売の10月号より月刊化。隔月刊時の創刊号(1982年8月号)では、13本の掲載作品のうち、連載作品は「闘将!!拉麵男」(ゆでたまご)1本のみで、残りは全て読切作品で構成されていた。しかし、徐々に連載の本数が増えて行き、同時に3つの新連載を開始した1985年(昭和60年)4月号以降の読切本数は毎号2本前後となり、1985年11月号からは読切が1本も掲載されない号も増えていく。
創刊当時、『週刊少年ジャンプ』の副編集長として後藤広喜と中野和雄が在籍していたが、同期入社である両名の意見がしばしば対立し、現場に混乱が生じていた。このため、編集長であった西村は『フレッシュジャンプ』を月刊化し、中野を副編集長に異動させた。中野は後藤および『週刊少年ジャンプ』に対抗心を抱き、自身が担当していたゆでたまごに「闘将!!拉麵男」の連載を強行させる。『週刊少年ジャンプ』に「キン肉マン」を連載中であったゆでたまごは、2つの連載作品を同時執筆することとなり、1985年には原作担当の嶋田が腰痛(椎間板ヘルニア)の悪化で入院するという問題が発生する。
更に西村が編集長を退任し、中野が編集長に昇格すると『フレッシュジャンプ』は新人育成のコンセプトを逸脱し、さらに独立志向を強めていく。『週刊少年ジャンプ』は新人育成のために別に増刊を刊行せざるを得なくなったことから、発行人に昇格していた西村の判断により、1988年(昭和63年)12月発売の1989年1月号を持って休刊となった。一部の作品は『月刊少年ジャンプ』『月刊少年ジャンプ増刊ジャンプオリジナル』へ移籍し、西村が創刊編集長を務めた青年誌『スーパージャンプ』も含め、執筆陣の再編が行われた。この辺りの経緯については、西村の著書「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」に詳しい。
連載作品の単行本は『週刊少年ジャンプ』『月刊少年ジャンプ』と同じくジャンプ・コミックスより発刊されていた。
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