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南巨摩郡


南巨摩郡


南巨摩郡(みなみこまぐん)は、山梨県の郡。

人口30,411人、面積984.81km²、人口密度30.9人/km²。(2024年5月1日、推計人口)

以下の4町を含む。

  • 早川町(はやかわちょう)
  • 身延町(みのぶちょう)
  • 南部町(なんぶちょう)
  • 富士川町(ふじかわちょう)

郡域

1878年(明治11年)に発足した当時の郡域は、上記4町から富士川以東および富士川町平林を除いた区域にあたる。

山梨県内では公的機関の所在・管轄する地域を示す名称の一部として峡南(きょうなん)とも呼ばれる場合がある。

歴史

郡発足までの沿革

  • 「旧高旧領取調帳」に記載されている、巨摩郡のうち後の当郡域の、明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は寺社除地が存在。(77村)
  • 慶応4年
    • 5月24日(1868年7月13日) - 田安徳川家が立藩して田安藩となる。
    • 9月4日(1868年10月19日) - 市川代官所の管轄地が市川県の管轄となる。
    • 10月28日(1868年12月11日) - 田安藩領を除く全域が甲斐府の管轄となる。
  • 明治2年
    • 7月20日(1869年8月27日) - 甲斐府が甲府県に改称。
    • 12月26日(1870年1月27日) - 田安藩が廃藩。
  • 明治3年
    • 5月 - 旧・田安藩領が正式に甲府県の管轄となる。
    • 11月20日(1871年1月10日) - 甲府県が山梨県に改称。
  • 明治7年(1874年)から明治9年(1876年)にかけて下記の町村の統合が行われる。カッコ内は統合時期。(25村)
    • 増穂村 ← 長沢村、大椚村、青柳村、最勝寺村、小林村、大久保村、天神中条村、舂米村、小室村、高下村(明治7年10月)
    • 五開村 ← 十谷村、鳥屋村、長知沢村、柳川村、箱原村(明治8年1月)
    • 大須成村 ← 大塩村、久成村、平須村(明治8年4月)
    • 曙村 ← 遅沢村、江尻窪村、梨子村、中山村、福原村、古長谷村、矢細工村(明治9年8月)
    • 五箇村 ← 笹走村、榑坪村、千須和村、薬袋村、塩之上村(明治7年12月)
    • 都川村 ← 京ヶ島村、草塩村、保村、西之宮村、黒桂村(明治7年12月)
    • 三里村 ← 早川村、大原野村、新倉村(明治7年12月)
    • 本建村 ← 初鹿島村、小縄村、高住村、赤沢村(明治7年12月)
    • 硯島村 ← 大島村、雨畑村(明治7年12月)
    • 身延村 ← 身延村、波木井村、梅平村、大野村(明治8年1月)
    • 豊岡村 ← 小田船原村、門野村、大城村、相又村、清子村、光子沢村、横根中村(明治8年11月)
    • 睦合村 ← 中野村、本郷村、南部村、成島村、塩沢村、大和村(明治7年1月)
    • 富河村 ← 楮根村、福士村、万沢村(明治7年)
    • 福居村 ← 下山村、粟倉村(明治8年)

郡発足後の沿革

  • 明治11年(1878年)12月19日 - 郡区町村編制法の山梨県での施行により、巨摩郡のうち25村の区域をもって南巨摩郡が発足。郡役所を鰍沢村に設置。
  • 明治22年(1889年)7月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。[ ]は改めて再編された町村。(22村)
    • 増穂村鰍沢村五開村(現・富士川町)
    • 西島村大須成村切石村[手打沢村・寺沢村・切石村・夜子沢村]、八日市場村伊沼村飯富村曙村(現・身延町)
    • 五箇村都川村三里村本建村硯島村奈良田村[湯島村・奈良田村](現・早川町)
    • 身延村豊岡村(現・身延町)
    • 睦合村富河村[富河村のうち楮根・福士]、万沢村[富河村のうち万沢](現・南部町)
    • 福居村(現・身延町)
  • 明治23年(1890年)4月1日 - 奈良田村が改称して西山村となる。
  • 明治24年(1891年)8月1日 - 郡制を施行。
  • 明治25年(1892年)
    • 4月1日 - 増穂村の一部(小室・高下)が分立して穂積村が発足。(23村)
    • 9月1日 - 切石村が静川村に改称。
  • 明治29年(1896年)
    • 3月7日 - 福居村が改称して下山村となる。
    • 8月1日 - 鰍沢村が町制施行して鰍沢町となる。(1町22村)
  • 大正12年(1923年)3月31日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)6月30日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和6年(1931年)1月1日 - 身延村が町制施行して身延町となる。(2町21村)
  • 昭和8年(1933年)7月1日 - 八日市場村・伊沼村・飯富村が合併して原村が発足。(2町19村)
  • 昭和26年(1951年)4月3日 - 増穂村が町制施行して増穂町となる。(3町18村)
  • 昭和29年(1954年)
    • 6月1日 - 増穂町が中巨摩郡平林村を編入。
    • 8月17日 - 西島村・大須成村・静川村・曙村が合併して中富町が発足。(4町14村)
  • 昭和30年(1955年)
    • 2月11日(5町10村)
      • 身延町・下山村・豊岡村が西八代郡大河内村と合併し、改めて身延町が発足。
      • 富河村・万沢村が合併して富沢町が発足。
    • 3月1日 - 穂積村が増穂町に編入。(5町9村)
    • 4月1日(6町7村)
      • 鰍沢町・五開村が合併し、改めて鰍沢町が発足。
      • 睦合村が西八代郡栄村と合併して南部町が発足。
    • 8月1日 - 原村が中富町に編入。(6町6村)
  • 昭和31年(1956年)9月30日(7町)
    • 鰍沢町が西八代郡大同村の一部(羽鹿島および黒沢の一部)を編入。
    • 五箇村・都川村・三里村・硯島村・本建村・西山村が合併して早川町が発足。
  • 昭和33年(1958年)4月1日 - 中富町が西八代郡共和村の一部(宮木・下田原)を編入。
  • 平成15年(2003年)3月1日 - 南部町・富沢町が合併し、改めて南部町が発足。(6町)
  • 平成16年(2004年)9月13日 - 身延町・中富町が西八代郡下部町と合併し、改めて身延町が発足。(5町)
  • 平成22年(2010年)3月8日 - 鰍沢町・増穂町が合併して富士川町が発足。(4町)

変遷表

市町村合併

中富町・身延町と西八代郡下部町は2004年9月13日をもって合併して「身延町」となった。これにより、旧下部町域は西八代郡から南巨摩郡となった。

北部の増穂町・鰍沢町については、2004年に増穂町が実施した住民投票で鰍沢町との合併への賛成票が反対票を下回る結果となったことから、一時は破談となったが、2007年の増穂町長選挙で合併推進派の町長が誕生したことによって再度協議が行われ、2010年3月8日をもって合併して「富士川町」になることが決定した。

行政

歴代郡長

脚注

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 19 山梨県、角川書店、1984年9月1日。ISBN 4040011902。 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

  • 中巨摩郡
  • 北巨摩郡

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 南巨摩郡 by Wikipedia (Historical)



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