野田市(のだし)は、千葉県の北西部に位置する市。
人口は約15.2万人。都市雇用圏における東京都市圏。健康都市連合加盟都市。東葛地域にある。江戸川や利根運河の水運で栄えた醤油五大名産地の一つ。醸造関連遺産は近代化産業遺産に認定されている。
1950年(昭和25年)市制施行。
古くは江戸川の河岸を中心に水運で発展した。鉄道開通後は駅を中心に東京都の都心のベッドタウンとして住宅開発が進む。東武野田線(東武アーバンパークライン)「野田市駅」周辺はキッコーマンの創業地であり、本社を置く企業城下町としても知られる。ここから毎日、全国に醤油が出荷されている。
豪商のお屋敷や醤油蔵など近代化産業遺産「野田市の醸造関連遺産」として数多く現存している。関東の富士見百景「野田市からの富士」に選定されている。
野田という地名の由来は諸説あり、有力な説に「野田右馬助という武将が館を構えたことに由来する」というものがあるが、「野田の地名を取って野田右馬助を名乗った」とする説も存在するため定かではない。
千葉県最北端の市であり、北緯36度線が通る。県庁所在地である千葉市から約40キロメートルの距離である。東京都の都心から30 - 40キロメートル圏内である。都市雇用圏における東京都市圏に含まれ、東京都特別区部への通勤率は13.2%(平成27年国勢調査)。
関東平野のほぼ中央に位置しており、市の中心部は下総台地、市の東を利根川、西を江戸川、南を利根運河によって、三方を河川に囲まれている。利根川を挟んで対岸が茨城県、江戸川をはさんで対岸が埼玉県である。
野田は江戸時代以前の記録に乏しいが、小規模な遺跡が点在しており、古くから開かれていた土地であることがわかる。古代の遺跡としては野田貝塚、山崎貝塚などが残っており、中規模の集落があったとみられている。
中世の遺跡としては、後三年の役で活躍した鎌倉景正の居城や、古河公方の重臣・野田右馬助の居城があったと伝えられている。ただし遺構は発見されていない。
また尾崎には、鎌倉幕府の有力な御家人だった野本家定の城館と伝えられる、比較的規模の大きい城館跡も残っている。木野崎には、国人の一色数馬の城館跡が残っており、豊臣秀吉の派遣した軍との戦いがあったと伝えられている。
徳川家康の江戸入府後には、1590年(天正18年)に岡部長盛の居城が山崎に築かれ、のちに堤台に移ったと伝えられている。これらの遺構や伝承はある程度残っているものの、記録が少ないため中世の情報は不明な点が多い。
野田は江戸時代に入るとやや記録が増える。これは、大消費地となった江戸に出荷する醤油産業が興り、恵まれた水運を利用して、醤油の一大ブランド地として栄えていったためとされる。陸上交通として、日光東往還が通されたため、山崎宿・中里宿などの宿場も興った。
1970年代以降、国道16号沿線に工場や物流施設が多数移転し、東武野田線を通勤路線として東京のベッドタウン化が進む。しかし、1990年代以降都心回帰現象の影響を受け、青年男子層が進学・就職を機会に市外に流出、高齢化の進展を見ている。
近年都市再生機構が市南部みずき(旧山崎)地区に開発を進めている野田みずきの街や、つくばエクスプレスの開業により東京都心へのアクセスが早くなった事から、人口は再び増加に転じている。
金田一春彦の回想録によると東京方言との間に特筆すべき差がないとされているが、茨城県南西部や埼玉県南東部とともに下総国葛飾郡を構成していたためか、中・高年齢者には西関東方言(千葉県・埼玉県の他地域など)と東関東方言(茨城県など)が混合したような方言の話者が多い。この場合、アクセントも茨城弁ほどでないにせよ曖昧化・崩壊が見られ、東京式アクセントとはほど遠い。同様の方言は、隣接する流山市や埼玉県吉川市・三郷市などでも聞かれ(葛飾方言)、北へ行くほど東京式アクセントとの乖離が大きい傾向がある。
2010年の国勢調査で15万5446人を記録して以降は減少傾向となっている。2021年の人口は約15万2000人。
1997年(平成9年)10月20日に関東運輸局千葉運輸支局習志野自動車検査登録事務所より分割される形で野田自動車検査登録事務所が業務を開始し「野田ナンバー」が生まれた。
野田ナンバー管轄区域:松戸市、柏市、我孫子市、流山市、野田市(このうち、柏市と我孫子市にはご当地ナンバーである「柏ナンバー」が、松戸市には「松戸ナンバー」が与えられる)。
2009年9月29日、野田市議会において公契約条例案が可決された。これは、市発注の公共事業を受注した業者に対して、市が定めた最低賃金以上を労働者に支払うよう義務づけるものであり、全国初の条例となる。低価格競争による賃金低下が指摘される中、一定額の賃金を確保することで労働者の質の低下を防ぎ、業務の質を確保するのが狙いである。
醤油業界最大手のキッコーマン株式会社と白醤油部門では業界最大手のキノエネ醤油株式会社が所在。国内3分の1程度を生産する日本最大の醤油生産地である。
南部工業団地内にある、東京電力パワーグリッド新野田変電所は、総出力794万kVA(2006年(平成18年)4月現在)であり世界最大級の変電所として1999年(平成11年)10月にギネス世界記録に認定された。
他に市内には、野田地域(中心市街地)があるほか、旧日光街道沿い、川間駅周辺に商店が集中する。
指定金融機関は千葉銀行。
住民の自治会加入率が非常に高く、市が発行する広報誌(市報)の配布やごみの収集などは自治会を通じて行われる。2007年(平成19年)7月15日付けで、野田市報の発行が1000号になった。特集として今までの市報や市報の移り変わりなどを掲載した。
合併によって誕生したまめバス、いちいのホールなどが合併のモデルケースとして総務省によって全国に紹介された。小渕内閣時代に緊急経済対策とした実施された地域振興券の交付開始が、他4市町村と共に全国2番目であった。(1999年(平成11年)1月29日:島根県浜田市、2月1日:北海道新冠町、福島県北塩原村、千葉県野田市、和歌山県清水町、愛媛県八幡浜市)
郵便番号は以下が該当する。2集配局が集配を担当する。
二次医療圏(二次保健医療圏)としては東葛北部医療圏(管轄区域:鎌ヶ谷市を除く東葛地域)である。三次医療圏は千葉県医療圏(管轄区域:千葉県全域)。
医療提供施設は特筆性の高いもののみを記載する。
江戸時代、野田(旧野田町地域)は天領や旗本の知行地で野田には支配者としての武士階級の者が住むことはほとんどなかった。したがって江戸時代の教育を支えた藩校といった教育機関もなく、幕末を別にすれば寺子屋といったものもあまりなかったとみられる。著名な学者を生んだとか学者が住んだというような歴史もなくごく平凡な農村地域であった。江戸時代の旧野田町地域は、教育が進んだ地域ではなく、読み書きができたのは村役人や僧侶、医者、浪人など限られていたとみられる。
幕末には全国の傾向と同じく野田にも庶民に教える寺子屋が多くできたが、その大半は僧侶や医者が教えるもので、何を教えたのかについては不詳であるものの、わかっているものでは基本的な読み書きやそろばん算術など、女子には裁縫などを教えていたものとみられる。それに対して関宿地域は関宿藩の領地で武士も住み、武士の子弟の教育のため藩校も開かれ、それを教えるために学者も招かれていた。関宿では旧野田地域とは違い、武士ばかりではなく優秀であれば百姓町民も学ぶことができたようである。
明治5年明治政府は学校制度の整備を始め、全国を8大学区256中学区53760小学校区にわけそれぞれに小学校を設けることにした。野田では明治6年の愛光小学校(これはすぐに野田小学校と改名し、さらに大口寄付者の名により茂木小学校と改名する)が開校するなど明治5年から8年にかけて小学校が次々と開校していった。しかし初期の教育制度は未整備で学校制度は様々な試行錯誤を重ねていく。
学校教育先進都市でもあり、全国に先駆け「土曜日対策」としてサタデースクール、オープンサタデークラブなどを開始した。また、マイステップ(算数、数学)など独自の副教本の作成や少人数授業、二学期制導入などさまざまな政策を行っている。2014年にはサタデースクールにかわり、県内唯一となる隔週の「土曜授業」が開始された。
上記以外にキャリア教育に力をいれ、中学2年生には野田市統一で3日間の職場体験学習を行っている。受け入れ先は野田市内外で300を越え、学校別に見ても大規模なところでは100近くにもなる。中学1年生で職場見学を行っているところも多い。また小学6年生はキャリア教育の一環として職場見学を行っているところもある。
日本ナサニエル・ホーソーン協会は事務局を東京理科大学理工学部川村幸夫研究室内に置く。
東葛飾地方中学校駅伝競走大会は、松戸市と野田市を基点として開催されている。
特別支援学校
野田市の市外局番は全域で「04」である。
元は旧野田市域の市外局番は04712(市内局番なし)となっていたが、1966年(昭和41年)1月30日より、0471(市内局番は22)に変更。
元は我孫子市、柏市、流山市、野田市を対象とした市外局番は0471であったが、市内局番の不足に伴い、2002年(平成14年)2月よりこれまでの「0471」の市外局番のうち、「71」を市内局番にまわし、市外局番を「04」に変更した。
桁を2つずらした理由には、市内局番の初めを「1」から始めてはいけない決まりによるもので、桁ずれによる市外局番2桁化はこれが初例となった。埼玉県所沢市などの「042-9」(その前は「0429」)、千葉県鴨川市などの「0470」のうち市内局番の先頭が9の地域の市外局番も「04」に変更されており、これらの市外局番04地域に電話をかける場合は04を最初に回すことになる。ただし、天気予報は従来と同じく「0471-177」である。
現在も電話番号の部分が「0471」のままの看板等も多く残っている。
収容局は以下の5ビルが該当し、市内局番は以下の通り。
市内を走る鉄道は東武野田線の1路線のみ。都心へ鉄道でアクセスするには野田線と接続する各路線の駅を経由する形となる。
かつては野田人車鉄道が敷設されていた。野田線は衛星都市間をつなぐ環状の路線であること、単線運行区間が存在することに加えて、市内の区間では急行運転を行っておらず、都心から30キロ圏の自治体としては都心への所要時間が比較的長い。これに対して、東京直結鉄道(後述)の誘致に向けた活動を行っているが、実現のめどは立っていない。また、常磐線輸送力整備・新線建設促進期成同盟が常磐線の輸送改善や新線建設の促進を働きかけている。
また、南部地区では隣の流山市にある運河駅を利用する客も多い。
市内に高速道路は通っていないが、常磐自動車道(常磐道)の流山インターチェンジ(流山市)、及び柏インターチェンジ(柏市)を利用すれば、5 - 10分程で野田市街へ向かう事が可能である。
また市北部(旧関宿町域)では首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の五霞インターチェンジ(茨城県猿島郡五霞町)、及び境古河インターチェンジ(茨城県猿島郡境町)が最寄りとなる地域もある。
2020年の下総利根大橋有料道路の無料化をもって、市内の有料道路すべてが無料化された。
国土交通省関東地方整備局が募集した関東の富士見百景に、市内4ヶ所が「野田市からの富士」1景として選定されており、野田の醤油生産と髙梨氏庭園などはちば遺産100選(利根川・江戸川と水運のゾーン)に選定されている。
かつて大利根温泉や野田の湯 湯食館があったが、近年スーパー銭湯などの温浴施設が増えている。近隣市町村の温浴施設とも激しい競合が行われている。これらの温浴施設は半径5キロメートル以内に集中している。
国・県指定および国登録文化財一覧。
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