1952年の日本シリーズ(1952ねんのにっぽんシリーズ、1952ねんのにほんシリーズ)は、1952年10月11日から10月18日まで行われた第3回プロ野球日本選手権シリーズである。水原茂監督率いる読売ジャイアンツと山本一人監督率いる南海ホークスとの2年連続同一カードによると対決となった。
10月11日 後楽園球場 入場者数 23794人
[審判]セ島(球)パ横沢、セ筒井、パ上田(塁)セ杉村、パ苅田(外)
2回、巨人は2つの四死球で得たチャンスで先発投手別所毅彦のタイムリーヒットで先制。3回には川上哲治の2ラン本塁打で追加点。南海は飯田徳治の2ラン本塁打と黒田一博の適時打で同点としたが、その裏巨人は4長打や千葉茂のスクイズで再び3点を奪い返し、突き放した。別所は4回以外は失点がなく完投勝利。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
10月12日 後楽園球場 入場者数 26799人
[審判]パ二出川(球)セ筒井、パ横沢、セ津田(塁)パ上田、セ杉村(外)
巨人打線が序盤から爆発、南海を圧倒した。2回は広田順、先発投手藤本英雄の連続適時打で3点先取。4回には藤本の2ラン本塁打で追加点。その後も追加点を重ねて11-0と一方的な展開となった。藤本は投げては4安打完封、打っては本塁打を含む4打点と投打に活躍した。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
10月14日 大阪球場 入場者数:23744人
[審判]セ島(球)パ横沢、セ津田、パ上田(塁)セ杉村、パ苅田(外)
大阪球場に舞台を移した第3戦は南海がチームトップタイの19勝を挙げた柚木進、巨人が大友工。第2戦で爆発した巨人打線だが、この日は柚木進の前に6安打を奪ったものの要所を締められ、完封を喫した。打撃面では堀井数男が3打点の活躍。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
10月15日 大阪球場 入場者数:20117人
[審判]パ二出川(球)セ筒井、パ苅田、セ津田(塁)パ上田、セ杉村(外)
南海が服部武夫、巨人が別所の先発。1-1と同点の6回、巨人は二死から川上、青田の連打で勝ち越し、宇野光雄の四球のあと広田がタイムリー二塁打を放ち3-1とした。南海は7回、2番手投手江藤正の代打・村上一治のタイムリーヒットで1点差に追い上げたが、8回巨人がリリーフした大神を攻略、4安打を集中して3点を奪い、勝負を決めた。別所は第1戦に続く完投勝利。打っても2安打2打点の活躍だった。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
10月16日 大阪球場 入場者数:15297人
[審判]セ島(球)パ上田、セ筒井、パ横沢(塁)セ津田、パ苅田(外)
1-1同点の3回、南海は江藤、蔭山和夫の連続ヒットで無死一、二塁。続く木塚忠助の送りバントを藤本が三塁へ悪送球して無死満塁。続く島原輝夫の一塁ゴロを川上が本塁封殺を狙うもセーフ(記録は野選)。飯田の犠牲フライ、堀井の遊撃ゴロ併殺崩れでさらに2点を追加、4-1と南海がリードを広げた。巨人は江藤から9安打を奪ったが初回の1点以外奪えなかった。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
10月18日 後楽園球場 入場者数:34595人
[審判]パ二出川(球)セ津田、パ横沢、セ筒井(塁)パ苅田、セ杉村(外)
再び舞台は後楽園球場。初回、森下整鎮の2ランで南海が先制。巨人は南海先発・柚木に対して、5回一死から藤本の二塁打、与那嶺が四球のあと、千葉の右中間を破る2点タイムリー二塁打で同点とした。続く6回、ヒットの川上が送りバントと内野ゴロで三塁へ。打者広田という場面で柚木の暴投で、巨人が拾いものの勝ち越し点を挙げた。6回から藤本をリリーフした別所が南海打線を封じ、巨人が2年連続の日本一となった。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
この年から、在京の民放ラジオ局(当時はラジオ東京のみ)での実況も行われるようになった。
※朝日放送が制作した中継放送は、第1・2・6戦は中部日本放送・ラジオ九州・信越放送・神戸放送を結んで、第3・4・5戦は左記に加えラジオ東京・四国放送・北日本放送も結んで放送された。
※ラジオ東京が制作した第6戦の中継の一部が、TBSラジオのアーカイブに保存されている最古のプロ野球の音源として2023年10月27日の「金曜ワイドラジオTOKYO えんがわ」で放送された。
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