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抹茶


抹茶


抹茶(まっちゃ)とは、摘む前の茶葉を2~3週間日光をさえぎる事で作った茶葉を揉まずに乾燥させた「碾茶」(てんちゃ)を臼などで粉末状にしたもの(詳細後述)。

日光をさえぎる事により乾燥茶葉中のアミノ酸量が煎茶の2倍程度になり、うま味の強い味がする。日本では茶道で飲用される。


ただし実際には上記の定義を満たさないものも「抹茶」として売られている。これらは正しくは抹茶ではなく粉末茶の一種である(詳細後述)。こうした「抹茶」は安価であるので菓子、料理、飲料などの素材として広く用いられる。

「碾茶」と「抹茶」の流通量を比較すると、世間で流通している抹茶の7割弱は本来の意味の抹茶ではないと見られている。

なお「粉末状の緑茶」には(本来の意味での)「抹茶」、「粉末茶」の他に「粉茶」と「インスタントティー」がある。これらの違いについては後述する。

定義

日本茶業中央会による定義

公益社団法人日本茶業中央会は抹茶を以下のように定義している:

ここで「碾茶」は以下のように定義される:

この定義は消費者庁の食品表示企画課による食品表示基準Q&Aにも「参考」として引用されている。

ISOによる定義

茶類を分類したISO 20715:2023Tea — Classification of tea types」では抹茶は以下のように定義されている:


本来の意味での抹茶

特徴

抹茶は「覆い香」という青ノリのような独特の香りがし、高価なものほど味は「旨味(甘み)が濃厚」で、「苦渋みが少なく」、「まろやか」で「後味が良」いものなり、色も「鮮やかなみどり色」になる。これは「旨味を生む十分な肥料や、香りや少ない苦渋みを実現する覆い(遮光)の設備や手間・技術など、多くのコストがかかることに由来」する。

化学的には、抹茶の製法である茶葉の被覆によりうま味・甘みを呈するテアニンなどのアミノ酸が葉部に蓄積され、「渋み・苦みを有するカテキン類の生産は抑制される」。高価格な抹茶ほどテアニン含有量が高い傾向がある。覆い香はジメチルスルフィドによる。色に関しては茶葉の被覆により多くの光を集めるべく葉緑体量が増える事により濃緑色になる。

飲み方

抹茶を湯と混ぜたものを飲用する。用いる水の量により薄茶(うすちゃ)と濃茶(こいちゃ)に分かれる。薄茶を作ることを「薄茶を点てる(たてる)」、濃茶を作ることを「濃茶を練る(ねる)」という。

後者の方が抹茶の味が濃くなるため、渋みが少なくうま味が多い高価な抹茶を用いる。また薄茶では渋みを抑えるため泡を立てるが、濃茶は泡を立てない。

千利休の時代には「お茶といえば濃茶を指し、薄茶の時のみ、特に薄茶または後の薄茶と記述されて」おり、現在の茶道でも、濃茶を「主」、薄茶を「副(そえ)」、「略式」と捉えている。

なお茶菓子を食べながら飲む紅茶とは異なり、茶道では主役たる抹茶の味を味わう為、菓子を食べ終わったに抹茶を飲む。「回し飲み」をするのは濃茶のみである。

茶道・茶の湯では混ぜる際に専用の道具(茶道具)を使い、「棗」(薄茶の場合)や「茶入」(濃茶の場合)などに保管された抹茶を「茶杓」で「茶碗」に入れ、湯を注ぎ、「茶筅」で混ぜる。古くは抹茶は碾茶の状態で茶壺に保管され、それを自分で茶臼で碾(ひ)いて抹茶を作った。現在でも「口切の茶事」の際にはこれを行う。

薄茶・濃茶それぞれの特徴は以下の通りである(値段、茶の量、湯音、湯量等はあくまで目安):

両者の違いは以下の理由による:

  • 濃茶は抹茶本来のうま味を感じるようにするために薄茶よりも抹茶の量を増やす事から、渋みを感じやすくなるので渋みを抑えた高価な茶を用いる
  • 薄茶は安価な抹茶の渋みを抑えるために泡立てるので、泡立ちやすいよう茶筅は80本立てではなく100本立てを用いる
  • 濃茶の方が湯温が低いので冷めにくいよう厚めの茶碗を用いる
  • 濃茶は茶事のメインなのでより格の高い茶碗を用いる
  • 濃茶は回しのみをするので大きめの茶碗を用いる

薄茶の泡の点て方は「裏千家では、キメ細やかな泡を全体に点て」、「表千家では泡は少なく月のような情景が出るように点てる」。武者小路千家は表千家同様泡が少ない。


なお、愛知県には碾茶を細かく刻んでご飯に混ぜて食べる「碾茶飯」という郷土料理がある。

製法

煎茶、玉露と比較すると、抹茶の製法は以下の通りである。なお以下の表で茶農家が「荒茶の製造工程」を実施して得られるのが「荒茶」(抹茶の場合は「碾茶荒茶」という)である。これを茶問屋が購入して「仕上げ茶の製造工程」を最期まで行って得られる茶が「仕上げ茶」である。

抹茶の場合は「仕上げ茶の製造工程」のうち「切断・選別」「乾燥」まで行ったものを「碾茶」という。なお「碾」は臼を表し、「碾茶などが行われて作られた字」である。

前述のように抹茶は摘む前の茶葉を2~3週間日光をさえぎる事に特徴があるが、上の表のように玉露も同じく日光でさえぎる。違いの一つは玉露は揉まない事と、臼で挽かずに急須で飲む事である。


抹茶の各工程の詳細は下記のとおりである:

生産

令和4年現在、茶の年間生産量自身は静岡県、鹿児島県、三重県が多いが、碾茶の年間生産量は鹿児島県(1392t)、京都府(898t)、静岡県(435t)が多い。同年の全国茶品評会出品茶審査会でも一等は京都府の生産者が独占しており、碾茶の産地賞も京都府の宇治市が受賞している。

類似する緑茶との違い

他の粉状の緑茶との違い

「粉末状の緑茶」には(本来の意味での)「抹茶」の他に「粉末茶」、「粉茶」、「インスタントティー」がある。これらのうち「粉末茶」は本来の抹茶ではないにもかかわらず「抹茶」として売られる事も多い。これら4つの違いは以下の通りである:

寿司屋では粉茶、回転寿司屋では粉末茶やインスタントティー、給茶機ではインスタントティーが飲まれる。

モガ茶・秋碾

(本来の意味での抹茶ではないにもかかわらず)「抹茶」の名称で売られている粉末茶は「碾茶の代用品である「モガ茶」や9~10月に製造される番茶からできた「秋碾」が主」である。

モガ茶とは「建設費用の高価な碾茶炉を使用しないで、煎茶の製造機械を利用して製造される碾茶様の揉みこみの少ない茶」で、「ほとんどは単価の安い露地の秋番」(「秋になって茶の新芽が出なくなった後、翌年のために木を刈り揃える際に摘んだ茶葉で作る番茶」)を用い、「煎茶製造工程から揉捻工程と精揉工程を省い」て製造されるものである。

秋碾とは「秋番を碾茶炉であぶって碾茶に製造したもの」である。

これらは「単独で、又は抹茶に混ぜて」、「加工用抹茶」「食品用抹茶」「工業用抹茶」「食品加工用碾茶」等と称して「もっぱら食品加工用原料」に出荷されるが、「商品として販売されるときに「加工用」や「食品用」の文字が取れ」、「抹茶」として売られる。

他の被覆茶との違い

緑茶の中には抹茶と同様、茶園を遮光資材で被覆する被覆栽培を行うものがあり、このような茶種を被覆茶という。被覆茶には抹茶の他に「玉露」と「かぶせ茶」がある。玉露は抹茶と同様丁寧に被覆するため、アミノ酸のうま味が強く、覆い香がし、鮮やかな緑だが、かぶせ茶は7日程度の被覆なので、いわば玉露と煎茶の中間である:

抹茶(粉末茶含む)のその他の利用法

前述のように本来は「粉末茶」であるものが「抹茶」という名称で売られており、安価である事から下記のように様々な加工食品の材料に用いられる。以下本節では、本来の抹茶、粉末茶の双方を区別せず単に「抹茶」と呼ぶ。

  • グリーンティー(うす茶糖):抹茶とグラニュー糖から成り、湯や牛乳を入れて撹拌して飲む。玉露園が日本で1930年(昭和5年)に初めて商品化した。昭和40年代同社がお茶屋(茶葉販売店)の店頭にドリンクサーバー(ドリンクチラー)を数多く設置し、無料の試供品を提供したことから広く知られるようになり、今では玉露園以外の多数のメーカーも同様の製品を販売している。
  • 和菓子
    • 外郎(ういろう)、生八ツ橋、もみじ饅頭、今川焼きなど
  • 冷菓、氷菓
    • 抹茶アイスクリーム、かき氷、ソフトクリームなど
  • 飲料
    • 抹茶ラテ、抹茶リキュール
  • 焼き菓子
    • カステラ、菓子パン、クッキーなど
  • 洋菓子
    • チョコレート、キャンデー、プリン、パフェなど
  • 天ぷら:食べる際に抹茶と食塩を混ぜたもの(抹茶塩)を用いることがある。また衣に抹茶を加えた抹茶衣の天ぷらも存在する。

このほかにも、フォンデュなども含む和洋中料理やビールを含む飲料に加える食材、調味料として使う飲食店や飲食品メーカーもある。

バーテンダー後閑信吾は茶道具を使用して抹茶のカクテル「Speak Low(スピーク・ロウ」を作り、2012年に、世界的なカクテル競技会「バカルディ レガシー カクテル コンペティション」で優勝した。Speak Lowは、抹茶を茶杓ですくい茶筅を使って茶碗の中で点てて提供される。

戦前は抹茶の覚醒作用やビタミンCの補給が評価され、「航空元気食」「防眠菓子」として、糧秣廠(りょうまつしょう)(軍の食糧庫)に保管された。また、「京都府立茶業研究所が「糖衣抹茶特殊糧食」(固形の抹茶に糖分を含む被膜を施したもの)を開発し、航空機や潜水艦に乗り込む兵士の疲労回復と眠気覚ましとして、広く重用」された。

歴史

主として本来の意味の「抹茶」の歴史を述べる。

中国の唐や宋の時代の茶は、茶葉を固めて塊状にした餅茶(団茶)が主流であった。8世紀頃、中国の陸羽が著した『茶経』には茶の効能や用法が詳しく記されている。それによると、餅茶を固形のまま火であぶり、木製の碾(てん、薬研)で挽いて粉末にし、鍑(現在の茶釜の祖先)で湯を沸騰させ塩を加えて煎じる団茶法であった。また、茶にネギ、ショウガ、ナツメ、みかんの皮、呉茱萸、ハッカの類を入れることもあった。

『茶経』に、茶には觕(そ=粗)茶、散茶、末茶、餅茶の4種類があると述べられている。このうち、「末茶」を抹茶(粉末茶)と解するべきかについては意見がわかれる。末茶の説明として、ただ「煬(あぶる)」とだけあり、乾燥もしくは焙煎のために火にかけて作られた茶であることは確かだが、形状が粉末状であるかは述べられていないからである。ただし餅茶同様、飲む時に碾で挽いて粉末にした可能性はある。

「抹茶」という言葉は使われていないが、茶筅で点(た)てる粉末茶の発生は10世紀の中国と考えられている。文献としては宋時代の蔡襄『茶録』(1064年)や徽宗『大観茶論』(12世紀)などが有名である。これらの文献では龍鳳団茶に代表される高級な団茶を碾で粉末にした後、羅(篩)にかけ、その後、盞(さん、天目茶碗)に粉末を入れて湯を注ぎ、茶筅で点てた。羅のめが細かいと茶が浮かび粗いと沈むとあるので(『茶録』)、粉末の粒子は現代の抹茶より大きかったらしい。京都の建仁寺、鎌倉の円覚寺の四つ頭茶会はこの遺風を伝えている。

皇帝に献上される団茶は表面に光沢を出すために珍膏という油脂類香料を塗ったり、香りのきつい龍脳を入れたりして、茶本来のもつ香りが消し飛ぶほどであった。こうした加工を蔡襄は批判している。また、茶の色も緑や茶色ではなく、白が理想とされた。しかし、茶の粉末を点てても通常は白にならないため、白にするために様々な加工を施さざるを得なかった。たとえば、茶の芽を芽生えたばかりの粒のうちに摘み、それを繰り返し搾り、何度も水を足して研(す)ったりした。また茶の芽の肉の部分を取り除いて筋の部分だけを材料とする「水芽」という白茶の銘柄もあった。

このように宋代の団茶は複雑な製造工程のため、大変な労力と金銭がかかり、また途中のちょっとした落ち度でも失敗してしまうほどであった。当然、庶民には手の届かない高価なものとなった。また味も茶本来のもつ「啜苦咽甘(啜ると苦く、飲み込むと甘い)」(『茶経』)を、無理やり「香甘重滑(香り、甘み、濃さ、滑らかさ)」(『大観茶論』)の四拍子が揃ったものに変え、それを理想とした。こうして団茶(抹茶)は宋代では高価で複雑な加工茶となったため、明代以降、急速に衰退する原因の一つになったという指摘もある。

日本には平安時代初期に唐から喫茶法(おそらく団茶法)が伝えられたが、粉末茶が伝わったのは鎌倉時代とされる。その伝来としては、日本の臨済宗の開祖となる栄西が1191年、中国から帰国の折にチャノキの種子を持ち帰り、肥前国(現・佐賀県)の脊振山に植えたとされる。

栄西の『喫茶養生記』には茶の種類やその製法、身体を壮健にする喫茶の効用が説かれている。1214年(建保2年)には源実朝に「所誉茶徳之書」(茶徳を誉むる所の書)を献上したという。この時代の茶は、褐変しており黒褐色のいわゆる団茶(磚茶)であり、現在の抹茶のような緑色ではなかった。茶色の語源もここから来ていると考えられる。この磚茶を削って煎茶風に飲んだり、粉砕して抹茶風に飲んでいたようである。

ただし、栄西の書には「抹茶」という語は使われていない。また同時代の中国の茶に関する書にもこの語は見いだせない。日本では室町時代の国語辞典『運歩色葉集』(1548年)に「抹茶」の語が掲載されている。

元の王禎の『農書』(1313年)に「末茶」、「末子茶」という語が使われており、そこに記載されている製法は抹茶の製法と矛盾せず、これらは抹茶のことを指すとする説がある。ただしこの書の出版は栄西より約100年後であり、これらの語が日本に伝わり抹茶に転化した具体的な記録は見つかっていない。

栄西の弟子である明恵は、茶の種子が入った茶壺を師より譲り受け、京都栂尾に茶の種を蒔き茶園を開いた。鎌倉時代には、栂尾茶は本茶と呼ばれ、他の地域の茶は非茶と呼ばれるほどの評価を得た。また、伝説では明恵は京都宇治にも茶園を開いたという。ただし、明恵が開いたされる茶園は、厳密には現在萬福寺がある宇治郡小幡の地で、本来の宇治茶の産地は平等院付近の久世郡宇治郷で、両者は隣接しているが別々で、後者は足利義満の命を受けて大内義弘が開いたともいう。

明代に入り、初代皇帝朱元璋が洪武24年(1391年)に団茶の製造禁止を発令し、これをきっかけに中国では団茶が廃れ、散茶をお湯に浸して抽出する泡茶法が主流となった。沈徳符の『万暦野獲編』補遺巻一、供御茶に、「国初四方の供茶、建寧、陽羨の茶品を以て上と為す。時なお宋制に仍(よ)る。進むる所の者、倶に碾(てん)してこれを揉み、大小龍団を為(つく)る。洪武二十四年九月に至り、上(しょう)、民力を重労するを以て、龍団を造るを罷(や)む。惟だ茶芽を採り以て進む」とある。

明は尚武の精神が強い重農主義的な王朝であり、洪武帝も社会の最下層から身を起こした人物であったため、贅沢な団茶を嫌ったのではないかと指摘されている。

チャノキを藁や葦簀(よしず)で覆って日陰で栽培する方法(覆下栽培)は、従来、16世紀後半に日本で発生したと考えられていた。例えば、1577年に来日したポルトガルの宣教師・ジョアン・ロドリゲスは、『日本教会史』(1604年)の中で覆下栽培について書き記している。しかし、近年の宇治茶園の土壌分析から、覆下栽培は遅くとも15世紀前半には始まっていたことが明らかとなっている。

日光を遮ることで茶葉の光合成が抑制され、うま味成分のテアニンが苦味や渋味の元となるタンニン類へ変化するのを抑制し、結果としてうま味を多く含んだ茶葉へと成長する。また、覆下栽培によって、茶葉のクロロフィル(葉緑素)が増加し、鮮やかな緑色になることが明らかとなっている 。

室町時代以降、茶を製造販売する業者を「茶師」と呼ぶようになった。江戸時代になると、茶師は、特に幕府によって身分を保証された、選ばれた宇治の「御用茶師」を指すようになる。宇治茶師には、御物茶師、御袋茶師、御通茶師の三階級があった。

宇治茶師は苗字帯刀を許され、もっぱら将軍、朝廷、各地の大名とだけ茶(碾茶)の取引をし、一般の人々に売る「町売り」はしなかった。また、覆下栽培は宇治茶師にのみ許され、高級な抹茶や玉露の生産は宇治茶師が独占した。

最古の抹茶の銘柄としては「祖母昔(ばばむかし)」が知られている。祖母とは六角義賢の娘で上林久重に嫁いだ妙秀尼(慶長3(1598)年没)のことで、徳川家康から「ばば」と呼ばれていた。『台徳院殿御実紀』(徳川秀忠の記録)によると、妙秀尼は茶の製法にすぐれ、家康は妙秀尼の茶をよく好んで飲んでいたという。そして「今、祖母昔と名づける茶は、この老母の遺法によるものである」とある。また、肥前国松浦郡平戸藩藩主松浦清の『甲子夜話』には、家康(神君)が「ばば昔」と名付けたとあり、妙秀尼に若林という茶園を与え、ゆえに祖母昔は若林昔とも称すとある。久重、妙秀尼の長男久茂、四男政重はともに家康に仕え、政重は伏見城で討ち死にしている。上林一族はその後宇治茶師の筆頭として、徳川幕府に重用された。祖母昔の銘は、宇治茶師でも上林家以外は使えなかったとされる。祖母昔の銘茶はいまでも続いている。

祖母昔以外の銘茶としては、やはり将軍家への献上茶であった「初昔(はつむかし)」、「後昔(あとむかし)」や、「鷹の爪」、「白」も著名であった。当時の抹茶は茶葉のままの碾茶を茶壺に入れて出荷し、飲むときに茶臼で挽いて粉末にした。宇治から将軍へ献上するために江戸へ茶壺を運搬する行事は「御茶壺道中」と呼ばれ、茶壺を運ぶ行列が通る際には諸大名も道を開けなければならなかった。

明治時代になると、それまで覆下栽培のもとで碾茶の生産を独占していた宇治の茶業者はその特権的地位を失った。また将軍家や諸大名といった取引先も失った。一方、覆下栽培は宇治以外でも可能となった。大正時代になると、碾茶乾燥機が発明され、製茶の機械化が進められた。

現在、日本における碾茶の生産量は、一位が鹿児島、ニ位が京都、三位が静岡となっている。近年は、愛知県西尾市の業者が中国で技術指導する等して栽培技術が流出し 、中国でも碾茶の栽培が進んでおり、生産量で日本を凌駕するまでに至っている。

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 原口健司(京都府農林水産技術センター 農林センター 茶業研究所). “抹茶の特徴”. におい・かおり環境学会誌 46巻 2 号 ― 特 集 ― お茶の香り. 2024年3月20日閲覧。
  • 大森正司『お茶の科学 「色・香り・味」を生み出す茶葉のひみつ』講談社、2017年5月17日。ISBN 978-4-06-502016-6。 
  • 三木雄貴秀『おいしいお茶の秘密 旨味や苦味、香り、色に差が出るワケは? 緑茶・ウーロン茶・紅茶の不思議に迫る』SBクリエイティブ〈サイエンス・アイ新書〉、2019年3月15日。ASIN B07P5KCNQC。ISBN 978-4797394276。 
  • 陳舜臣『茶の話――茶事遍路』朝日新聞社〈朝日文庫〉、1992年。ISBN 4-02-260705-X。 
  • ディスカバー・ジャパン編集部 編『日本茶のこと説明できますか?』枻出版社、東京、2010年10月7日。ISBN 978-4777917709。 

外部リンク

  • 村上宏亮. “抹茶の原料となる碾茶および碾茶機について”. 2024年3月24日閲覧。

関連項目

  • 緑茶
  • 宇治茶
  • 西尾の抹茶
  • 京都の抹茶スイーツ(京都府公式メディア)

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 抹茶 by Wikipedia (Historical)



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