日本の音楽番組(にほんのおんがくばんぐみ)では、日本の音楽番組について解説する。
日本のテレビで初の本格的な歌番組は1953年11月にNHKで放送を開始した『歌の花束』であった。出演者の顔触れはベテランから若手まで幅広かった。NHKは当時「テレビにおける歌謡曲の最高番組」を目標としていた。 1956年にはその後継番組として『歌の広場』が放送されるようになり、1963年まで続いた。
民放では、1962年にTBSテレビが歌謡番組『みんなで歌おう!』を開始し、1966年まで続いた。歌唱力の優劣を決めるのではなく、子供も大人もみんなで楽しく、良い歌を歌うことをコンセプトにしていた。
1970年代までは歌番組は生放送で演歌や歌謡曲の歌手が多く出演するものが中心であった。1970年代にはニューミュージックが台頭してきたものの、当時の音楽番組は歌謡曲の歌手が優遇されており、ニューミュージックの歌手はテレビ出演を拒否する傾向にあった。
歌謡バラエティ番組では1963年に『夢であいましょう』(NHK)が始まったのを皮切りに、1968年に『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)が始まり、1972年に『歌え!ヤンヤン!』(東京12チャンネル)が始まった。また「歌のコーナー」を設けるバラエティ番組も登場した(1969年開始の『8時だョ!全員集合』、1971年開始の『TVジョッキー』など)。
夏から年末にかけては日本レコード大賞(TBSテレビ)や日本歌謡大賞(TBSテレビを除く民放各局)など、テレビ・ラジオ各局が主催する音楽賞が数多く放送されていた。最盛期には年間15本前後の音楽賞が制定されており、「音楽賞レース」という言葉も生まれた。
1978年に歌謡曲とニューミュージックの歌手を公平に扱うカウントダウン式歌謡番組『ザ・ベストテン』(TBS)が始まり、ニューミュージックの歌手も歌謡番組へと出演するようになった。この番組ではランキングの1位を従来の音楽番組のトリのように扱っていた。
『ザ・ベストテン』ではベストテン入りした歌手を出来る限りリアルタイムで出演させるため、出演の交渉状況を表に出し、またスタジオに来られない歌手にはスタッフが出向いて中継するということを行っていた。そのため歌唱よりも歌手が重視されることとなり、歌手のアイドル化が進んだとする見方がある。
1980年代には歌謡番組とは別に当時の若年層を対象にした番組として洋楽や国内バンドのプロモーションビデオ(PV、いわゆるビデオクリップ)を紹介する番組やインディーズ・バンドを紹介する番組が登場した。主な番組には『MTV (朝日放送)』、『紳助のMTVクラブ』(朝日放送)、『TV-TV インディーズの襲来』(NHK)、『三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS)などがある。
PVはバンドのみならずアイドルや他ジャンルにも普及し、歌唱時間が限られる一方で拘束時間の長い音楽番組への出演を拒否するアーティストが登場し始めたのもこの頃からである。
また、歌謡番組では元々歌の伴奏にオーケストラの生演奏を使用していたが、シンセサイザーを使った楽曲の台頭、オーケストラの不要なアイドルバンド(C-C-Bやチェッカーズなど)や爆風スランプ・米米CLUB・聖飢魔IIを始めとするバンド形式の音楽ユニットの出演がだんだんと増えてゆき、末期にはオーケストラの出演も減っていった。1曲1曲の長さも長くなっていき、番組の尺を圧迫していったとされる。
以上の二点に加え、お笑いタレントの本格的な台頭に伴い、歌のコーナーを設けないバラエティ番組が次々制作されるようになったこともあり、1980年代末期からそれまで人気を保っていた生放送の音楽番組が次々と打ち切りに追い込まれ、並行して民放各局が主催していた歌謡祭も次々と終了した。2000年代以降も継続して開催されているのは日本レコード大賞・FNS歌謡祭(フジテレビ)・ベストヒット歌謡祭(読売テレビ)があるが、かつてのような賞レースの形式では無くなっているのがほとんどである。
1990年代前半、従来の音楽に代わってビーイング系やジャニーズグループなどのJ-POPが台頭した。ビーイング系ミュージックは番組タイアップ路線を取り人気となっていったものの、ビーイング系アーティストは逆にテレビ出演を減らしていった(ビーイングブーム)。一方、ジャニーズではSMAPなどの歌や演奏だけに留まらないマルチタレントが増えていき、『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ)や『うたばん』(TBS)のような、歌や演奏よりもトークやゲームなどの企画を中心とした番組が増えていった。また、『MJ -MUSIC JOURNAL-』(フジテレビ)などの様に、音楽の研究やアーティストのパーソナリティなどに焦点を当てた音楽情報番組も登場した。1986年に開始した『ミュージックステーション』(テレビ朝日)はしばらくは低空飛行を続けていたが、出場歌手をJ-POP中心にしたことで視聴率が上昇するようになった。また、これらの番組はいずれも事前収録方式を取っており、生放送は『ミュージックステーション』および一部の特別番組に限られるようになった。
1990年代中盤、音楽プロデューサーが活躍する「プロデューサーの時代」となった。テレビ番組では大物ミュージシャンを音楽プロデューサーとして付けることにより多数の有名アーティストが生まれることとなった。バラエティ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』からはパッパラー河合のプロデュースにより「ポケットビスケッツ」がデビューし、オーディション番組『ASAYAN』からは小室哲哉のプロデュースにより「鈴木亜美」が、 また、つんく♂のプロデュースにより「モーニング娘。」がデビューしオリコン入りを果たした。
2000年代後半、秋元康プロデュースの大人数アイドルグループが登場した。大人数アイドルグループでは選抜によるメンバー決めが行われており、テレビではその選抜の中継が行われるようになった(AKB48総選挙SP(フジテレビ)など)。
2010年代前半、地上デジタルテレビ放送への切り替えに伴うテレビ買い替え等によりBS放送の視聴可能世帯の割合が70%台へと達し、『平成歌謡塾』や『サブちゃんと歌仲間』などの演歌・歌謡曲番組が地上波からBS放送へと移された。
インターネット配信の音楽番組も急増している。2010年代後半、テレビ朝日とサイバーエージェントの共同出資による動画ライブストリーミングサイト「AbemaTV」が登場し、AbemaTVではヒップホップ番組の『AbemaMix』、ラップ番組の『ラップスタア誕生!』など独自路線の音楽番組のストリーミングを行うようになった。またYouTubeでも『THE FIRST TAKE』のような人気音楽チャンネルが登場している。一方、テレビ番組の見逃し配信サービス(「TVer」など)では著作権処理の関係から音楽番組の提供が難しくなっており、ほとんど行われていないとされる。
また音楽ストリーミングの流行に伴って旧譜の重要性が増し、プレイリスト企画やプレイリスト番組が行われるようになった。
2000年代後半以降は少子高齢化やアーティストらの音楽番組に対する姿勢の多様化、音楽不況に伴い視聴率が最盛期よりも大幅に低下し、打ち切りもしくは特番化した番組も数々見受けられる。地上波で放送されるレギュラー放送の音楽番組は深夜帯が主流であり、ゴールデン・プライムタイムでの放送は改編期における単発特別番組が中心となっている。
子供向け音楽番組では1959年より幼児向け音楽・教育番組『おかあさんといっしょ』(NHK教育)が放送されるようになり、1961年より音楽ミニ番組の『みんなのうた』(NHK)も放送されるようになった。その後、民放からも『おはよう!こどもショー』(日本テレビ)『ママとあそぼう!ピンポンパン』(フジテレビ)、『ひらけ!ポンキッキ』(フジテレビ)などの音楽要素のある子供向け番組が登場した (平日朝子供向け番組戦争)。
『おかあさんといっしょ』からは「だんご3兄弟」(1999年)「ドンスカパンパンおうえんだん」(2009年)、『ママとあそぼう!ピンポンパン』からは「ピンポンパン体操」(1971年)、『ひらけ!ポンキッキ』からは「およげ!たいやきくん」(1975年)のようなヒットソングが生まれていった。また『おはよう!こどもショー』では「こどものどじまん」が行われていた。
1997年より子供向けバラエティ番組『おはスタ』(テレビ東京系)が開始された。おはスタ内ではおはガールらの歌う卒業ソング「サヨナラのかわりに」を流したり、「ミニモニ。」のショートアニメを放送したりなどの音楽関連の企画を行っていた。
2000年代には少女漫画原作の音楽要素のあるアニメ番組『マーメイドメロディー ぴちぴちピッチ』(テレビ東京他)や『きらりん☆レボリューション』(テレビ東京系)が登場した。ぴちぴちピッチはカラオケ玩具「e-kara」とのタイアップを行っていた。また当時の女児向けアーケードゲームでは「オシャレ魔女♥ラブandベリー」のようなコーディネイトダンスゲームが流行っており、『きらりん☆レボリューション』も同様のアーケードゲーム化が行われていた。
2010年代には女児向けアーケードゲーム原作のアイドルアニメ番組であるプリティーシリーズ(テレビ東京系)とアイカツシリーズ(テレビ東京系)が登場し、これら二つのシリーズは2020年現在も続いている。これらアニメ番組ではほぼ毎回ライブシーンが挿入されている。
音楽番組では長らくタイアップ以外のアニメソングが冷遇されており、2005年、2ちゃんねるにおいてアニソンをオリコン1位にして音楽番組における差別を無くそうとする運動が行われた。
2009年、声優アーティストの水樹奈々が台頭し、NHKのMUSIC JAPANが取り上げて紅白出場を果たした。しかしながら『ミュージックステーション』には声優アーティストが出場せず、また2010年にアニメ『けいおん!』の楽曲がヒットした際もミュージックステーションでは実際のオリコンランキングから乖離した番組独自の「オリコン調べ」チャートを放送し、民放においてアニソンへの冷遇が残ってることが疑われていた。
2015年、アイドルアニメ「ラブライブ!」のメインユニットμ'sがNHKの音楽番組を中心に出演し紅白出場を果たした。同年よりミュージックステーションでも水樹奈々やμ'sなどの知名度の高い声優アーティストが番組に出演するようになった。しかしながらテレビ局の編成や管理職に就く中年層に知名度の低い声優アーティストは、その後も民放音楽番組では冷遇が続いていた。
2020年、フジテレビは「世代間の情報の断絶が想像以上」であるとして声優アーティスト中心の新たな若者向け特別番組である『オダイバ!!超次元音楽祭』を開始した。
1980年代まで録画、生放送にかかわらず、歌唱に際しては歌詞のテロップを入れることはほとんどなかった。これは当時のスーパーインポーズの技術が2台のカメラを切り替えながらプロジェクターから出力する方法だったため、生放送では約8秒ごとに進んでいく歌詞に合わせて表示することが難しかったからという理由がある。
『夜のヒットスタジオ』では、1978年7月31日の放送でサザンオールスターズが出演した際、あまりの早口の歌詞が聞き取れないと苦情の電話が多く来たため、2回目の出演の際に歌詞を表示したのが最初であるが、その他は吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」などくらいで、恒常的に用いられることはなかった。
その後1982年頃から『ザ・ベストテン』が正式に初登場曲と「今週のスポットライト」のコーナーのみに歌詞を表示するようになった。しかし、初登場時でも中継であったり、セットによっては翌週に表示ということも多くあった。1989年2月23日放送回からは全曲に表示するようになったが、これも他番組に先駆けてのことだった。『NHK紅白歌合戦』でも全曲に歌詞が表示されるようになったのは1982年の第33回からである。しかし表示方法が前記のような方法であったため、文字が斜めに映ったり、誤って表示されないということも多々あった。
1990年代以降は生放送の音楽番組が減り録画放送が増えた影響でテロップ編集が容易となったため、多くの歌謡番組で歌詞にテロップ表示をするようになったが、外国語の歌詞の曲は原語のままか、日本語訳のみ表示するケースが多い。
なお、プロモーションビデオを紹介する番組やCSやWOWOWなどの有料放送のライブ番組は原則的に歌詞テロップを表示しないのが多いが、放送局名や曲名のサイドテロップを常時入れている番組もある。
NHK総合テレビで放送されていた『NHK歌謡コンサート』は、文字サイズが大きく表示されていた。
Linked Horizonの楽曲『紅蓮の弓矢』では、Linked Horizonの方針からか歌詞テロップが表示されなかった。
民放の場合、「作詞・作曲」と表記するの場合がほとんどであるが、NHKの場合は「詞・曲」と表記する。
テレビ放送黎明期には、作詞者・作曲者のクレジットが曲名と共に表記されることは殆どなかったが、1970年代に入り、各放送局独自の音楽賞レース番組を創設するようになってからは、作詞・作曲クレジットの表記が通常のレギュラー放送の歌番組等でなされるようになった。
2023年10月現在放送中の番組。音楽専門チャンネルで放映されるものについては音楽専門チャンネル一覧参照。
主にアーティスト1組に焦点を当てたインタビュー、ドキュメンタリーが主流。
それぞれ、自身がメイン出演している冠番組またはレギュラー番組の音楽コーナーで、自身の新曲やヒット曲、またはシングル曲以外に他の音楽番組でも滅多に披露されないカップリング曲やアルバム曲も披露されている。また、他の音楽番組でも滅多に披露されないフルサイズで披露されることが多い。
年5月 - )
なお、『ミュージックステーション』でも2020年より「プレイリストチャレンジ」企画を行っている。
1950年代に民放AMラジオ局が開局すると、「S盤アワー」、「L盤アワー」、「P盤アワー」、「魅惑のリズム」、「東芝ヒットパレード」といった各レコード会社(もしくは親会社)がスポンサーの新譜情報番組が続々と生まれてきた。このようなスタイルの番組は1970年代まで続いていた。
Category:日本のラジオ音楽番組を参照。
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