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寛政


寛政


寛政(かんせい、旧仮名遣: くゎんせい、旧字体:寛󠄁政)は、日本の元号の一つ。天明の後、享和の前。1789年から1801年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は第11代、徳川家斉。

改元

  • 天明9年1月25日(グレゴリオ暦1789年2月19日): 天明の大飢饉や内裏炎上などのため改元
  • 寛政13年2月5日(グレゴリオ暦1801年3月19日): 享和に改元

災異のための改元が検討されたものの、内裏の再建が優先され、実際に改元の議論が始まったのは、火災より1年近く経った天明8年12月に入ってからであった。7つの候補のうち、「寛政」と「寛安」が朝廷から推され、幕府の意向で「寛政」に決定された。

出典

『左伝』の「施之以、寛以済猛、猛以済寛、是以和」(寛を以て之を施す、猛を済(たす)けるを以て寛、寛を済けるを以て猛、政は和を以てす)から。

寛政年間の出来事

  • 寛政の改革 : 天明7年(1787年)- 寛政5年(1793年)
  • 寛政元年(1789年): クナシリ・メナシの戦い。国後島と目梨郡(現在の北海道根室振興局)のアイヌが和人商人による酷使に耐えかねて蜂起する。
  • 寛政2年(1790年):大阪・神戸に通じる木津川の船着場として、また大和・伊賀街道の交叉地として諸物の集散地であった山城国上狛(現京都府木津川市山城町)に、福井伊右衛門による茶商、京都福寿園が創業する。
  • 寛政3年(1791年): 尊号一件(朝廷が参議40人の群議で老中筆頭松平定信の意に反して光格天皇の実父典仁親王への尊号宣下を強行することを決定。朝幕対立の激化)
  • 寛政4年(1792年): 島原大変肥後迷惑。眉山の山体崩壊による津波で死者15,000人以上。有史以来日本最大の火山災害。
  • 寛政5年(1793年): 仙台沖で寛政地震(死者44人以上)
  • 寛政6年(1794年)
    • 浮世絵界に東洲斎写楽が出現(10か月の活動の後、姿を消す)
    • 大坂で初めて落語の寄席が開かれる。
  • 寛政10年(1798年)
    • 寛政暦に改暦
    • 当時日本一の高さを誇っていた京都の方広寺大仏(京の大仏)が落雷で焼失する
  • 寛政12年(1800年)
    • 伊能忠敬が蝦夷地を初めて測量
    • 銀座改革。不正発覚を機に寛政の改革の一環として京橋の銀座を廃止。蛎殻町に銀座の機能を集約。中断していた南鐐二朱銀の鋳造を再開。

誕生

  • 寛政5年(1793年): 徳川家慶(江戸幕府12代将軍)、遠山景元(江戸幕府町奉行)
  • 寛政6年(1794年): 水野忠邦(江戸幕府老中首座、遠州浜松藩主)
  • 寛政8年(1796年): 鳥居耀蔵(江戸幕府町奉行)
  • 寛政12年(1800年): 徳川斉昭(徳川慶喜の実父、常陸水戸藩主)、仁孝天皇(第120代天皇)

死去

  • 寛政5年(1793年): 高山彦九郎(享年46)、林子平(享年55)
  • 寛政6年(1794年): 閑院宮典仁親王(享年61)
  • 寛政7年(1795年): 長谷川宣以(享年51)
  • 寛政8年(1796年): 田沼意明(享年24)
  • 寛政9年(1797年): 蔦屋重三郎(享年48)
  • 寛政12年(1800年): 工藤平助(享年67)

西暦との対照表

※は小の月を示す。

脚注

関連項目

  • 寛政の遺老
  • 寛政の三奇人
  • 寛政の三忠臣
  • 寛政の三博士
  • 寛政町 (横浜市)・寛政町 (名古屋市) - いずれも、寛政期の新田開発にちなむ地名。

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 寛政 by Wikipedia (Historical)