西条市(さいじょうし)は、愛媛県の東予地方にある市。西日本最高峰石鎚山の麓に位置し、瀬戸内海燧灘に面する。
西条市の名水百選にも選出されている「うちぬき」と呼ばれる自噴水(地下水)やカブトガニなどで広く知られ、西条市が取り組んできた工業(製造業など)を中心とする産業振興方針を現代でも継承しており、西条市の工業出荷額は四国の市町村の中でも上位に位置する金額でもある。
2000年代前半においては製造品出荷額などにおいて四国最大を誇っていた時期もあったが、山陽自動車道に直結しかつ今治造船や日本食研などを擁する今治市や番の州臨海工業団地を擁する香川県の坂出市にも抜かれてしまい、2009年時点では四国3位になっている。
西条という地名は、鎌倉時代の荘園名にも見ることができ、その後の西条藩にも受け継がれてきたように歴史的にも由緒ある地名である。最も古くは「予章記」建暦元年条に河野通信は軍功により「新居西条の郷」を賜りとある。
小松町明穂南方段丘の上に広さ6,000m2にも及ぶ広大な遺跡群がある。約2万年前になる後期旧石器時代のサヌカイト製ナイフ形石器などが発掘されている。
八堂山山頂付近にて昭和40年代に高地性集落が発見され、入母屋造の竪穴建物や円形倉庫が復元展示されている。
船屋、天神山、氷見、小松、丹原と市内各地に古墳が存在している。 景行天皇の第12皇子武国凝別命が伊予国平定のために派遣され、この地域(後の神野郡、新居郡、現在の愛媛県西条市・新居浜市)に拠点を置いた。成務天皇7年(西暦137年)に皇祖神である天照大神を祀り伊曽乃神社が創建された。
日本でもまだ16しか発見されていない神籠石が基礎の古代山城である永納山城が河原津地区楠に築かれる。
嵯峨天皇の諱が義母(賀美能宿禰)の出身地である神野郡より「賀美能(神野)」と名付けられ、これにより大同4年(809年)に神野郡は改名となり新居郡が誕生した。
鎌倉時代より新居郡は金子氏の城下町として栄えたが、天正13年に羽柴秀吉配下の小早川隆景・吉川元長による四国攻めの軍が瀬戸内海を渡って現在の新居浜市に上陸し、この地方を実質的に支配していた金子元宅との決戦の場となった(天正の陣)。「野々市ヶ原の古戦場」「千人塚」「高尾城」「高峠(高外木)城」「金子備後守元宅の墓」など多数の旧跡がある。
伊予の河野氏ゆかりの一柳氏が外様大名として西条藩を治めていたが3代目一柳直興の際改易され、しばらく天領となった。その後紀州徳川家より藩主徳川頼宣の二男・松平頼純を迎え、以後 紀州徳川家の支藩として幕末まで西条藩を治めた。 西条松平家第2代頼致は紀州藩主徳川吉宗が将軍となった際に紀州徳川家・紀州藩主を継いだ。松平家は参勤交代を行わない定府の大名であった。
徳川一門の親藩しかも御連枝ではあったが、幕末の際には官軍として戊辰戦争に参戦している。
典型的な瀬戸内海式気候で四季を通じて晴れの日が多く、降水量は少なめである。夏はヒートアイランド現象が起こる都市部に比べれば暑くなく、夜には海陸風もあって幾分過ごしやすい。冬は毎年雪は降るものの、積雪するのは平野部では数年に一度程度である。また冬にはやまじ風が発生することがある。
山間部では冬の積雪はしっかりあってスキー場もあり、市内県内は元より県外からも訪れる客が多い。
また、新居浜・西条圏の各種計画や研修実施などの連絡調整、休日・夜間の救急医療体制の整備などを執り行う特別地方公共団体である新居浜・西条地区広域市町村圏事務組合を、隣接する新居浜市と組織している。
災害時相互応援協定
臨海部は、四国中央市、新居浜市、西条市、今治市、松山市へと繋がる、中四国最大規模の工業地帯を形成している。素材、半導体、造船、飲料、発電、鉄鋼など、工業立地の形態が多種多様な分野に至るのが当市の工業立地の特徴である。
工業出荷額は四国の市町村のなかでもトップクラスであり、高知県全体よりも大きい。
隣接する新居浜市とは工業のみならず商業においても一体化が進んでおり、1つの経済圏をなしている。
加茂川水系と中山川水系下流部に位置する市中央部の西条平野は穀倉地帯として知られる。また、西部の周桑地域では、花き、野菜、果樹などが栽培されており、愛媛県下有数の農業地帯となっている。
遠浅の海岸が連なっていたが、埋め立てにより、次第に漁場は狭められているものの、小型漁船漁業や海岸を利用した海苔養殖などが営まれている。
かつては盛んであったが現在は全てが廃坑となった。
東予新産業都市の開発拠点として、大規模な臨海工業団地の建設を機会に、急速に工業が集積した地域である。加茂川水系がもたらす豊富な地下水を有し、四国の中心部に位置すること、西日本最大規模の臨海工業団地を有すること、産業道路として位置付けられた愛媛県道13号壬生川新居浜野田線が整備されたことなどが、四国を代表する工業地帯への成長に繋がっている。西条地域のエレクトロニクス・半導体・ビール・鉄工・造船に加え、東予地域の機械製造、丹原地域の鋳物、内陸部の縫製業などが主力業種である。東部の埋立地に今治造船の船殻工場があったが、ドック設備が新設され、新造船も行われるようになった。国内では実に四半世紀ぶりのドック新設であり、業界関係者から注目されるところとなっている。同社最大規模の造船所となっており、大型タンカーや鉱石運搬船などが建造されている。その関係の事業所も立地しており、立地している製造業の幅が広がった。近年では、西条産業情報支援センターを中心とする内発型産業の育成にも重点を置いている。
2017年現在の製造品出荷額等(従業員4名以上の事業所)は8,251億円であり、県内では今治市に次いで2位となっている。
西条弁と呼ばれる。
東予方言は新居郡、西部、宇摩郡に分かれる。西条市は平成の大合併前の旧西条市が新居郡方言、合併した旧東予市、旧小松町、旧丹原町が東予西部方言となる。 新居郡方言が更に東部と西部に別れ、旧西条市が新居郡西部方言、新居浜市が新居郡東部方言となっている。
松山市を中心とした中予とは伊予弁としてひとくくりにされることも多いが、他県の人間はともかく東予と中予の人間が話すと明らかに異なることが互いにすぐ分かる。
また、話すスピードが大きく異なり、中予が全国標準と比較して遅くゆったりと話し、南予になるとかなり遅く話す。ところが東予は全国標準よりとても速く、全国的にも群を抜いて速く喋る。
主要地方道
一般県道
祭りについては上記「文化」の節を参照のこと。
旧西条市が0897(新居浜MA)、旧東予市・小松町・丹原町が0898(今治MA)。
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