『潮騒』(しおさい)は、三島由紀夫の10作目の長編小説。中編小説とみなされることもある。
三島の代表作の一つで、何度も映画化されるなど一般的にも人気の高い作品である。三重県鳥羽市に属する歌島(現在の神島の古名)を舞台に、若く純朴な恋人同士の漁夫と海女が、いくつもの障害や困難を乗り越え、純愛が成就するまでを描いた物語。古代ギリシアの散文作品『ダフニスとクロエ』に着想を得て書かれた作品である。
1954年(昭和29年)6月10日に書き下ろしで新潮社より刊行された。ベストセラーとなり、第1回(1954年度)新潮社文学賞を受賞した。刊行後すぐに複数の映画会社が映画化をめぐり争奪戦となり、アメリカでも翻訳出版されベストセラーとなった。文庫版は翌1955年(昭和30年)12月25日に新潮文庫より刊行された。翻訳版はメレディス・ウェザビー訳(英題:The Sound of Waves)をはじめ、世界各国多数で行われている。
※三島由紀夫自身の発言や著作からの引用部は〈 〉としている(解説文献の研究者の発言などの引用部との区別のため)。
1951年(昭和26年)12月から1952年(昭和27年)5月にかけ初の世界旅行を経験した三島由紀夫は(詳細はアポロの杯を参照)、その後〈ギリシア熱〉が最高に達し、『ダフニスとクロエ』のプロットを生かした小説を書くことを考え、古代ギリシアと類縁のある〈日本の素朴な村落共同体の生活感覚や倫理観〉、〈宗教感覚〉や、〈ギリシアの神々のイメージ〉と重なる〈日本の神々〉を背景として描ける場所を求めた。
三島は水産庁に依頼し、〈都会の影響を少しも受けてゐず、風光明媚で、経済的にもやや富裕な漁村〉を探してもらい、金華山沖の某島と三重県の神島(かみしま)を紹介された。そこで三島は万葉集の〈歌枕のゆたかな地方〉で、〈古典文学の名どころ〉に近い神島を選んだ。早速現地に行って確かめた三島は、バーもパチンコ屋もなく〈都会文明から隔絶〉した素朴な島をすぐに気に入り、漁業組合長の寺田宗一の家に滞在し世話になることになった。神島を舞台に選んだ理由を三島は、「日本で唯一パチンコ店がない島だったから」と、大蔵省同期の長岡實にも語ったという。
三島が元にした万葉集に歌われている伊良湖岬には、「潮騒」(万葉仮名では「潮左為」となる)という言葉が出てくる。
この歌は、持統天皇が伊勢神宮参拝と舟遊びを兼ねて伊勢に旅した時に、都(飛鳥浄御原宮)に残った柿本人麻呂が、お供をした人々の中の女官の1人を想って詠んだ一首で、「伊良虞」は、伊良湖岬もしくは神島のことである。現代訳は以下の意味になる。
1953年(昭和28年)3月と、8月から9月に、三島は取材のため鳥羽港から神島を訪れ、八代神社、神島灯台、観的哨、島民の生活、例祭神事、漁港、歴史、海女や漁船員の仕事や生活、台風などについてつぶさに観察してノートを取った。
三島は神島滞在中に川端康成への手紙の中で、『禁色』のような〈デカダン小説〉とは〈正反対の健康な書き下ろし小説〉を書くために調査に来ていると伝えている。三島は『禁色』の次の長編物の構想として次のようなノートを残している。既成道徳と対決した『禁色』に比し、『潮騒』は〈既成道徳の帰依者たち〉の〈幸福な物語〉だとする未発表のメモ草稿もある。
また、『潮騒』の翌年に発表した随筆『小説家の休暇』の中では、滅んだギリシアに孤独な哀歌を捧げたヘルデルリーンの『ヒューペリオン』(三島の愛読書)に触れつつ、古代の〈多神教的自然の擬人化〉〈プシュケ〉と、科学により自然を征服しその驚異を概ね克服した近代社会における〈人間と自然との対立〉観について語り、『潮騒』で描こうとした自然を、〈ギリシア的自然、ヒューペリオン的孤独を招来せぬところの確乎たる協同体意識に裏附けられた唯心論的自然〉だったとしている。
三島はヘルダーリンに共鳴しつつも、彼がギリシアに捧げた哀歌の孤独でなく、ギリシアと似た多神教的な共同体意識を現代の中から再発見しようという意図の元で、綿津海の神のご加護を信じて〈豊饒な自然〉と一体化して生きている青年を造型し主人公とした。
伊勢湾に浮かぶ歌島で漁師をしている久保新治は、貧しい家に母と弟と暮らす18歳の若者であった。ある日、新治は浜で見覚えのない少女を見かけ、なんとなく心惹かれる。少女は砂浜に座り、じっと西の海の空を見つめていた。
少女・初江は、村の有力者で金持ちの家・宮田照吉の娘であった。初江は養女に出されていたが、照吉の跡取りの1人息子(初江の兄)が死んだため島に呼び戻されたのであった。それまで恋愛を知らない新治は、初江の名前をきくだけで頬がほてり鼓動が激しくなる自分の感情がよく分からなかった。
しかし監的哨跡(原文は「観的哨」:旧陸軍が伊良湖岬から撃つ大砲の試射弾の弾着観測をしたコンクリート製の施設跡)で偶然、鉢合わせしたり、新治が浜で落とした給料袋を初江が拾ったり、灯台長の家でも顔を合わせた2人は、お互い相手に惹かれている自分の気持に気づくようになる。
雨の降る休漁日に監的哨で初江と待ち合わせの約束をした新治は、嵐の当日、先に到着し初江を待っていたが、焚き火に暖められるうちにウトウトと眠ってしまった。ふと目が覚めて気が付くと、初江が肌着を脱いで乾かしているのが見えた。裸を見られた初江は、羞恥心から新治にも裸になるように言う。
裸になった新治に向かって、さらに初江は、「その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら」と言った。火を飛び越した新治と初江は裸のまま抱き合うが、初江の、「今はいかん。私、あんたの嫁さんになることに決めたもの」という誓いと、新治の道徳に対する敬虔さから2人は衝動を抑えた。
灯台長の娘で大学の春休みで帰省していた千代子は、ちょうど新治と初江が一緒に帰る姿を見てしまう。新治に気があった千代子は初江に嫉妬し、川本安夫に告げ口をした。
有力者の息子・川本安夫は、自分が初江の入婿になるのだと吹聴していたから面目がつぶれた。安夫は夜中、水汲みに出た初江を襲おうとするが、蜂に撃退されてしまった。
やがて新治と初江の噂は照吉の耳にも入り、照吉は娘と新治が会うことを禁じた。気落ちする2人にとって秘密裏に交換する手紙だけが唯一の絆だった。健気な2人に新治の親方・十吉が加勢し、仲間の龍二が郵便屋をしてくれた。年配の海女たちも初江のまだ蕾のような乳房を見て、初江が処女だと見抜き2人の悪い噂が嘘だと解する。
そんな折、機帆船歌島丸の船長が、船員修業の炊(甲板見習)ために船に乗組まないかと新治を誘った。歌島丸は照吉の持ち船の貨物船で、安夫も同船するらしかった。照吉は安夫に、初江との婚約の条件としてこの修業を申し渡したのだという。新治の心には、不安と悲しみと、それから一縷の希望が湧いた。
船が沖縄の那覇港から運天港に入ったとき台風に襲われた。船をつなぎ止めていたワイヤーが切れ、命綱を浮標(ブイ)につなぐしか手はなくなった。誰もが尻込みする中、新治が志願して荒海に飛び込んだ。力の限り泳いだ若者・新治の活躍で歌島丸は救われた。
初江と新治の悪い噂を流した千代子の、東京からの贖罪の手紙を読んだ灯台長夫人や、義侠心にかられた海女たちが、新治と初江の仲をとりもってやろうと、照吉の家に直談判にやって来た。女たちがやきもきする中、照吉は、新治と安夫を試すために自分が船に乗り込ませたのだと言った。照吉はすでに新治を婿にすると決めたところだった。新治と初江の願いは成就し、2人は灯台で美しい夜の光を眺める。
※三島由紀夫自身の発言や著作からの引用部は〈 〉にしています(解説文献の研究者の発言などの引用部との区別のため)。
『潮騒』は、『仮面の告白』『金閣寺』など三島の他の純文学系統とは色合いが異なり、話にも、難解・狷介な要素がなく、近代小説としては珍しく素直に青春の恋愛物語を描いた牧歌的な作品である。また、幅広い人気を博し、異例とも言える5回もの映画化もなされ、三島作品のなかで最も多くの「文学全集」に採られている作品でもある。日本テレビでアニメ化もされ、2013年(平成25年)には、テレビドラマ『あまちゃん』内に登場する架空の映画「潮騒のメモリー」に、『潮騒』をパロディ化した内容が含まれるなど、スタンダードな作品として定着している。
しかし、成功した代表作でありながらも、当時の文壇的な評価には賛否が分かれる所もあった。『週刊朝日』は「現実離れした小説」だとし、「牧歌的な恋物語」はいいが「アメリカ映画的な通俗な場面」が感動を呼ばないと批判した。海の視覚的な描写は鮮明で鋭敏だが、海の匂いやどよめきが聞えず、その筋立てや人物造型が類型的で、神話やお伽話、人情講談の類でしかないといった寺田透や、磯貝英夫の評もあり、日本の旧式の道徳や貧しい漁村を賛美しているといった中野重治によるオリエンタリズムに対する批判もあった。そういった批判があったことについて三島は、〈この小説の採用してゐる、古代風の共同体倫理は、書かれた当時、進歩派の攻撃を受けたものであるが、日本人はどんなに変つても、その底に、かうした倫理感を隠してゐることは、その後だんだんに証明されてゐる〉と記している。
その一方、批判的批評に対し中村真一郎は、『潮騒』を近代的な意味での小説ではなく、「物語」だとした上で、「三島氏は近代的な小説家であると同時に、この作品によって最も痛烈な近代小説の解毒剤の製造家となった」とし、個性や自我を描くことに偏重していた近代小説への布石として『潮騒』が果たした意味を積極的に評価し、松本鶴雄も、「ポピュラリティに淫しながらも、その彼方に何が存在するかを意識的に実験した小説」だとしている。また、清水文雄は、『花ざかりの森』から見られていた三島の「海」への憧れが、「ここに一編の記念すべき作品を結実させた」と評している。
マルグリット・ユルスナールは、三島の「黒い傑作」が『仮面の告白』、「赤い傑作」が『金閣寺』とすれば、『潮騒』は「透明な傑作」だとし、それは「一般に作家がその生涯に一度しか書けないような、あの幸福な書物の一つ」であり、その華やかな大成功のために、「気むずかしい読者」には胡散臭く映ってしまうような作品の一つでもあると、以下のように高評価している。
またユルスナールは、有名な焚火のシーンを、男女混浴が根づいている日本では突飛なシーンではなく、その戯れは神道の火の儀式に近いとしている。また、荒海と闘う新治をレアンドロスより逞しい若者、初江をヘーローよりも慎ましい娘だとし、「動物の世界の一対がそうであるように、最後には詩人のために、二つの存在に分裂した一種の両性具有のイメージを実現しているかのようだ」と解説している。
柴田勝二は、新治と初江を結ばせる「他動的な力」の一つとして新治の信仰している八代神社に祀られた綿津見命に触れ、八代神社が伊勢神宮と深い縁を持ち、両者を媒介している「太陽」への崇敬と、三島が主人公に造形したギリシャ的な要素の共通性を鑑み、「その信仰の実体性が『ギリシャ―神島―伊勢』の連関によって、伊勢神宮に祀られる天照大神に向かう方向性を帯びることが、この作品に密かに込められた企図であった」とし、最終的に新治と初江の結婚を許可する「宮田照吉」の名前も、伊勢神宮の「宮」と天照大神の「照」から取られていると考察している。
そして柴田は、伊勢神宮の神饌のうちでも、最重要視されたのが鮑であることと、鮑が「常世に続く海の霊のシンボル的な存在」であり、鮑の産地に近いことが、神宮が伊勢に定められた理由の一つだとする矢野憲一の研究に触れつつ、特に志摩の海女の取る鮑は、神饌として供されることが特徴的だったことから、優れた技能を持った「海女」である初江が、鮑を取る競争で一番になることに、初江の輪郭がより具体的に「伊勢神宮の神に仕える人間」としての側面がはらんでいることを指摘し、また、別の土地から歌島へ戻って来た初江と、天照大神の憑依を受けた倭姫命に共通する移動性と海産物や海人との深い類縁を考察している。
また、『禁色』の悠一の〈外人ぎらひ〉に見られるように、三島が戦中戦後に持ちつづけていた対米関係の意識や、日本の民族・文化の同一性に対する意識が三島の中に一貫してあることがうかがえるのを柴田は鑑み、『潮騒』で新治が向かった沖縄の運天を、〈戦時中米軍が最初に上陸した地点である。〉と三島が作中で記し、〈打ちひしがれて〉と表現しているところから、「沖縄の民衆の存在がほのめかされている」とし、その場所で新治が船を救う活躍を見せる行動に着目している。
そして、沖縄という「トポス」が三島作品で明確に姿を現わすのは、『椿説弓張月』において主人公が最後に琉球で、君主への忠誠を尽くして天空へ去っていく場面であり、その背後には沖縄に霊的な世界を求めた折口信夫の眼差しの取り込みがあると柴田は推測しつつ、『潮騒』の新治が海の男として成熟する「イニシエーション」にも霊的な側面を想定することも可能だとみている。
佐藤秀明は、「新治」と「初江」という名前について、恋愛という行動に対して2人が未経験であり、そこに「新しく」あるいは「初めて」足を踏み入れる人間であることを物語るとし、羽鳥徹哉は、2人が初めて抱き合うのが廃墟となった観的哨であるという設定から、「敗戦による廃墟の日本から、どのような新生日本を作り上げていくべきであるか」という課題が示唆されているとして、それが「国生み」の寓意となると解説している。
初めて神島を訪れ滞在した三島は、次のように述べている。
真っ黒に日焼けした島民の中では、見慣れない色白の三島の姿は目を引き、「組合長のとこには親戚の病人が療養に来てゐるさうだ」などの噂が立ち始めていた。ある日に三島が組合のあたりを歩いていると、1人の老爺が近づき三島の〈頭の先から爪先まで仔細に観察〉した後、「これ、どこの子やいの」と側にいる人に訊いていた。しかし次第に島民たちと顔なじみになり、島の〈素朴な人情〉に触れる生活を送った。
その後も三島は、〈神島は忘れがたい島である〉と懐かしみ、〈人情は素朴で強情で、なかなかプライドが強くて、都会を軽蔑してゐるところが気に入つた〉と述べつつ、例えば地方へ行き、田舎の人の都会に対する地方的劣等感に会うほどイヤなものはないが、神島にはそういうところがなかったと述懐している。また、〈辺鄙な漁村などにゆくと、たしかにそこには、古代ギリシアに似た生活感情が流れてゐる。そして、顔も都会人より立派で美しい。私はどうも日本人の美しい顔は、農漁村にしかないのではないかといふ気がしてゐる〉と述べている。そして島がいずれ都会と同じように発展してゆくであろうことに一抹の寂しさを思いながら、神島の行く末についても語っている。
三重県および鳥羽市は『潮騒』を観光資源として活用している。神島港を降りてすぐに、「三島文学 潮騒の地」と刻まれた文学碑があり、定期船乗り場近くには、「潮騒公園」もある。新治と初江が焚火を境にして裸身で向い合った場所「監的哨跡」や、2人が手を合わせた「八代神社」は観光コースとなっており、三島が執筆取材中に宿泊した漁師の組合長の寺田宅も人気が高いスポットで、三島が使用した机も残されている。また、豊饒を祈るため八代神社で行われる太陽信仰の祭ともいわれる由緒ある伝統行事の「ゲーター祭」など神島には数多くの年中行事が今に伝えられているが、2001年(平成13年)からは地域の子どもたちの活動から、「かみしま潮騒太鼓」と名付けられた太鼓演奏の行事も生まれている。
2006年(平成18年)に神島は、愛を誓いプロポーズをするのに相応しい観光スポットとして、「恋人の聖地」の30か所の1つに選ばれ、神島灯台そばの広場に記念プレートが設置されている。また、「監的哨跡」は耐震補強を施され、文学碑や公園も整備され、2013年(平成25年)6月2日に完成記念式典が行われた。それを記念し、映画で初江を演じた吉永小百合が神島を訪れ、49年ぶりに漁民たちと対面することとなった。なお、撮影当時20歳だった組合長の息子・寺田信吉は、新治役の浜田光夫の代わりに時化の海へ飛び込むシーンにスタントマンとして出演していた。
これまで5度映画化された(2020年6月現在)。第1作目は三島も映画ロケを見物している。
三島には、歌劇『潮騒』の構想もあり、4幕からなる歌劇台本ノートが残されている。
ストーリーは小説とはやや異なり簡略化され、水汲み場で安夫に襲われそうになる初江を、新治が助けて2人が結ばれる展開となっている。そして、照爺と新治の母の抗争に悲観した初江が投身し、新治が救いにゆき、恋の勝利となる。フィナーレは漁夫ら大ぜいの、神をたたえる舟出の大合唱となる。
新治(テノール)、初江(ソプラノ)、安夫(テノール)、千代子(ソプラノ)、新治の母(アルト)、照爺(バス)、小間物屋(バリトン)、子供たち、海女たち、漁夫たち
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