姶良郡(あいらぐん)は、鹿児島県(大隅国)の郡。
人口8,487人、面積144.29km²、人口密度58.8人/km²。(2024年5月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。「姶良地域」とする場合は両市を含む。
歴史
現代の姶良郡は江戸時代、始羅郡(しら)と呼ばれていた。これが古代の大隅国に存在した姶羅郡(あいら)と混同され、明治期に「姶良」に統一された。古代における「姶羅郡」は現在の鹿屋市付近を指し、中世までに肝属郡に編入された。このため、古代における「姶羅郡」と現代における「姶良郡」の直接の関連はない。
近世以降の沿革
- 明治初年時点では全域が薩摩鹿児島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り。特記以外は全域が現・姶良市。(38村)
- 溝辺郷 - 竹子村、崎森村、三縄村、有川村、麓村(現・霧島市)
- 山田郷 - 下名村、大山村、辺川村、上名村、北山村、木津志村
- 蒲生郷 - 上久徳村、下久徳村、久末村、白男村、北村、西浦村、米丸村、漆村
- 帖佐郷 - 東餅田村、鍋倉村、三拾町村、深水村、豊留村、中津野村、増田村、寺師村、住吉村、西餅田村、永瀬村
- 重富郷 - 平松村、船津村、脇元村
- 加治木郷 - 反土村、小山田村、日木山村、木田村、西別府村
- 明治4年
- 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により鹿児島県の管轄となる。
- 反土村の一部が分立して加治木町となる。(1町38村)
- 明治12年(1879年)2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての姶良郡が発足。「加治木郡役所」が管轄。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、各郷に加治木村、重富村、蒲生村、山田村、溝辺村、帖佐村が発足。(6村)
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、「加治木郡役所」が管轄する姶良郡・桑原郡・西囎唹郡の区域をもって、改めて姶良郡が発足。以下の各村が本郡の所属となる。(18村)
- 旧・桑原郡(5村) - 横川村(現・霧島市)、栗野村、吉松村(現・湧水町)、牧園村、西襲山村(現・霧島市)
- 旧・西囎唹郡(7村) - 敷根村、清水村、東襲山村[第1次]、福山村、国分村、西国分村、東国分村(現・霧島市)
- 明治31年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治45年(1912年)6月1日 - 加治木村が町制施行して加治木町となる。(1町17村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)
- 4月1日 - 国分村が町制施行して国分町となる。(2町16村)
- 7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和3年(1928年)11月1日 - 蒲生村が町制施行して蒲生町となる。(3町15村)
- 昭和4年(1929年)
- 10月10日 - 西国分村が町制施行・改称して隼人町(第1次)となる。(4町14村)
- 11月1日 - 福山村が町制施行して福山町となる。(5町13村)
- 昭和5年(1930年)1月1日 - 西襲山村が改称して日当山村となる。
- 昭和7年(1932年)4月1日 - 栗野村が町制施行して栗野町となる。(6町12村)
- 昭和10年(1935年)7月10日 - 東襲山村(第1次)が改称して霧島村となる。
- 昭和15年(1940年)
- 2月16日 - 横川村が町制施行して横川町となる。(7町11村)
- 4月1日 - 牧園村が町制施行して牧園町となる。(8町10村)
- 昭和17年(1942年)4月1日 - 帖佐村が町制施行して帖佐町となる。(9町9村)
- 昭和22年(1947年)11月3日 - 霧島村の一部(大字重久の一部)が国分町大字郡田に編入。
- 昭和23年(1948年)11月1日 - 日当山村の一部(大字朝日)が隼人町に編入。
- 昭和25年(1950年)4月1日
- 霧島村の一部(重久の大部分及び松永の一部)が分立して東襲山村(第2次)が発足。(9町10村)
- 霧島村の一部(松永の大部分及び重久の一部)が日当山村に編入(霧島村に残った重久の一部は永水と改称)。
- 昭和27年(1952年)10月10日 - 山田村の一部(辺川)が加治木町に編入。
- 昭和28年(1953年)
- 2月11日 - 吉松村が町制施行して吉松町となる。(10町9村)
- 5月3日 - 日当山村が町制施行して日当山町となる。(11町8村)
- 昭和29年(1954年)
- 4月1日(10町6村)
- 隼人町・日当山町および清水村の一部(姫城・平岡の各一部)が合併して隼人日当山町が発足。
- 国分町・東襲山村および清水村の残部が合併し、改めて国分町が発足。
- 5月10日 - 国分町・東国分村・敷根村が合併し、改めて国分町が発足。(10町4村)
- 昭和30年(1955年)
- 1月1日(10町2村)
- 帖佐町・重富村および山田村の一部(木津志の一部を除く)が合併して姶良町が発足。
- 山田村の残部(木津志の一部)が蒲生町大字米丸に編入。
- 2月1日 - 国分町が市制施行して国分市となり、郡より離脱。(9町2村)
- 昭和32年(1957年)4月1日 - 隼人日当山町が改称して隼人町(第2次)となる。
- 昭和33年(1958年)11月3日 - 霧島村が町制施行して霧島町となる。(10町1村)
- 昭和34年(1959年)4月1日 - 溝辺村が町制施行して溝辺町となる。(11町)
- 平成17年(2005年)
- 3月22日 - 栗野町・吉松町が合併して湧水町が発足。(10町)
- 11月7日 - 溝辺町・横川町・牧園町・霧島町・隼人町・福山町が国分市と合併して霧島市が発足し、郡より離脱。(4町)
- 平成22年(2010年)3月23日 - 加治木町・姶良町・蒲生町が合併して姶良市が発足し、郡より離脱。(1町)
変遷表
行政
- 歴代郡長
出典
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 46 鹿児島県、角川書店、1983年3月1日。ISBN 404001460X。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連文献
- 鹿児島県姶良郡郡制史 - Google ブックス(鹿兒島縣姶良郡役所、1924年)
関連項目
外部リンク
- 姶良郡に関連する地理データ - オープンストリートマップ
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