角田 誠(かくだ まこと、1983年7月10日 - )は、京都府宇治市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。
7歳でサッカーを始める。宇治市内のクラブチームから京都パープルサンガジュニアのユースに入団し、そのままユースチームまで進んだ。京都ユース時代の2001年、当時のJ2最年少出場記録(17歳10ヵ月13日)でデビューした。アテネオリンピック代表にも呼ばれていたが、最終メンバーからは落選。
2002年、チームはシーズン最高のリーグ5位となり、同年度の天皇杯初優勝に貢献した。
2004年に京都から名古屋グランパスエイトへ移籍。
2006年、J2降格の危機に陥っていた古巣・京都からのオファーを受け、シーズン途中に期限付き移籍で復帰。期限付き移籍満了に伴って翌2007年に名古屋一度は復帰したものの、開幕直前の2月28日に再度のオファーを受け、京都に完全移籍した。
2011年、京都の再度のJ2降格を機に、ベガルタ仙台へ完全移籍。角田は後に、仙台側が「ボランチとして獲得したい」というオファーを出してきた事を後にインタビューで明かしている。仙台入団後はオファーに沿ってボランチとしてプレーし年間順位4位の成績を経験、Jリーグ優秀選手に2011年、2012年の2度選出された。2013年は共同主将の1人に起用され、2014年は単独で主将を務めた。
2014年12月19日、川崎フロンターレへ完全移籍することが発表された。 移籍金を払っての獲得であり、DFリーダーとして期待され開幕戦から出場を続けていたが、14節の大敗以降出場機会を失う。
2015年8月1日に清水エスパルスへ期限付き移籍することが発表され、シーズン終了後に完全移籍。
2017年3月18日の鹿島アントラーズ戦では鈴木優磨に対し挑発行為を行い、その後清水は角田に対しリーグ戦1試合出場自粛および罰金処分を科した。
2018年シーズンは、リーグ戦出場が5試合・ルヴァンカップ出場が5試合にとどまった。12月10日、清水との契約満了が発表された。
2018年12月19日、V・ファーレン長崎に加入することが発表された。2020年12月21日、契約満了による退団が発表された。
2021年2月2日、ポルベニル飛鳥へ選手兼任コーチとして加入した。
2021年12月14日、退団及び現役引退を発表。
2022年1月5日、ベガルタ仙台のアシスタントコーチ就任が発表された。
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