『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』(バットマンアンドロビン ミスターフリーズのぎゃくしゅう、BATMAN & ROBIN)は、DCコミックスの『バットマン』を原作とした1997年公開のスーパーヒーロー映画である。監督はジョエル・シュマッカー、脚本はアキヴァ・ゴールズマン、出演はジョージ・クルーニー、クリス・オドネル、アリシア・シルヴァーストーン、ユマ・サーマン、アーノルド・シュワルツェネッガーらで、ワーナー・ブラザースが配給した。映画「バットマンシリーズ」の4作目であり、バットマンとロビンがゴッサム・シティを氷漬けにしようと企むMr.フリーズ、ポイズン・アイビー、ベインに立ち向かう物語である。
企画は『バットマン フォーエヴァー』(1995年)が興行的に成功した直後に始まり、撮影は1996年9月から1997年1月まで行われた。
1997年6月20日に封切られたが、批評家には玩具チックでキャンプなアプローチ、シュマッカーが追加した同性愛的暗示もあって酷評された。第18回ゴールデンラズベリー賞では最低作品賞などにノミネートされた。この後、ワーナー・ブラザースは企画していたシリーズ5作目『Batman Triumphant』を中止し、クリストファー・ノーラン監督の『バットマン ビギンズ』(2005年)でシリーズはリブートされた。
日本版ポスター等でのキャッチコピーは、「主役はオレだ!!」「ついに最強の敵、出現。」。
バットマン&ロビンの前に現れた冷凍怪人Mr.フリーズ。不治の病の妻を冷凍保存する際、事故で氷点下でしか生きられなくなった彼は、冷凍スーツの原動力となるダイヤモンドを強奪する。
そのころ南米ではウッドルー教授の実験により、改造戦士ベインが誕生。ウッドルーはこの筋肉増強剤を闇で売りさばこうとしていた。植物学研究者パメラ・アイズリーはその秘密を知った為殺されかけるが植物の毒素と反応を起こし、フェロモンと毒を含有するポイズンアイビーとして蘇生。逆にウッドルーを始末しベインとともにゴッサムへ向かう。
ブルースの忠実な執事にして親代わりであるアルフレッドは病に冒されていた。命尽きる時のため、彼は自らの後釜として弟を探す。そんな頃、姪であるバーバラが訊ねてきた。ブルースと衝突したディックは彼女に惹かれる。
アイビーとフリーズが手を組む一方で仲間割れするバットマンとロビン。倒れるアルフレッド。そんな中バーバラは、病床のアルフレッドから弟に渡すようにと託された記録ディスクを盗み見し、屋敷の地下秘密基地バットケイブに侵入する。
1995年に『バットマン フォーエヴァー』が興行的に成功した後、ワーナー・ブラザースはすぐに続編を決定した。8月にワーナーは監督のジョエル・シュマッカーと脚本のアキヴァ・ゴールズマンを続投させるために雇い、1997年6月公開ならば製作が間に合うと判断した。シュマッカーはバットマンの1960年代のテレビシリーズのキャンプ様式とディック・スプラングの作品へのオマージュを望んだ。『バットマン & ロビン』のストーリーラインは、『評決のとき』のプリプロダクション中にシュマッカーとゴールズマンによって考え出された。Mr.フリーズのバックストーリーの一部は、テレビアニメ『バットマン』のエピソード「氷の心を持つ男〜怪人ミスター・フリーズ〜」を基としている。主要撮影は当初1996年8月を予定していたが、同年9月12日まで遅れた。撮影は1997年1月下旬に完了した。撮影は主にカリフォルニア州バーバンクのワーナー・ブラザース・スタジオで行われた。
プロダクションデザイナーのバーバラ・リンは「(ゴッサム・シティのデザインは)ネオンまみれの東京とマシーン・エイジから来ている。ゴッサムはエクスタシーの国際博覧会のようだ」と述べた。視覚効果シークエンスはリズム&ヒューズ・スタジオとパシフィック・データ・イメージズが手がけ、ジョン・ダイクストラとアンドリュー・アダムソンが視覚効果スーパーバイザーを務めた。
『バットマン フォーエヴァー』と同じくエリオット・ゴールデンサールが映画音楽を手がけた。サウンドトラックにはスマッシング・パンプキンズの「The End Is the Beginning Is the End」、グー・グー・ドールズの「Lazy Eye」など多数のアーティストの曲が含まれた。またR・ケリーはサウンドトラックのために「Gotham City」を書いた。サウンドトラック盤は映画公開の1ヶ月前のとなる1997年5月27日に発売された
予告編は1997年2月19日の『エンターテイメント・トゥナイト』で初公開された。ワーナー・ブラザースはプロモーションとマーケティングに1500万ドルを費やした。
北アメリカでは1997年6月20日に公開され、初週末に4287万2605ドルを売り上げた。これは1997年の初週末成績としては3位の記録である。しかし、次の週末の興行収入は63%落ち込んだ。この落ち込みはネガティブな口コミによるものでもあり、また、『フェイス/オフ』と『ヘラクレス』との競合も原因であった。シュマッカーは「それはAin't It Cool Newsのハリー・ノウルズやDark Horizonsのような映画サイトによって仕掛けられたイエロー・ジャーナリズムだ」と主張した。最終的な興行収入は北米で約1億730万ドル、その他の国々で約1億3090万ドル、全世界で約2億3820万ドルに達した。ワーナー・ブラザースは北米での興業の失敗を認めたが、海外では成功であると指摘した。
『バットマン & ロビン』の批評家の反応は否定に偏った。Rotten Tomatoesでは95件のレビューで支持率は11%、平均点は3.8/10、批評家の一致した見解は「ジョエル・シュマッカーのふざけた態度が『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』で我慢の限界に達したことで気の狂った愚かな映画になってしまい、あまりに冗談が過ぎていて大して好きにはなれない。」となっている。またMetacriticでは21件のレビューのうち高評価は1件、賛否混在は9件、低評価は11件で加重平均値は28/100となっている。
シュマッカーとプロデューサーのピーター・マクレガー=スコットは、本作の不評はワーナー・ブラザースが製作を急いだために起こったと主張した。「ワーナー・ブラザースは『バットマン & ロビン』をもっとファミリー・フレンドリーにするように圧力をかけてきた」とシュマッカーは説明した。また「我々はあまり重苦しくない『バットマン』映画にし、苦悩を減らし、よりヒロイックにすることに決めていた。それが理由で非難されていることは知っているが、私はそのアプローチに全く害は見いだせなかった」と述べた。『シカゴ・サンタイムズ』のロジャー・イーバートは玩具的なアプローチとMr.フリーズのつまらないジョークを批判した。『ロサンゼルス・タイムズ』のケネス・トゥランは本作が映画『バットマン』シリーズを「殺した」と考え、また視覚効果に頼りすぎていると感じた。『ワシントン・ポスト』のデッソン・トムソンはシュマッカーの方向性とゴールズマンの脚本を非難した。『サンフランシスコ・クロニクル』のミック・ラサールは、「ジョージ・クルーニーはこの映画におけるビッグ・ゼロであり、シリーズにおけるジョージ・レーゼンビーとして歴史に名を残すべきだ」と主張した。一方で、ニューヨーク・タイムズのジャネット・マスリンは肯定的な評価を与えた。彼女はユマ・サーマンの演技、映画の美術、衣裳デザインを称賛した。
映画を見た者の多くは、シュマッカーが同性愛の暗示をストーリーに組み込んでいると考えた。ジェームズ・ベラーディネリはバットスーツの乳首や、尻や股間をクローズアップするカメラアングルに疑問を呈した。前作『バットマン フォーエヴァー』でも同様にバットマンとロビンのスーツに乳首とコッドピースがつけられていた。シュマッカーは「私にはバットスーツとロビンのスーツに乳首を付けることが国際的な見出しを喚起することになるとは考えもしなかった。スーツは古代ギリシャ彫刻から来ており、完璧な体を表す。これらは解剖学的に正しい」と説明した。ジョージ・クルーニーは「バットマンはゲイだから(「gay」の本来の意味である「陽気な」「派手な」とかけている)、ジョエル・シュマッカーは“我々は別の『バットマン』映画を作ったわけじゃない”と僕に言った」とジョークを言った。クルーニーはこの映画に批判的で、「私たちがフランチャイズを殺してしまったかもしれない」と語り、また「金の無駄」とも呼んだ。
『バットマン & ロビン』の撮影中、ワーナー・ブラザースはそのディティールに感銘を受け、ジョエル・シュマッカーを続編の監督として引き続き雇おうと考えた。しかしながら脚本のアキヴァ・ゴールズマンは続編の脚本執筆依頼を拒否した。1996年後半、ワーナー・ブラザースとシュマッカーは5作目の脚本家としてマーク・プロトセヴィッチを雇った。そして公開日は1999年半ばと発表された。タイトルは『Batman Triumphant』であり、プロトセヴィッチの脚本ではスケアクロウがメイン・ヴィランとなっていた。スケアクロウの毒ガスにより、バットマンの心の中の幻覚としてジョーカーが復活し、またハーレイ・クインがジョーカーの娘として描かれていた。ジョージ・クルーニーとクリス・オドネルもバットマンとロビンを再演する予定であった。しかしながら『バットマン & ロビン』が失敗に終わると、クルーニーはもう二度とバットマンをやらないと語った。
ワーナー・ブラザースは『バットマン・ザ・フューチャー』を実写化とフランク・ミラーの『バットマン: イヤーワン』の翻案を検討した。シュマッカーは「初心に返ってダークナイトのダークな描写になるだろう」と考えた。彼は1998年半ばに『バットマン: イヤーワン』のためにワーナー・ブラザースに近づいたが、ワーナー側はダーレン・アロノフスキーを雇うことに興味を示していた。アロノフスキーとフランク・ミラーは『イヤーワン』の脚本を開発し、アロノフスキーが監督しようとしたが、最終的に中止となった。2003年1月に次の『バットマン』映画の監督にクリストファー・ノーランが就任し、『バットマン ビギンズ』(2005年)にリブートされた。
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