西蒲原郡(にしかんばらぐん)は、新潟県の郡。
人口7,319人、面積25.17km²、人口密度291人/km²。(2024年4月1日、推計人口)
以下の1村を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1村のほか、以下の区域にあたる。
- 燕市の大部分(井土巻・野中才・五千石・大川津を除く)
- 新潟市の一部
- 西区
- 西蒲区の大部分(間瀬を除く)
- 中央区(概ね関屋地区各町)
- 南区の一部(中ノ口川以西)
歴史
郡発足までの沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での、蒲原郡のうち後の本郡域の支配は以下の通り。●は寺社領、○は寺社除地が存在。(2町357村)
- 慶応4年
- 4月19日(1868年5月11日) - 幕府領・旗本領が新潟裁判所の管轄となる。
- 閏4月29日(1868年6月19日) - 戊辰戦争で新政府軍が桑名藩の陣屋がある刈羽郡柏崎を制圧。
- 5月23日(1868年7月12日) - 幕府領・旗本領・桑名藩領が越後府(第1次)の管轄となる。
- 明治元年
- 9月21日(1868年11月5日) - 越後府(第1次)が改称して新潟府となる。
- 9月22日(1868年11月6日) - 会津戦争で会津藩が新政府軍に降伏して領地を没収され、領地が越後府の管轄となる。
- 明治2年
- 2月8日(1869年3月20日) - 越後府(第2次)の管轄となる。
- 7月27日(1869年9月3日) - 水原県の管轄となる。
- 明治3年
- 3月7日(1870年4月7日) - 新潟県(第2次)の管轄となる。
- 7月 - 越後国内で大規模な領地替えが行われ、高崎藩領・三根山藩領・与板藩領を除く全域が新潟県の管轄となる。ただし、三根山藩領のうち3村(平野村・五ヶ浜村・福井村)は新潟県の管轄となった。
- 10月29日(1870年11月22日) - 三根山藩が改称して峰岡藩となる。
- 明治4年
- 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により藩領が高崎県、峰岡県、与板県となる。
- 11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により全域が新潟県(第2次)の管轄となる。
- 廃藩置県にともない、峰岡藩の家臣居住区に峰岡村が起立。(2町358村)
- 明治初年 - 松崎村外新田が松崎村に改称。
- 明治8年(1875年) - 大谷外新田が稲島村に合併。(2町357村)
- 明治9年(1876年) - 五野上村新田が五野上村に、市左衛門受が又新村にそれぞれ合併。(2町355村)
- 明治10年(1877年)(2町348村)
- 藤野木村古料・藤野木村新料が合併して藤野木村となる。
- 大倉興野村・大倉新田・山王興野村・山王新田が中蒲原郡松橋村の一部(枝郷居宿)と合併して天麟村となる。
- 笠木村請が笠木村に、尺子木村が川崎郷屋村に、日出潟十三ヶ村受が三王淵村・小牧村・中川村・次新村・小中川村・小古津新村・勘新村・四ツ屋村・大船渡村・二階堂村・又新村・真木村・道上村にそれぞれ合併。
郡発足以降の沿革
- 明治12年(1879年)(2町355村)
- 4月9日 - 郡区町村編制法の新潟県での施行により、新潟県蒲原郡のうち2町348村に行政区画としての西蒲原郡が発足。郡役所を巻村に設置。
- 三島郡真木山村の所属郡が本郡に変更。
- 天麟村が山王村・山王新田・大倉村・大倉新田・居宿村に分村。
- 木場村・黒鳥村の境界付近の集落より小平方分が起立。
- 鳥原村の一部より寺地村が起立。
- 小見郷屋村受が碇下新田に改称。
- 2ヶ所ずつ存在した泉村、太田村、中野村、長島村、船越村、中村が下泉村(現:新潟市)、上泉村(現:弥彦村)、西太田村(現:燕市吉田西太田)、東太田村(現:燕市東太田)、下中野村(現:燕市)、上中野村(現:新潟市)、東長島村(現:新潟市南区東長嶋)、西長島村(現:新潟市西蒲区西長島)、東船越村(現:新潟市西蒲区東船越)、西船越村(現:新潟市西蒲区西船越)、東中村(現:新潟市西蒲区東中)、西中村(現:新潟市西蒲区西中)にそれぞれ改称。
- 明治13年(1880年) - 富出村外新田が曽根村に合併。(2町354村)
- 明治15年(1882年) - 花見新田村の一部が花見村に、道上村ノ内が道上村にそれぞれ合併。(2町353村)
- 明治16年(1883年)
- 上河原村外新田が上河原村に、横山村外新田が横山村にそれぞれ改称。
- 花見新田村が花見村に合併。(2町352村)
- 明治17年(1884年) - 嵐潟新田が水沢新田村に合併。(2町351村)
- 明治18年(1885年) - 横山村が仁箇村に、味方新田が味方村にそれぞれ合併。(2町349村)
- 明治19年(1886年)(2町335村)
- 兵左衛門新田・清左衛門新田・田巻新田・碇下新田が合併して早潟村となる。
- 高山村外新田・新通村古新田が合併して新通村となる。
- 国上村新田が国上村に、中島村新田が中島村に、喜津村外新田が下粟生津村に、大島村が吉田村に、梅田村が高畑村に、水沢新田村受が水沢新田村に、玉幸新田が上泉村に、半間新田が矢作村に、渡辺新田が大戸村に、与五左衛門新田が花見村にそれぞれ合併。
- 明治20年(1887年) - 治田新田が下中野村に合併。(2町334村)
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により以下の町村が発足。特記以外は現・新潟市。(2町77村)
- 明治24年(1891年)4月10日 - 巻村が町制施行して巻町となる。(3町76村)
- 明治29年(1896年)4月1日 - 三島郡間瀬村の所属郡が本郡に変更。(3町77村)
- 明治30年(1897年)1月1日 - 新潟県で郡制を施行。
- 明治34年(1901年)11月1日 - 下記の町村の統合が行われる。いずれも新設合併。(3町34村)
- 明治39年(1906年)4月1日 - 秋津村・曲通村・中合村が合併して月潟村が発足。(3町32村)
- 大正12年(1923年)3月31日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正13年(1924年)1月1日 - 吉田村が町制施行して吉田町となる。(4町31村)
- 大正15年(1926年)6月30日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和2年(1927年)10月1日 - 太田村が燕町に編入。(4町30村)
- 昭和3年(1928年)10月1日 - 内野村が町制施行して内野町となる。(5町29村)
- 昭和5年(1930年)12月1日 - 曽根村が町制施行して曽根町となる。(6町28村)
- 昭和23年(1948年)7月1日 - 黒埼村が中蒲原郡曽野木村の一部(合子ケ作・楚川新田)を編入。
- 昭和24年(1949年)4月1日 - 巻町が漆山村の一部(赤鏥)を編入。
- 昭和26年(1951年)4月1日 - 弥彦村の一部(浜首および矢作の一部)が吉田町に編入。
- 昭和29年(1954年)
- 3月31日 - 燕町・松長村・小中川村・小池村が合併して燕市が発足し、郡より離脱。(5町25村)
- 7月7日 - 小吉村・道上村が燕市の一部(羽黒・姥島・真木)と合併して中之口村が発足。(5町24村)
- 11月1日 - 坂井輪村が新潟市に編入。(5町23村)
- 11月3日(5町19村)
- 吉田町・米納津村・粟生津村が合併し、改めて吉田町が発足。
- 地蔵堂町・国上村・島上村が合併して分水町が発足。
- 昭和30年(1955年)
- 1月1日 - 巻町・峰岡村・浦浜村・松野尾村・角田村・漆山村が合併し、改めて巻町が発足。(5町14村)
- 3月31日(5町11村)
- 岩室村・間瀬村が合併し、改めて岩室村が発足。
- 四ツ合村・大原村が合併して潟東村が発足。
- 曽根町・鎧郷村が合併して西川町が発足。
- 7月10日 - 西川町の一部(中郷屋・葉萱場・割前・羽田・東汰上)が巻町に編入。
- 昭和32年(1957年)
- 7月5日 - 分水町が三島郡大河津村の一部(野中才・五千石・大川津)を編入。
- 7月15日 - 分水町の一部(溝・溝古新)が吉田町に編入。
- 昭和35年(1960年)
- 1月11日 - 内野町が新潟市に編入。(4町11村)
- 1月20日 - 岩室村・和納村が合併し、改めて岩室村が発足。(4町10村)
- 4月1日 - 岩室村の一部(下和納・安尻)が巻町、一部(本町)が吉田町に編入。
- 昭和36年(1961年)
- 6月1日 - 赤塚村・中野小屋村が新潟市に編入。(4町8村)
- 6月10日 - 西川町・升潟村が合併し、改めて西川町が発足。(4町7村)
- 昭和48年(1973年)2月1日 - 黒埼村が町制施行して黒埼町となる。(5町6村)
- 平成13年(2001年)1月1日 - 黒埼町が新潟市に編入。(4町6村)
- 平成17年(2005年)
- 3月21日 - 西川町・味方村・岩室村・潟東村・月潟村・中之口村が新潟市に編入。(3町1村)
- 10月10日 - 巻町が新潟市に編入。(2町1村)
- 平成18年(2006年)3月20日 - 分水町・吉田町が燕市と合併し、改めて燕市が発足。(1村)
変遷表
行政
- 歴代郡長
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 15 新潟県、角川書店、1989年9月1日。ISBN 4040011503。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
外部リンク
『越佐地図教科書』(国立国会図書館デジタルコレクション)- 1896年(明治29年)1月出版。人口 149,420人、戸数 22,859との記述あり
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