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アジア競技大会


アジア競技大会


アジア競技大会(アジアきょうぎたいかい、Asian GamesまたはAsiad)は、第二次世界大戦後、インドの提唱により始められた、アジアの国々のための総合競技大会。アジアオリンピック評議会(OCA)が主催するため、「アジア版オリンピック」とも言われている。アジア大会と呼ばれることもある。

概要

基本的に、オリンピックと同様のスポーツが行われるが、ソフトテニス(軟式テニス)、囲碁、シャンチー(中国象棋)、カバディ、セパタクロー、空手道などのような、アジアの地域性を反映したオリンピックにはない独特の競技も行われている。

最多開催国はタイで、過去4回に渡りすべて首都バンコクで開かれている。ソ連崩壊後は中央アジア諸国もアジア大会に参加するようになり規模も拡大化。柔道、バドミントン等の元来アジア人選手が強い競技の他、中華人民共和国の選手強化、中東諸国のアフリカからの移民選手の参加等の要因により水泳、陸上などの競技レベルも向上し世界記録レベルの競技大会に発展している。

団体競技では翌々年のオリンピック出場枠を争うアジア予選を兼ねる場合があり、個人競技でも同じ国の選手同士で翌年度に集中する夏季オリンピック選考の重要な前哨戦ともいわれる。

歴史

1950年代

1913年から1934年まで、日本、フィリピン、中国の3カ国で行われていた極東選手権競技大会(The Far eastern Championship games)、1934年にインドのニューデリーで開催された西アジア競技大会が源流とされる。

第二次世界大戦の終結後、1947年にロンドンでアジア13カ国の会合がありアジアの総合競技会の開催で一致、さらに1948年7月のロンドンオリンピックにおいてインド、フィリピン、朝鮮(分裂前)、中華民国、セイロン、ビルマが再度、アジアの総合競技大会をインドのニューデリーで開催することを決議。1949年2月にアジア競技連盟(AGF)が創立された。この開催決議はインド選出のIOC委員であったソンディ(Guru Dutt Sondhi)が主導したと言われる。

AGF設立時にはインド、アフガニスタン、ビルマ、パキスタン、フィリピンが加盟し、1950年に第1回大会を開催する予定であったが施設の整備、用具の調達が間に合わず、翌年の1951年にインドのニューデリーで第1回が開催された。以降、基本的に夏季オリンピックの中間年に開催している。

1958年5月に開催された第3回大会は1964年の東京オリンピック招致活動の最中の東京で行われ、大会に先立つ5月には国際オリンピック委員会総会が東京で開かれ、国際大会の開催能力をIOCに対して示す貴重な機会となる。

1960年代-1970年代

しかし、第4回大会以降はしばしば世界的な政治問題に影響された。1962年8月にインドネシア・ジャカルタで開催された第4回大会にはインドネシア政府がスカルノ大統領の親中、親イスラム諸国の意向により、台湾(中華民国)とイスラエルの参加を拒否。IOC、国際陸上競技連盟(IAAF)、国際ウエイトリフティング連盟(IWF)は第4回アジア大会は正式競技大会としては認めないと表明、日本選手団は中止されたウェイトリフティング競技以外は参加したが、津島寿一日本体育協会会長が責任を負い辞任するなどの事態となった。翌1963年にIOCがインドネシアの資格停止(オリンピック出場停止)を決議、これに対抗しアラブ諸国12ヶ国が東京オリンピックボイコットを示唆、同年11月にはインドネシアはIOCに対抗し新興国競技大会(GANEFO)を開催するなど東京オリンピックを前にして国際スポーツ界の分裂の火種となってしまった。

1970年の第6回大会は韓国ソウルで開催予定であったが1968年1月に北朝鮮の特殊部隊のソウル侵入事件(青瓦台襲撃未遂事件)が発生した影響などで韓国が開催を返上。急遽、前回大会の開催地であるバンコクでの開催となった。

1974年の第7回大会はイラン・テヘランで開催されたがアラブ諸国、パキスタン、台湾に代わり初参加の中華人民共和国と北朝鮮がイスラエルとの対戦を拒否するなどの問題が生じた。またイランはイラン革命前でありこの大会にはイラクも参加していた。

1978年の第8回大会は警備上の問題があるとしてイスラエルの参加を拒否、これに対して国際陸上競技連盟(IAAF)がアジア大会参加選手はIAAF主催の大会に参加させないと表明するなど対抗した。さらに1982年第9回大会(ニューデリー)にもイスラエルはインドへの入国を拒否された。このイスラエル問題は第9回大会の直後に開催されたAGF会議において、アジアオリンピック評議会(OCA)設立がイスラエルを排除する形で決議され、以降のアジア競技大会はOCA主催となったことから、イスラエルのアジアスポーツ界からの排除という形で決着されることとなった。

1980年代-2010年代

1986年からは、それまでの夏季大会に加えてアジア冬季競技大会が行われ、第1回と第2回冬季大会は札幌市で、第5回冬季大会は2003年2月に青森県で行われた。さらに、スポーツ競技数の増加に対応し、2005年からは、室内競技を中心としたアジアインドアゲームズも始められた。

2006年ドーハ大会では過去最多の39競技が実施されたが、次第に巨大化する大会規模を懸念し、いくつかの競技をアジアインドアゲームズや2008年に始めたアジアビーチゲームズに振り分け、2010年広州大会からは35競技に削減する方向にいったんはなった。そしてボディビルがアジアビーチゲームズへ移行することになったもの(ボディビル#アジア大会におけるボディビル競技を参照)、武術太極拳、ダンススポーツ、ドラゴンボート、クリケット、囲碁などが追加され、結局2010年大会では史上最多の42競技が実施された。

2014年仁川大会ではこれを36競技に削減されることが発表され、2010年大会開催競技のうちソフトボール、ローラースポーツ、チェス、ビリヤード、ダンススポーツ、ドラゴンボートの6競技が除外対象とされた。検討された当初はボウリングとクリケットも除外候補であったが、残留した。その後、ソフトボールは野球との1競技扱いで除外を免れ、ソフトテニスもテニスの種目となった。

2009年7月3日に開かれたOCA総会で、第18回大会の開催を1年遅らせて2019年に開催することが決まった。2012年11月のOCA総会(マカオ)にて2019年の第18回大会の開催地をハノイ(ベトナム)と決定したが、2014年4月17日、ベトナム政府が財政難を理由として大会開催を辞退することを発表した。2014年9月、ジャカルタ(インドネシア)がハノイに代わる開催都市に決定し、開催年も2018年と1年早まった。

2020年代-2030年代

第19回大会は2023年に中国の杭州での開催を予定し、中国のアリババグループと提携してeスポーツを正式メダル種目にすることを発表している。第20回大会(2026年)については愛知県・名古屋市(日本)の共催で行われる。第21回大会(2030年)と第22回大会(2034年)は連続して西アジアで開催予定。

歴代大会

以下は夏季大会のものである。夏季大会以外はアジア冬季競技大会、アジアインドアゲームズ、アジアビーチゲームズなどの項を参照。

※ 第18回大会は当初2019年に開催が予定され、開催地がハノイ( ベトナム)と決定されていたが、ベトナム政府が2014年4月に大会開催権を辞退した。2014年9月ジャカルタ( インドネシア)がハノイに代わる開催都市に決定し、開催年も2018年と1年早まった。

MVP賞

1998年のバンコク大会以降、サムスン電子がスポンサーとなり、MVPが選出されている。受賞者には賞金などが贈られる。歴代受賞者は以下の通り。

実施競技

備考
  • 黒丸 正式種目
  • d 公開種目(エキシビション)
Collection James Bond 007

脚注

注釈

出典

参考文献

  • Huebner, Stefan (2016), Pan-Asian Sports and the Emergence of Modern Asia, 1913-1974, Singapore: NUS Press, ISBN 978-981-4722-03-2, http://nuspress.nus.edu.sg/collections/rest-of-asia-regional/products/pan-asian-sport-and-the-emergence-of-modern-asia-1913-1974?variant=925661658 
    • シュテファン・ヒューブナー 著、高嶋航・冨田幸祐 訳『スポーツがつくったアジア 筋肉的キリスト教の世界的拡張と創造される近代アジア』一色出版、東京、2017年11月。ISBN 978-4-909383-00-6。  - 日本語版。

関連項目

外部リンク

  • アジアオリンピック評議会 (英語)

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: アジア競技大会 by Wikipedia (Historical)