亀有(かめあり)は、東京都葛飾区北部にある地名。現行行政町名は亀有一丁目から亀有五丁目。住居表示実施済区域。
以前の亀有地域は、日立製作所や日本紙業(現:日本大昭和板紙)、三共(現:第一三共)などの工場を擁する工業地域だった。現在、これらの工場は撤退し、主にJR常磐線亀有駅を中心とした商店街と閑静な住宅街から形成されている。
また、亀有駅を中心とした生活エリア全体を隣接する足立区域も含め、亀有と呼ぶケースもある。
中川の西岸に位置し、北は足立区に接している。隣接する行政上の町名は、北は足立区中川および東和、東は中川を挟んで対岸に新宿(にいじゅく)、南は青戸、白鳥(しらとり)、西は西亀有である。西亀有は1965年の住居表示実施までは砂原町と呼ばれた地域である。南東の青戸の向こうには国道6号が通る。
なお、地名から「カメ」に因んだ物品・モニュメントも地域内に多く存在する。
住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、亀有2-18-7の地点で35万円/m2となっている。
地域北部にあるJR常磐線亀有駅を中心とした地域は、葛飾区内でも有数の商業地域であり、かつては駅周辺に狭小な商店街が連なっていた。
約20年に及ぶ南口再開発事業の末、1996年に4棟の商業ビル、マンション、駐車場等を擁するリリオ商店街が開業した。当初は西友が亀有西武店での出店を予定していたが、バブル崩壊で出店中止となり、再開発事業は1年近く頓挫。結局、核テナントとしてイトーヨーカドーが出店した。そのほか、多目的ホール「かめあり リリオ・ホール」や葛飾区亀有地区センター(亀有区民事務所、集会所等)などが所在する。
亀有は、南北両側の商店街に下町のかおりを色濃く残しているが、この再開発で大きく変わりつつある。さらに、2006年3月3日にリリオ以来の大規模再開発として日本板紙亀有工場跡地に大規模ショッピングセンター「アリオ亀有」が開業し、商業地域はますます活況を呈している。
2012年、東京都は亀有三丁目および五丁目を都迷惑防止条例に基づき、客引きやスカウトのみならず、それらを行うために待機する行為なども禁止する区域に指定した。 さらに2019年には同じく亀有三丁目および五丁目を暴力団排除条例に基づき、暴力団排除特別強化地域に指定。地域内では暴力団と飲食店等との間で、みかじめ料のやりとりや便宜供与などが禁止され、違反者は支払った側であっても懲役1年以下または罰金50万円以下の罰則が科される。
この地域はかつて亀無・亀梨(かめなし)と呼ばれていた。応永5年(1398年)の『下総国葛西御厨注文』で「亀無」、永禄2年(1559年)の『小田原衆所領役帳』で「亀梨」の表記が見られる。この名は、低湿地帯の中に「亀」の甲羅の形を「成す」土地だからということで付けられたといわれている。
この地名は「無し」に通じて縁起が悪いとされ、江戸時代初期(1644年頃)に『正保国絵図』を作成する為の報告書提出の際、現在の名に改められた。
2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年4月時点)。
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである。
経済センサスによる事業所数の推移。
経済センサスによる従業員数の推移。
新たな鉄道路線として東京地下鉄有楽町線の延伸計画や環七高速鉄道の建設計画がある。
江戸時代は水戸黄門像が立地する場所に水戸街道の一里塚が置かれるなど、交通の要衝だったが、大部分は明治になってもひなびた農村だった。明治に入り、地域は南葛飾郡亀有村となり、1889年の町村制施行に伴う再編でその大部分は青戸村と合併して亀青村の一部となった。1919年に日本紙器製造(→日本紙業→日本大昭和板紙)亀有工場が、1938年には日立製作所亀有工場が進出するなど、大正以降、特に関東大震災以降に工業地域として発展した。1932年に亀青村が東京市に編入され、地域は新たに成立した葛飾区の一部となった。
第二次世界大戦では被害がほとんどなかったため、戦後は都心部から人口が流入し、急速に住宅地化が進んだ。特に江東区、墨田区、台東区、荒川区などからの流入が多く、下町の気風はこの地に移転したかの観がある。これは葛飾区全体に言えることである。
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