青山 ミチ(あおやま みち、本名:八木 フサ子〈やぎ ふさこ〉、1949年(昭和24年)2月7日 - 2017年(平成29年)1月)は、日本の元ポップ、ロック歌手。
代表曲に「涙の太陽」「ミッチー音頭」「叱らないで」「恋のゴーカート」「恋はスバヤク」などがある。
神奈川県横浜市出身。父親が在日米軍のアメリカ人兵(黒人と報じられることもあったが菊地史彦は白人と断定している)で母親が日本人(八木キミ子)。1961年(昭和36年)、ジャズ喫茶が主催する素人ジャズコンクールで入賞したのをきっかけにポリドール・レコード(日本グラモフォン、現・ユニバーサル ミュージック)の目にとまり、翌1962年(昭和37年)に「ひとりぼっちで想うこと」でレコードデビューした。当時は13歳で横浜市立港中学校の2年生だったが既に身長160センチメートル(cm)、バスト93cm、ヒップ90cmに達していた。
パワフルでパンチのある唄声で「ミッチー」の愛称で親しまれ、ジャンニ・モランディの曲をカバーした「恋のゴーカート」や、やはりカバー曲の「恋はスバヤク」などを発表した。また、1963年(昭和38年)には「ミッチー音頭」が、1965年(昭和40年)には、エミー・ジャクソンと競作となった「涙の太陽」が小ヒットした。1960年代後半には生き別れたアメリカ人の父親を捜そうとしてニュースにもなっている。
「風吹く丘で」の発売を控えた1966年(昭和41年)11月に覚醒剤で逮捕され、レコードの発売がお蔵入りとなる(後に「亜麻色の髪の乙女」に改題され、ヴィレッジ・シンガーズでヒット・後年、島谷ひとみによるカバーでもヒットした)。その後日本クラウンに移籍し活動を再開。1968年(昭和44年)には「叱らないで」を発表した。
1974年(昭和49年)3月に万引きで現行犯逮捕。当時はキャバレーの歌の営業で、月200万円ほどの収入があったとも報道された。1978年(昭和53年)10月には再び覚醒剤で逮捕され、芸能界から追放状態となる。その後、1999年にも3度目の覚醒剤による逮捕で実刑判決を受け、表舞台から完全に姿を消した。
その後は長らく消息不明だったが、娘と2人で生活保護を受けながら暮らしていることがテレビ番組『あの人は今!?』の調査で判明した。また、アメリカに父方の彼女の異父姉妹に当たる姉がおり、2009年(平成21年)に妹のミチを捜し続けて、彼女の情報提供を呼びかけていた。
2017年(平成29年)1月、急性肺炎のため神奈川県横須賀市の自宅で死去。1月25日に親族が自宅を訪れたところ死亡しているのが発見された。67歳没。
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