中山 元気(なかやま げんき、1981年9月15日 - )は、山口県下関市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはFW。 レノファ山口FC トップチームコーチ。
下関市立桜山小学校2年からサッカーを始め、4年生から試合に出始める。
高校時代は多々良学園へ進学。高校1年生から試合に出始め、高1の時は横山聡と2トップを組み活躍し、高松大樹は同級生だが高松は当時DF登録だった。1999年には同高初のインターハイベスト4入りに貢献した。
2000年、サンフレッチェ広島へ入団、同期入団は森崎和幸・森崎浩司兄弟・駒野友一・松下裕樹・山形恭平・八田康介。しかし、同年3月に右膝前十字靭帯を断裂、復帰後2002年に今度は左足の靭帯を痛め(部分断裂)、再びリハビリに日々を費やす。2003年夏頃に復帰、広島のJ1昇格に貢献した。
2005年、出場機会を求めてコンサドーレ札幌へ移籍。翌2006年はフッキが加入し相川進也や石井謙伍が活躍したこともあって出場機会が減少した。しかし、2007年に三浦俊也監督が就任すると、前線での献身的なプレスが評価され主力として活躍、同年度J1昇格に貢献した。2009年戦力外通告を受けた。
2010年、湘南ベルマーレへ移籍する。同年5月26日対ジュビロ磐田戦にて左膝前十字靭帯を断裂しシーズンを棒に振ることとなり、同年末に戦力外通告を受けた。
2011年、地元である山口県を本拠地とするレノファ山口FC(当時中国リーグ)へ移籍。
2012年シーズン終了後に現役引退し、2013年からレノファ山口FCの監督に就任する。同シーズンの全社ではクラブ初の優勝に導いたものの、中国サッカーリーグ3位・地域決勝グループリーグ敗退に終わった。そこへ同年末のJ3創設と鹿児島ユナイテッドFC創設などに伴い繰り上げで日本フットボールリーグ(JFL)昇格が決定、つまり事実上就任1年で上位カテゴリ昇格に導いた。ただ、JFA A級コーチライセンスを持っていないため日本サッカー協会指導者ライセンスの関係上JFLでの指揮が執れないことから、1年で退任することになった。
2014年、レノファ山口の育成組織にあたるU-18監督に就任。就任後はチームを高円宮杯 JFA U-18サッカーリーグ山口県リーグ2部だったチームを1部へと昇格させ、2018年シーズンは高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ中国昇格まで後一歩のところまで導いた。
2019年シーズンからトップチームコーチに就任。2023年5月に名塚善寛の退任に伴い、暫定的にではあるが10年ぶりにトップチームの指揮を執ることになった。
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