ムハマド・ユヌス(ベンガル語: মুহাম্মদ ইউনুস Muhammad Yunus、1940年6月28日 - )は、バングラデシュの経済学者、実業家。同国にあるグラミン銀行の創設者、またそこを起源とするマイクロクレジットの創始者として知られる。2006年にはノーベル平和賞受賞。学位は経済学博士(ヴァンダービルト大学)。また、国連のSDG Advocates の一人である。
英国統治下にあったバングラデシュの南部チッタゴンの宝石店の二男として生まれる。チッタゴンカレッジを経て、ダッカ大学で修士号を取得し卒業。フルブライト奨学金を得て渡米し、1969年にヴァンダービルト大学で経済学の博士号を取得した。テネシー州で同郷の友人とともに「バングラデシュ市民委員会」を組織、祖国の独立を支援した。 1969年から1972年までミドルテネシー州立大学で経済学の助教授を務める。その後、バングラデシュ独立の翌年の1972年に帰国し、チッタゴン大学経済学部長に就任した。1976年に貧困救済プロジェクトをジョブラ村にて開始し、銀行に融資するように働きかけ自ら村民の保証人にまでなったが、銀行の融資は受けられず、1983年に同プロジェクトはバングラデシュ政府の法律により独立銀行(政府認可の特殊銀行)となる。無担保で少額の資金を貸し出すマイクロ・クレジットでは、8万4000村で558万人ほどの貧しい女性を主対象に貸し出している。このマイクロ・クレジットは貧困対策の新方策として国際的に注目され、主に第三世界へ広がっている。 グラミン銀行は多分野で事業を展開し、「グラミン・ファミリー」と呼ばれるグループへと成長をとげた。2006年のノーベル平和賞が授与された。2007年2月、新党「市民の力」を発足。2011年3月2日、バングラデシュ中央銀行は商業銀行総裁の60歳定年を定めた法律を違反して、ユヌスが総裁を続けているとして、グラミン銀行総裁を解任したと発表した。その際グラミン銀行側は役員会から永久総裁として認められていると反論し、撤回を求めて提訴したが、バングラデシュ最高裁に棄却され解任が決定になった。原因は二大政党制に批判的なユヌスが政党を立ち上げようとしたことで、首相と対立したためとも言われている。
2013年、ユヌスは日本人グラフィックデザイナー稲吉紘実のデザインによる「ユヌス・ソーシャル・ビジネス マーク」を発表した。
ユヌスは、現在の資本主義が、人間について利益の最大化のみを目指す一次元的な存在であると見なしているとする。これに対して人間は多元的な存在であり、ビジネスは利益の最大化のみを目的とするわけではないとユヌスは主張する。
ユヌスは、利益の最大化を目指すビジネス(PMB)とは異なるビジネスモデルとして、「ソーシャル・ビジネス」を提唱した。ソーシャル・ビジネスとは、特定の社会的目標を追求するために行なわれ、その目標を達成する間に総費用の回収を目指すと定義している。また、ユヌスは2種類のソーシャル・ビジネスの可能性をあげている。一つ目は社会的利益を追求する企業であり、二つ目は貧しい人々により所有され、最大限の利益を追求して彼らの貧困を軽減するビジネスである。
ユヌスは、グラミン・ファミリーの一つであるグラミン・コミュニケーションズにて会長職を務めている。このグラミン・コミュニケーションズで、労働法に違反した事が発覚している。ユヌスは2020年3月11日に他の会社幹部3人とともにバングラデシュの労働裁判所に公式に謝罪し、罰金として7500タカを支払った。またユヌスが設立した非営利法人で給与未払いなどの労働法違反があったとして起訴され、ユヌス自身は違法性を否定したが2024年1月1日に禁錮6カ月の有罪判決を受け、即時釈放が認められた。この逮捕にはユヌスの政治的な人気の高さを警戒した政権側の意向もあったと見る向きもあった。
など多数にのぼる(List of awards received by Muhammad Yunusも参照)。
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