『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』(クイズせかいはショー・バイ・ショーバイ)は、1988年(昭和63年)10月12日から1996年(平成8年)9月25日まで、日本テレビ系列で放送されていたクイズバラエティ番組である。毎週水曜日の20:00 - 20:54(日本標準時)に放送された。
後に番組タイトルが1994年10月19日の放送から『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』(しんそうかいてんショー・バイ・ショーバイ)、1995年10月18日の放送から『新装開店!SHOW by ショーバイ2』(しんそうかいてんショー・バイ・ショーバイ ツー)と改められた。通称は『SHOW by ショーバイ!!』または『ショーバイ!!』。
1988年に日本テレビ内で立ち上がった「日本テレビクイズプロジェクト」の第1弾として企画された番組である。本番組のテーマは「商売」である。現代の世界と日本におけるさまざまでユニークな職業や商売を現地取材によるレポート、その中の物事に関することをスタジオの司会者と解答者によるトークとクイズ形式で紹介した。世界の情報紹介にクイズのゲーム性を加味し、番組の要素とした。番組タイトルの意味は、初代司会者の逸見政孝によれば「世界は商売によるショー(SHOW)である」といい、この番組の製作姿勢を表すものである。
本番組では番組自体を店とみなし、司会の逸見が「店長」(逸見没後の1994年3月16日の放送からは福澤朗、福澤の愛称は「若旦那」)、代理司会者が「店長代理」、渡辺正行が「大番頭」、得点を「ショーバイマネー」、トップ賞を「売り上げNo.1」と呼称する。得点は「売上金」と見立てて「萬」(=万円)という単位が使われた。
海外取材にはJALが協力しており、毎回、書き問題のうち1問の冒頭でJALの航空機が飛んでいる映像が流れていた。
逸見の1回目のガン摘出手術に伴う短期入院(1993年2月24日)の際には「一日店長」として、およびガン治療による降板から福澤の2代目店長就任まで(1993年9月22日 - 1994年3月9日)の期間に「店長代理」として司会を務めた。
これとは別に、1989年12月20日放送分では、大番頭役の渡辺が当時の2枠レギュラー解答者であった野沢直子と第1問・第2問の間だけ役割を入れ替わったことがある。
逸見は番組が開始された1988年3月末にフジテレビを退職し、フリーとなった後では最初の他局でのレギュラー番組だったが、この番組でキャラクターが開花し、番組と共に一躍人気者となった。またレギュラー解答者の山城が、第1回放送から逸見の敵役を演じ、あらゆる場面で彼らの掛け合いが行われた。この掛け合いが後に行われる特番において、逸見と山城をキャプテンとする「逸見チーム」VS「山城チーム」へのチーム対決へと発展した。
番組では週ごとにテーマが設定され、日本および日本以外の2-3か国からそのテーマに関するクイズが出題された。番組開始当初から1989年10月ごろまでは基本的に毎回扱う職業を1つに絞り「世界の○○」というようなテーマ(○○にはその週ごとの職業が入る。第1回は「世界のタクシードライバー」)を設けていたが、後に職業を1つに限定しなくなり、テーマも「○○の商売」という形になった。
視聴率は放送開始当初、TBSの『わくわく動物ランド』の影響でやや苦戦していたが、番組開始から2年が経過した1990年の冬には視聴率20%を割る回のほうが少なくなるまでに上昇。1991年から1992年ごろには常に高視聴率をキープした。
逸見自身は「15%の視聴率を狙いたい」と語っていたが、1991年には年間平均視聴率が21.2%に達し、バラエティ・音楽番組部門の平均視聴率ベスト10で第1位となった。最高視聴率は同年の4月24日に記録した26.9%である(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。
1992年12月30日の特番『クイズ年末はSHOW by ショーバイ!!』は、逸見チームが負けた場合には司会(店長)の座を山城に譲るというルールで行われた。このため、店長交代の可能性もあったが、同特番では「逸見チーム」の勝利となった事で逸見は店長の座を守った。
1993年9月6日、逸見がスキルス胃がんを患っていることを緊急記者会見で公表、翌日から入院・闘病生活に入った。その2日後の8日放送分で逸見出演分の収録ストックは切れており、これを最後に逸見は実質番組を降板。その日の放送のラストには「逸見さん 病気に負けないでがんばって下さい SHOW by ショーバイ スタッフ一同」というテロップが挿入された。逸見の番組復帰を想定し、同年9月22日から12月22日までの間、この時点では正式な2代目店長を立てず、毎回異なる司会者が店長代理を務め、特番でも逸見が不在ながらも「逸見チーム」のまま継続。この時は渡辺が店長代理として、逸見・渡辺と親交があり特番時には毎回出演していた明石家さんまが大番頭代理としてチームを引っ張った。また、店長代理時代の番組宣伝CMは、CM最後にその週の店長代理を務める者が「今週は私が店長代理です。さぁみんなで考えようー!」というフレーズを渡辺とともに述べて締めていた。
しかし同年12月25日、復帰が願われていた逸見が死去。亡くなる11日前の12月14日に収録され、死から4日後の12月29日に放送された『クイズ年末はSHOW by ショーバイ!!』の冒頭では渡辺と山城が追悼コメント(後述する追悼番組と合わせて12月28日に収録)を述べ、番組のラストでは「逸見さんへ これからもSHOW by ショーバイを続けて行きます。天国で見守っていて下さい SHOW by ショーバイ 出演者、スタッフ一同」というテロップが挿入された。年が明けて1994年1月5日、逸見の告別式の翌日にあたる前年12月28日に収録され、逸見政孝追悼番組と題して放送した『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!逸見さんに捧げる逸見さんスペシャル』を経て、その後の3月9日放送分まで店長代理でつないだ。
1994年3月16日放送の『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!新装開店スペシャル』から2代目店長に福澤朗が正式に就任して逸見の後を受け継いだ。また、この回からセットなどがリニューアルされ、既存クイズのルール変更や新形式のクイズが増えた。
1994年10月19日放送分からは、番組名を『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』から『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』に改め、大幅なリニューアルを行うこととなる。これにより、番組開始当初から行っていたクイズの主題となる「今週のテーマ」ならびに「取材国」の発表などが廃止され、ミリオンスロットを使用しないクイズが増えた。
1995年1月18日放送分からは「看板娘」こと久本雅美が司会者に加入、司会陣は3人となる。
1995年10月18日放送分からは、番組名を『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』から『新装開店!SHOW by ショーバイ2』へと再リニューアルした。番組開始当初からあったミリオンスロットが廃止され、体を使って解答権を得る一般常識クイズが登場。山城や馬場が降板するなど、番組本来のコンセプトが次第に失われていった。
1996年9月25日放送分をもって8年間にわたる『SHOW by ショーバイ!!』シリーズの歴史に幕を閉じた。初回から最終回までの全ての放送に出演したのは唯一、渡辺のみ。 なお、番組タイトルロゴの上下部分のキャラクター(「ミリオンスロット」の5萬と50萬の出目)は、番組終了後も1999年秋の『スーパークイズスペシャル』まで使われていた。
2001年12月29日に放送された『スーパースペシャル2001・20世紀のクイズ名場面そして今夜だけ大復活・マジカル頭脳パワー!!21世紀芸能界No.1頭脳決定戦スペシャル』内で、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』をはじめとする日本テレビのクイズ番組の名場面が放送された。
番組終了後から2011年まで「総集編」という形での特集は上記の1件のみあるものの、再制作は一度も行われていなかった。
2012年1月1日放送の『嵐にしやがれ 新春2時間半スペシャル』コーナー内にて、1夜限りの復活をすることとなった。ただし、この時の復活版は「何を作っているのでしょうか?」、「世界のアナウンサー早押しクイズ」のみが再現された。お手つきを表す「×」や「1回休み」札は無く、ミリオンスロットもなく、セットの回答席も初代をアレンジしたもので回答者も10人(5×2段)となっていた。このときは準レギュラー解答者だった蛭子、川合、峰が出演していた。
解答者席にテレビモニターの「ミリオンスロット」と呼ばれるスロットマシンを設置。問題ごとに解答者がスロットの回転をストップボタンを押して止め「ショーバイマネー」(得点)を決定、正解で表示されたショーバイマネーを得点分として獲得できる(ただし、筆記クイズでは不正解だが、正解に近い解答の場合は逸見の裁量により、出したショーバイマネーの半額、または1萬などが与えられたことがあった)。そのため、この番組の大きな特徴として「同じ問題に正解しても獲得するショーバイマネーが異なる」という点が挙げられる。スロットは筆記クイズの場合はシンキングタイム後に行われ、早押しクイズの場合はクイズの出題直前に行われた。このミリオンスロットのシステムはタイトーが制作した。またスロットは下から上に向かって回転する。
最終問題の「ラストクイズ」は、正解者のみが司会者席のミリオンスロットを使用して「ラストスロット」に挑戦する。ラストスロットには、解答者席にある出目の他に「100萬」が加わっている。そのため、たとえそれまで1問も正解していなくてもラストクイズのみの正解でゴールドプレート獲得のチャンスがあった。また、正解者が2人以上いる場合はそれまで獲得していたショーバイマネーの低い順にスロットを回したため、例えばトップが90萬で「あと10萬を出せばゴールドプレート獲得」という局面になっても、他の解答者が横取り40萬を出してゴールドプレート獲得を阻止し、逆転で売り上げNO.1となるケースもあった。また、ラストスロットには途中から出すとそれまでのショーバイマネーが全て没収される「破産」の出目も加えられ、売り上げトップでラストクイズに正解した解答者が破産を出して自滅したケースもあった。
売り上げ合計が100萬に達した解答者が出なかった場合、合計金額が最も多かった解答者は「売り上げNo.1」となり、ナゲット金貨(1988年10月 - 1989年3月)や中国政府発行のパンダ金貨(1989年4月 - 1990年8月)、三菱金属→三菱マテリアルのゴールドバー(1990年9月 - 最終回)などの賞品が授与された。
さらに、売り上げが100萬に到達した時点で番組特製・時価100万円相当の純金製「ゴールドプレート」(表面に番組のロゴが刻印されてケースに収められている)が贈られ、ゴールドプレートの獲得を解答者の目標としていた。なお、仮に売り上げが200萬に達するとゴールドプレートが2枚贈られるルールもあったが、達成者はいなかった。
また、1994年1月19日放送分からは、売り上げが80萬以上100萬未満の解答者全員に、協賛航空会社であるJALの「ひとっ旅クーポン」が副賞として贈呈されるようになった。
解答者は、番組開始当初は5人であったが、1992年7月8日放送分で6人に増設された。
得点(売り上げ)単位は「萬」で、ミリオンスロットの出目は当初、「5萬」「10萬」「20萬」「30萬」「50萬」の5種類。司会者席には、これらに加えて「100萬」が存在した(番組開始当初は通常のミリオンスロットにも「100萬」が存在したが、すぐに削除された)。後に以下の出目が追加された。
2代目司会者に福澤が就任した1994年3月16日の放送から「ミリオンスロット」が「スーパーミリオンスロット」にバージョンアップし、解答者席のミリオンスロットにも「100萬」が出るようになった。また、新ルールとして「ショーバイマネーマイナス制」が導入され、横取り40萬で正解した場合、40萬以上持っていない解答者からも40萬分を横取りできるようになった(横取りされた解答者は不足分がマイナスで表示される)。また横取り40萬で正解した場合、逸見店長時代には不可能だった売り上げ100萬以上達成者からの横取りも可能になり、それに伴いゴールドプレート獲得の条件も最終的にショーバイマネーが100萬以上でないと獲得出来ないルールに変更された。新セットになってからはシンキングタイム時、スーパーミリオンスロット回転時に得点ボードの電光掲示板、電卓を模したバックのランプ、ミリオンスロット縁のランプが点滅するようになった(のちにシンキングタイム時は電卓ボタンを模したランプのみ点滅)。スーパーミリオンスロットには新たに以下の出目が追加された。
ラストスロットで破産を出した場合のショーバイマネーの分配が行われたのはリニューアル初回の3月16日放送分のみで、以降は分配制度は廃止され、破産を出した解答者の売り上げが0になるのみとなった。
また、副賞のひとっ旅クーポンの獲得条件が売り上げ80萬から10萬アップして90萬になった。
また、横取り40萬を出した解答者が売り上げ100萬を超えている解答者から横取りしてゴールドプレート獲得を阻止した場合、横取りした解答者にひとっ旅クーポンが与えられるルールが告げられたことがあるが、実行はされなかった。
1994年10月19日放送分から番組タイトルが『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』から『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』になり、解答者は2人1組のペア×5枠の10人制となった(厳密には1994年9月14日放送の『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!200回記念スペシャル』からペア制になった)。ペアの組み合わせは、当初は「席決めカルタ」で決められていたが、1995年3月1日放送分からはあらかじめ決められた組み合わせとなった。改題と同時に、商売以外の話題やエピソードから出題されるクイズや、ミリオンスロットを使用しないクイズが増え、売り上げ100萬到達の賞品であるゴールドプレートも廃止された。賞品はラストクイズである「スーパージャックポットクイズ」にピタリ正解した場合のみ、それまでの売り上げと同額の純金、ならびにクイズで使用された器に入っている硬貨を器ごと獲得できるというものになった。これにより、それまでの売り上げが2位以下の解答者でもスーパージャックポットクイズにピタリ正解すれば優勝者扱いとなり、本来の売り上げNo.1の解答者は負け扱いとされるので、スーパージャックポットクイズがラストスロットにかわる番組の山場となった。一方で、司会者席にあるミリオンスロットは福澤が行う「ひとりスーパーミリオンスロット」や後に司会に加わる久本雅美が行う「マチャミリオンスロット」を除いて、ほとんど使用されなくなった。
1995年1月18日放送分からは久本がレギュラー解答者から司会に昇格し、福澤・渡辺を含めて司会陣は3人体制となった。
1995年2月1日放送分から時間短縮のために横取り40萬制度も事実上廃止された。このあともミリオンスロットに横取り40萬の出目は存在し、止まって正解した場合は横取り行為を行っていたが、放送ではカットされていた。
また、ショーバイマネーのインフレ化も起こり、解答者席のスーパーミリオンスロットは『クイズ世界は』時代には滅多に出なかった100萬の出目の出現率が大幅にアップして2組同時に100萬が出ることすら当たり前になり、さらにはミリオンスロットを使わず正解すれば無条件に100萬が得られるクイズが増えるなどして、『クイズ世界は』時代の通常放送では考えられなかった売り上げ300萬や500萬などが当たり前になった。
1995年10月18日放送分より、番組タイトルが『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』から『新装開店!SHOW by ショーバイ2』となってからは、解答者8人制の個人戦となり、番組開始当初からの名物であったミリオンスロットが廃止された。改名当初はさまざまなタイプのクイズを出題したが、2択クイズである「ギャンブルタイム」が登場するとそれをメインとした内容となった。「ギャンブルタイム」では、お色気路線の問題や出演者のゲーム対決の勝敗を予想する問題など、変り種の問題も数多く出題された。そして、1996年4月10日放送分からは体を使ったゲームが登場するなど、当初の番組趣旨である「商売」からはかけ離れた内容が多くなったが、商売を題材にしたクイズは一応出題されていた。
ギャンブルタイム導入によりさらにショーバイマネーのインフレが起こる。通常放送で獲得したショーバイマネーの最高額は1995年12月6日放送分で清水圭が獲得した2740萬。当時はショーバイマネーを表示する電光掲示板が3桁だったため、番組内では999萬であった。このことを受けて、翌1996年1月10日放送分より電光掲示板が4桁表示になった。
最低額は1996年3月13日放送分のジミー大西が記録した-700萬。
本節では『スーパークイズスペシャル』内で実施されていたもの以外を取り上げる。
春・秋の番組改編期と年末年始の年3回(1990年のみ4回)、基本2時間・年末年始は2時間半(1989年年始は1時間半)の特番が放送された。番組タイトルは放送の時期が反映され、それぞれ『クイズ正月はSHOW by ショーバイ!!』、『クイズ春満開SHOW by ショーバイ!!』、『クイズ秋本番SHOW by ショーバイ!!』、『クイズ年末はSHOW by ショーバイ!!』(特番開始当初から1990年までは、春の場合「4月は」(1989年春)または「春休みは」(1990年春)となっていた。また、秋も同様に「10月は」(1989年・1990年秋)となっていた)などと題された。
司会者の逸見政孝とレギュラー解答者の山城新伍をキャプテンとして「逸見チーム」と「山城チーム」に分かれてクイズを行う対抗戦形式。番組開始当初からの「クイズ番組初司会、人のよい逸見政孝」と「逸見にちょっかいを出してからかう解答者代表・山城新伍」という対決構図から発展したものであり、年間最高視聴率ランキングに毎年登場するほどの人気特番となった。
この特番ではレギュラー回では解答者として参加している山城が司会に回り、逸見と山城によるダブル司会の形で番組を進行する。レギュラー回で司会として参加している渡辺は逸見チームの解答者として参加。逸見、山城共に基本的には司会者の立場ではあるが、問題によっては問題と答えが本番前に教えられていない状態で他のチームメイトと一緒に解答を行う、いわば「司会兼任解答者」として出演した。
逸見が番組を降板して出演しなかった1993年の秋と年末の特番についてもチーム名は「逸見チーム」のままで、司会、及びチームキャプテンは渡辺正行が務め、通算での対戦成績もそれまでの逸見チームのものに合せて計上された。
福澤朗が2代目司会者に就任した1994年春と秋の特番は、福澤が率いる「福澤チーム」と「山城チーム」の対戦として同様の形式で行った。
番組タイトルが『新装開店!』になって以降の特番(1994年年末から)は解答者を男女に分けての紅白対抗戦、あるいは「山城チーム」と上岡龍太郎が率いる「上岡チーム」との対決となり、山城は解答者としてのみの出演、福澤ら司会者は司会に専念して解答者チームのメンバーに加わらなくなった。また、特番のタイトルも『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』の後に「紅白年末大繁盛スペシャル」などとサブタイトルを付す形となった。
放送時間は基本的に春と秋には2時間(19:00 - 20:54)、年末年始には2時間半(18:30 - 20:54)だった(なお、1990年・1991年・1995年の年末は2時間だった)。
両チームの解答者数は5人(1989年正月 - 1990年秋)→6人(1990年年末 - 1992年春)→7人(1992年秋 - 1994年秋)と変遷。なお、1994年年末以降は両チームの解答者数が毎回変更された。ただし、1989年秋は番組途中に山城の提案で両チームへの書き問題で正解者の多いチームが相手チームから1人引き抜くというルールが追加された。このルールはこの回のみである。
1992年年末の特番は、逸見チームが負けた場合、逸見が山城新伍と司会の座を交代するというタイトルマッチとして行われた。結果は逸見チームが勝利し、逸見は司会の座を守った。
一方のチームから相手チームに出題する筆記問題(司会である逸見、山城もそれぞれ解答)や両チーム対抗の早押し問題、司会も含めた全員参加のウソつき4択などで対戦。問題が終わったら両チームそれぞれ、正解者の中から代表1名が司会者席のミリオンスロットに挑戦。出た金額×(そのコーナー内での)チームの正解者数の金額を加算(解答に応じて金額が決まっている順金クイズを除く)。
『新装開店!』時代の特番では殆どの問題で正解した際に獲得できるショーバイマネーが予め決まっており、スーパーミリオンスロットが使われる機会はほぼ無かった。
賞品は、当初はナゲット金貨などのレギュラー回で売り上げNo.1に与えられるものと同じものを優勝チーム全員に授与、後にチームに1つ番組特製100万円のゴールドプレートを授与するようになる。『新装開店!』以降の特番では賞品は100万円のゴールドプレートではなくなった。
1993年春までの特番の予告CMでは本編とは別にPR用の映像を収録しており、逸見と山城が様々なキャラクターに扮しコント仕立ての番組宣伝を行うのも恒例となった。また、引き立て役として司会の渡辺正行をはじめ、他の解答者も出演した。
その週の取材国からのVTRが流れ、その週のテーマに関する問題を出題。解答者の答えを逸見が1枠から順(後に渡辺が指名した順)に見ていき、解答の理由を聞いていった。当時のクイズ番組のオーソドックスな形式であったが、このときの逸見と解答者のやり取りが人気を呼んだ。シンキングタイムに入る前の、司会者2人による「さぁーみんなで考えよう!」という掛け声は番組を代表するフレーズとなり、番組のオープニングでも逸見(福澤)が自己紹介する前にこのフレーズを言っていた。1994年7月27日放送分をもって終了。
1988年12月14日放送分から登場。番組のナレーターを務めていた立川志の輔が日本国内を取材して出題するクイズ。「志の輔のクイズを探せ!」と入れ替わる形で1989年12月13日放送分をもって終了。
1989年12月20日放送分から登場した「志の輔のショーバイ裏のウラのうら」の続編。立川志の輔が取材をしてクイズになるネタを探すという設定。当初は問題終了後、クイズの内容を山城が採点し、その点数を視聴者プレゼントの応募で必要なキーワードとしていた。稀に、志の輔が取材をしたVTRからの出題ではなく、志の輔が司会者、解答者たちと同じスタジオに立ち会いやり取りを行い、その場でクイズを出題することもあった。早押しクイズの台頭にともない「オープニング早押しクイズ」と入れ替わる形で1992年2月12日放送分をもって終了。志の輔がクイズを出題するときの決め台詞は「今週もナーイス・クイズ!」。
最終問題。当初は特別なコーナー名はなく、4択の問題が出題された(逸見はこれを「ウソつきクイズ」と呼んでいた)。ラストクイズでは正解者のみが司会者席にあるラストスロットに挑戦する権利を与えられた。掛け声は「ラスト、スロット!」
「いっつみいのウソつき4択」という正式名称がついたのは、1989年4月12日放送の『クイズ4月はSHOW by ショーバイ!!』から。世界の4つの商売のうち1つだけ実在しないニセモノ、もしくは1つだけ実在するホンモノを当てるクイズ。
「ホンモノいくつ!?クイズ」と入れ替わる形で、通常放送では1993年9月29日放送分で、番組対抗特番では同年3月31日放送の『春は人気番組でSHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシクどんなMONだい?!』で、特番では同年10月13日放送の『クイズ秋本番SHOW by ショーバイ!!』で終了。その後、1994年10月5日放送の『秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシク特ホウ王国』で1度だけ復活した。
1993年10月6日放送の『秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシクどんなMONだい?!』(スーパークイズスペシャル)から登場した「いっつみいのウソつき4択」の改訂版。翌週の10月13日に放送された『クイズ秋本番SHOW by ショーバイ!!』にも登場し、レギュラー回では10月20日放送分から「いっつみいのウソつき4択」に代わるラストクイズとなった。
世界の4つの商売のうち、実在するホンモノの商売は一体いくつあるのか、その数を当てるというクイズ。それぞれどれがホンモノかウソかが分からなくても、数さえ合っていれば正解扱いとなる。
1993年10月27日放送分から、4つの商売それぞれにホンモノなら○・ウソなら×と書き入れる部分が加わる。数は正解だが○×の詳細は誤っていた場合はラストスロットを1回だけ叩くことができ、数だけでなく○×の詳細も正解ならばラストスロットを2回叩くことができる。ホンモノの数が0、または4つ全ての場合もあり、その場合の正解者は必然的に2回叩く事になる。2回目のラストスロットの掛け声は、「ダブル・スロット!」
途中からシンキングタイム前に前回までの正解(ホンモノの数のみ)を表にして掲示するようになり、その傾向を数を予想するヒントになるかのように紹介していた。
「スーパージャックポットクイズ」がラストクイズとして復活し、それと入れ替わる形で1994年7月6日放送分をもって終了。
1994年3月16日放送の『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!新装開店スペシャル』から登場。一旦休止後、同年7月13日放送分からラストクイズとして復活。最終回までラストクイズとして登場した。
「スーパージャックポットマシーン」という金額を計算しながら硬貨を放出する機械を使い、週によって様々な器の中に、一種類の硬貨を目一杯入れ、その中にいくら入っているかを当てるクイズ。ヒントとして、序盤は放出される金額の合計がデジタルで表示されるが、途中で各桁のシャッターが下りてデジタルが隠される。硬貨の放出は福澤が「スーパージャックポットマシーン、GO!」と言ってからレバーを引いて放出、レバーを戻して放出を止める。器から溢れて外に落ちた硬貨は、器の中に戻す。正解発表は福澤が各桁のボタンを押し、シャッターを上げて数字を発表する。正解発表の際、福澤が「オープン ザ・まーん(万)!」などと絶叫しながら発表するのが名物であった。
なお、1996年9月25日に放送された最終回スペシャルの翌日に放送された1996年秋の『スーパークイズスペシャル』では、「スーパージャックポットクイズ」と同じ要領で人の体重の合計を当てる「体重ピタリ当てましょう」と題したクイズがラストクイズとして出題され、1997年秋まで3回に渡って続けられた。
1990年1月3日放送の『クイズ正月はSHOW by ショーバイ!!』から登場。通常放送では1990年4月25日放送分から登場し、一躍番組の看板クイズとなった。
最も多く出題された「何を作っているのでしょうか?」は、ある製品の製造工程をVTRにまとめ、その製品が何であるかを当てる。扱われた製品は「耳かき」「野球ボール」などから「東京ドーム」「スペースシャトル」まで実に多岐にわたり、大がかりな工業製品からハンドメイドの物まで多種多様であった。また、1991年12月25日放送の『クイズ年末はSHOW by ショーバイ!!』では当時発売されていた番組のボードゲームの製作工程から出題された。
クイズの出題内容は他に、VTRに登場する人の職業を当てる「何の職業でしょうか?」、ある学校の授業風景を紹介し、何を教えているかを当てる「何の学校でしょうか?」、見慣れない道具の使い方を当てる「何の道具でしょうか?」など、様々なバリエーションがあった。いずれの場合も、レギュラー放送時は原則としてその回のテーマに因んだものから出題されていた。
当初は解答の後にVTRを再開する際には司会者は「続きをどうぞ」などと言っていたが、後に逸見&渡辺(福澤&渡辺)の司会者2人が出題内容に合わせて「何を作ってるんでしょーか!」などと掛け声を発するようになり、番組の名物となった。
なお、「何を作っているのでしょうか?」がコーナー名、クイズのタイトルであるかのように扱われることが多いが、導入当初からコーナー名としては「早押しクイズ」と呼ばれるのみで、「何を作ってるのでしょうか?」はあくまでも早押しクイズのコーナーにおいて最も多く出題されたパターンであるというだけでクイズのタイトルとしては使用されていない。早押しのコーナーでの問題内容は不定だったので、逸見は各問題の出題前に必ず「何を作っているのか当てて頂きます」「何の職業か当てて頂きます」などと説明していた。
1994年10月5日放送の『秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシク特ホウ王国』で一旦終了し、番組名が『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』になってからはこの形式の早押しクイズは出題されなかったが、再び番組名が変わり『新装開店!SHOW by ショーバイ2』となった1996年4月24日の放送から製品の製造過程からの出題に限った「新・何を作っているのでしょうか?」として復活した(お手つきは一回休み)。
1992年2月19日放送分から登場。通常の早押しクイズは問題開始前にミリオンスロットを回してショーバイマネーを決定するが、この問題はVTRが流れている間スロットが回転し続け、早押しボタンを押すと同時にスロットも停止し、その解答時だけのショーバイマネーが決定される。不正解だとスロットは再び回転を始める。
掛け声は「オープニング、スロット!」、この一言で5人全てのミリオンスロットが一斉に回転を始め、その状態のままVTRスタートとなる。
1992年7月8日放送分から登場した「オープニング早押しクイズ」の続編(V.S.O.P.は「バーサスオープニング」の略)。6人の解答者を赤チームと青チームに分けておこなう団体戦。
出題前のミリオンスロットを回してショーバイマネーを決定する際、得点板に併設されている赤と青のランプがスロットの目が一コマ動く毎に交互に点滅し、スロットを止めると赤と青ランプのどちらかが止まって点灯し、赤チームと青チームに分けられる。正解すると、正解した解答者のショーバイマネーが正解者だけでなく、同じチームの解答者全員に入る。つまり、なにも解答しなくても運だけで最高50萬まで獲得できることになる。チームは解答者のスロット停止のタイミングで決まるため、必ずしも赤チームと青チームが3対3になるとは限らず、4対2、稀に5対1となるケースもあった。
掛け声は「V.S.O.P.スロット!」(クイズ登場当初は、先述の「オープニング早押しクイズ」と同様、「オープニング、スロット!」と掛け声をしていた)。
福澤が2代目司会者に就任しリニューアルするのに合わせて1994年3月16日に終了。以降、オープニングクイズは正解者1人に対してのみショーバイマネーが与えられる普通の早押し形式の問題となった。
1992年7月15日放送分から登場。1993年10月20日放送分をもって終了。
VTR出題中、解答席前の早押しランプが一定のテンポで規則的に1個ずつ点灯し続け、ランプが自分の席の前に来たときに早押しボタンを押し、ランプを止めて解答権を得る。不正解後の出題再開時は、早押しランプの点灯パターンが変わる。VTRが進むにつれて早押しランプの点灯のテンポが速くなる。
問題出題時は画面が横に2分割され、上半分は出題VTR、残りの下半分は早押しランプが点灯する解答席と解答者が映された。
タイミング良く早押しボタンを押さないとランプは止まらず、いつ解答権を得られるか分からないので、解答者はボタンを連打することになる。初回の放送では出演者の手が腫れたり、山城新伍の腕時計のガラスが割れるなどのハプニングが発生したため、翌7月22日放送分からは手が痛くならないようにと、高田純次が妻のお手製のミトンの手袋を解答者に差し入れし、手袋をはめてボタンを押した。このミトンの手袋は番組が買い取り、クイズ開始時にアシスタントが解答者に配る様になった。
1994年4月13日放送分から登場。何を作っているかを当てる形式だが、VTRの途中に「チェックポイント」として映像が数秒間止まる箇所が設けられた。
1994年5月11日放送分から登場。ある道具を見せ、何の道具であるかを当てる。VTRスタート前に、司会者席の回転ボードを使って道具の写真を見せていた。
逸見降板後の1993年10月13日放送の『クイズ秋本番SHOW by ショーバイ!!』で初登場し、通常放送では10月20日の放送から登場した。このタイトルは、日本テレビ開局40周年のキャッチコピーでもある。集合写真などの複数の人物が写った古い写真の中に後に有名人となる人物がおり、選択肢となる人物毎に番号が振られている。早押しで正解だと思われる番号と有名人を答える。時間が経つにつれてヒントが出され、不正解の人物の番号が消される。
お手つきは特番では1回休みで、通常放送でも10月20日の放送のみお手つき3回で失格だったが、翌週の10月27日の放送からは1回休みとなった。得点は『クイズ世界は…』時代はミリオンスロットで出た金額、『新装開店!』時代前期がこれまでの獲得ショーバイマネーが2倍、『新装開店!』時代後期、『新装開店2』時代が100萬獲得と変わっていった。
VTRへ移る掛け声は、開始当初「誰が写っているのでしょうか?」だったが、『新装開店!』以降は「みんなの中に、誰がいる?」に変更された。
1994年5月11日放送分から登場。それまで筆記問題で出題していたような内容の問題を早押し形式で解答させる。まずVTR冒頭で問題を出した後に、続けて早押しスタート。VTRが進行するごとにヒントが増えていく。解答権は1人2回。但し、途中で解答をしても司会者はその答えが正解か不正解かは一切発表しない。なので仮に解答者から正解である答えが出てもそこで問題は打ち切らず、VTRが終了するまで解答者は自由にそれまでに出た答えと別の答えを出して行く。出題VTRが終了した後に解答者から出た答えを改めて確認し、正解VTRを流して答え合わせをする。
1994年7月6日放送分から「ダブルチャレンジ穴うめクイズ」に改題、提示された文章(「これは[?]をする商売」などといった形)の空欄に入る言葉を解答するようになったが、基本的な形式は同じ。
ペア戦になってからはダブルチャレンジの制度を排して「早押し穴うめクイズ」として、お手付き1回休み、正解が出た時点でクイズ終了の形式に変更された。
1994年6月8日放送分から登場。(珍)の本来の表記は「珍」の字を〇で囲んだもので、「マル珍」と読む。商売における変わったエピソードから出題、一体どんなエピソードかを当てる。まずVTRで問題を出した後に早押しスタート。早押しの間はVTRを一切使用せず、解答者と司会の福澤のやりとりのみで進行。正解が出たら改めて正解VTRを流す。お手付きは1回休み。
1994年11月9日放送分から登場。1995年1月25日放送分までは、徐々にヒントが現れるVTRを使って早押しを実施する方式。当初、1人3回お手つきで失格だったが、200萬統一後はお手つきをすると1回休みとなる。
登場当初から同年12月14日放送分までは200萬から下がっていく方式(早く正解するほど高得点)だったが、同年12月28日放送の『新装開店!SHOW by ショーバイ!!紅白対抗年末大繁盛スペシャル』から翌1995年1月25日放送分までは20萬から300萬まで上昇していく方式(遅く正解するほど高得点)だった。同年2月1日放送分から6月7日放送分までは正解すると200萬に統一された。
1990年10月10日放送の『クイズ10月はSHOW by ショーバイ!!』から登場した特番のみで行われたクイズ。世界のアナウンサーが、慣れない日本語で何と言っているのかを当てる。逸見チームvs.山城チーム対抗戦特番ではお手つきなし、番組対抗特番ではお手つきは一回休み。「頭金5万でマンション購入」「大ケガだ、赤チン ポチに塗らなくちゃ」など、明らかに下ネタを狙った出題や、「ビールと栗金団」(ビル・クリントン)「鼻高々の勝った貴花田」「割れ鍋にドジなブタ」(割れ鍋に綴じ蓋)のように別の語彙に聞こえるひっかけ問題もあった。1994年10月12日放送の『クイズ秋本番SHOW by ショーバイ!!』で終了。
ゲスト司会者(立川志の輔、福留功男、2代目司会者に就任する前の福澤朗など)の進行で、1対1(場合によっては2対2)で早押しクイズ対決(お手つきなどのペナルティは無し)。基本的に6-7問出題され、3問目および6・7問目が終了した時点で両チームのうちの1人がミリオンスロットに挑戦し、出た金額×チームの正解者数の金額がチームに加算された。
最終戦は決まって逸見(福澤)対山城のキャプテン対決(ゲスト司会者がいない場合は、その問題のみ渡辺・山瀬が司会を担当)。
1992年12月30日放送の『クイズ年末はSHOW by ショーバイ!!』のみ登場。出題した商売が本当にあるか否か、「本当」・「ウソ」の札を挙げて答える。3問連続で出題し、1問でも間違えたら失格。3問とも正解した人数×ミリオンスロットの金額がチームの得点となる。
この回の特番は「早押しスペシャル」と銘打たれており、書き問題が一切出題されなかったが、書き問題に代わりこのコーナーが用意された。
1994年3月30日放送と同年10月5日放送の番組対抗特番での一軍席決め早押しにおいてのみ出題された。ある物を壊したり、溶かしたり、爆破したりした様子を撮影した映像を逆再生し、その物は何であるかを当てる。ショーバイのレギュラー放送では行われなかった番組対抗特番独自のクイズであり、この問題はショーバイの司会である渡辺ではなく所ジョージが中心になって進行していた。
1993年4月7日放送の『クイズ春満開SHOW by ショーバイ!!』から登場(初登場時のタイトルは「値段クイズ」であった)。通常放送では、1993年7月14日放送分から登場した。世界のある国における様々な商品の値段や費用などを指定されたとおりに当てるクイズ。
1994年3月16日放送分から登場。順金クイズの改訂版。3つの品物や費用の中から1つを選び、最も高いものを選んでいればこれまでのショーバイマネーが2倍(マイナスの場合は0に戻る)、2番目に高いものならそのまま、最も低いものだと破産(マイナスの場合はそのまま)になる。1994年5月11日放送分で終了。
1993年12月29日放送の『クイズ年末はSHOW by ショーバイ!!』で初登場し、通常放送では翌1994年5月25日放送分から登場。2つ(3つ)の商品を作ってどれが1番多く(早く)売れるのかを予想する。
1994年7月6日放送分から登場した「実験クイズ」の改訂版。「いっつみいのウソつき4択」の3択バージョンや実験クイズなどを出題する3択クイズ。このクイズに正解すると、同年9月14日の放送までは解答席のミリオンスロットの出目、9月28日以降は福澤や久本が代表で司会者席のスロットを止めて、出た金額を獲得(正解した全ペアに同じ金額が与えられる)となる。1995年2月1日放送分をもって終了。
1994年9月28日放送分から登場。6人が提示され、それを一人ずつ指定。年齢の高い順にショーバイマネーが割り当てられており、指定した人はショーバイマネーを獲得。年齢が一番高いと100萬(1994年末の2時間半スペシャルにおける2回戦は200萬)、若いと破産(1994年末の2時間半スペシャルにおける1回戦は5萬)となる。
1995年2月8日放送分から登場。 VTRで紹介する6人の中からニューハーフを当てるクイズ。 当初は「世界年齢順クイズ」と同様に各ペアに1人指名。「ニューハーフ」を選べば50萬、「女性」を選んでしまうとマイナス50萬。 その後、同年3月1日の放送分から各ペア3人ずつ選ぶ。得点は上記と同じだが、(ニューハーフを当てた人数ー女性を選んだ人数)×50萬=得点の割合だった。 同年10月18日放送分から女性を選んだ場合のマイナスが廃止。ニューハーフを当てた人数×50萬が加算した。
1994年12月の「年末大繁盛スペシャル」のみ登場。 VTRで紹介する8人の中から女性を当てるクイズ。 各チーム4人を指名し、「世界年齢順クイズ」と同様に1人指名。「女性」を選べば100萬、ただし、「ニューハーフ」を選んでしまうとマイナス100萬。 得点の低いチームから指名し、どちらか4人出た時点で打ち切りとなる。
1995年11月8日放送分から登場。1996年1月31日放送分で終了。 前述の「ニューハーフは誰だ!?クイズ」と同様に、6人の中から男性3人を当てるクイズ。パネラーは3人ずつ選ぶ。男性を当てた人数×50萬が加算した。
1995年春・秋の対抗戦のみ実施。 VTRで紹介する6人を紹介。1番から順に解答。正解すれば50萬、間違うとマイナス50萬。
1994年12月28日放送の『新装開店!SHOW by ショーバイ!!紅白対抗年末大繁盛スペシャル』から登場。通常放送では1995年2月8日放送分から登場した。VTRに登場した海外の複数の女性の中から、本物のヌードモデルは誰かを当てるというクイズ。正解発表は、本物のヌードモデルが服を脱ぐ形で行っていた(当時は地上波のゴールデンタイムの放送で普通に乳首を出していた)。番組最終回には6択スペシャルバージョンとして復活、ニセモノのヌードモデルを探すという逆のパターンとして行われた(つまり正解以外はすべて本物のヌードモデルで、5人脱ぐ)。 BGMはイギリスの女性アイドルデュオ・シャンプー (アイドルグループ)の「トラブル」
1995年11月8日放送分から登場。様々な形式の2択クイズに答えていく。これまでに登場したクイズ(ウソつき4択、実験クイズなど)を2択クイズ化したものや、パネラーや司会者の中から2人が選ばれてゲーム対決を行い、どちらが勝利するか予想する問題があった。
当初は、1問正解で10萬、以降正解する度に、20萬、40萬…と倍増していき(間違えたら0萬に戻る)、コーナー終了時点の金額が加算されるというルールであったが、後にコーナーの初めは、正解で10萬獲得、不正解でマイナス10萬。そしてコーナーが進むに連れて増減額が上がっていき、終盤では正解200萬、不正解マイナス200萬まで上がった(末期は全問、正解100萬、不正解マイナス100萬で固定)。
1994年9月28日放送分から開始された、チーム&解答席決めのオープニングクイズ。回転する台にちりばめられた札の中から、福澤が読み上げる問題の答えが書いてある札をカルタ取りの要領でいち早く取る。
1996年3月21日放送の『春は超人気番組大集合!!マジカル頭脳まる見え特ホウ王国ショーバイ笑ってヨロシクバラ珍ウリナリもヒッパレ!!』で初登場。同年4月10日からは通常放送でも開始された。4人による対戦形式。天の声が問題を読み上げた後、分かった人は早押しテーブルまで走って、ボタンを押して解答権を得てから答える。正解なら1ポイント獲得。ポイントを獲得するたびにテーブルとの距離が離され、走らされる距離が伸びる。4ポイント先取した人が優勝で、100萬獲得。
1996年4月10日放送分から登場。4人による対戦形式。天の声が問題を読み上げた後、分かった人は腰を20回振って解答権を得る。腰には「フリフリベルト」と呼ばれるものが装着されており、そのベルトによって腰振りの回数がカウントされる仕組み。正解なら1ポイント獲得。不正解の場合、2番目に20回振った人に解答権が移動。その人も不正解だった場合は、全員その問題の解答権を失う。4ポイント先取した人が優勝で、100萬獲得。
番組終了後から1998年春までは、『スーパークイズスペシャル』用の企画としてこのクイズが行われていた。
1996年6月19日放送分から登場。天の声が問題を読み上げた後、超高速でアトランダムに赤く点灯するモグラボタンを手持ちのハンマーで叩き、モグラランプが赤く光っているときに叩き、ランプを止めて解答権を得る。モグラのランプの移動する速度は、モグラを叩いている解答者が多いほど高速で動く。
番組終了後から1998年秋までは、『スーパークイズスペシャル』用の企画としてこのクイズが行われていた。
番組タイトルの変更並びに放送時期によりオープニングのアニメーション映像が複数パターン存在する。いずれのアニメーションにもミリオンスロットの50萬、5萬の出目に使用されているキャラクターが登場する。
番組内では視聴者プレゼント用の番組特製テレホンカード(『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』時代、『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』時代)や電卓(『新装開店!SHOW by ショーバイ2』時代)があった。このほか、以下のグッズが制作・発売された。
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