電波少年的懸賞生活(でんぱしょうねんてきけんしょうせいかつ)は日本の放送局、日本テレビのTV番組『進ぬ!電波少年』の中で1998年1月25日 - 1999年4月18日まで放送された長期企画。お笑い芸人なすびが「人は懸賞だけで生きていけるか?」をテーマに目標金額を目指し挑んだ。日本での目標額は100万円、韓国での目標額は日本までの航空チケット片道分。
1998年1月に『進め!電波少年』が『進ぬ!電波少年』としてリニューアルした際の新企画の一つとしてもちあがった企画。『人は懸賞だけで生きていけるか?』が企画開始時のテーマとして定められた。
企画開始の際に土屋敏男プロデューサーが「今日ですべてが決まる 進め!電波少年 最終オーディション」と称して若手芸人を集めた。そして「今回のオーディションは運だけが必要な企画」と説明。抽選箱が運ばれ「「当たり」を引いた奴の勝ち!」全員にくじを引かせる。集まったよんとん、Rマニア(宿輪竜一、中島裕)、キング the 100トン(佐々木順吾、熊谷和博)、こうめちゃんす(梅沢基之)、竹内エイジ、号泣(赤岡典明、島田秀平)、ビーカーフー(浜田龍治、小林伸夫)、ゴキゲンシャム(石館光太郎、助川晃弘)、楽天ホウス(赤江謙一、梅沢佳一)、大隈いちろう、伊藤高史、南郷伯爵、まちゃまちゃ、ルース、河野順の中で1本しかない当たりくじを引いたのが当時無名で若手芸人のなすびであった。
なすびは当たりくじをひいたあとそのまま目的も知らされずアイマスク・ヘッドホンを着用させられ移動。ワンルームの部屋へ連れて行かれ、プロデューサーから脱いでと言われ衣服を脱ぐ。更に全部と言われパンツも脱ぎ素っ裸、そして脱いだ服及び下着、身につけていた腕時計は部屋にあった座布団を渡すと同時に全て没収されてしまう。まさに裸一貫の状態から総額100万円分当選するまで懸賞だけで生活する、という企画内容を知らされ愕然とするが、あまり深く考えず承諾し、懸賞生活が始まった。
食料系の当選がなかなか出ない・途中で最初の米が尽いてドライタイプのドッグフードを食べて凌ぐ・紙系の当選が相次いでしまうなど相当辛い時期もあった。
それから約1年後、なすびは目標額の100万円を達成。挑戦中にゴールしたら何をしたいかという質問に「焼肉を食べたい」と発言していたことからご褒美として韓国に連れて行かれ、焼肉や遊園地を堪能した後、韓国のマンションの一室に連れていかれ、再度服を没収された上で『人は韓国の懸賞だけで生きていけるか?』というテーマの元、韓国での懸賞生活を提案されまた愕然としショックを受ける。
しかし、韓国での目標額は日本までの航空チケット片道分と聞き承諾、3ヶ月程度で達成し、無事ゴールした。
なお、韓国での企画開始当初は説明でエコノミークラス分がゴールと定められていたが、なすびには飛行機代としか告げていなかったことをいいことにビジネスクラス→ファーストクラスへと徐々にゴール金額が上昇していった。最終的には100万円近くするフランスのパリ経由にまでなったが、本人もうすうす気づいていたようでファーストクラス分達成後に連れ出され、日本に帰っていった。
このコーナーは同番組で人気となり、当時の高視聴率に貢献した。また、なすびの書いた「懸賞日記」はベストセラーとなり一躍ブームとなった。
なお土屋は韓国での懸賞生活をなすびに宣告した時に「韓国での懸賞が終わったら、他の国へ行かす事はしない」となすびに告げている。
2008年にgooが『“あの人は今…”で思い浮かぶ有名人ランキング』を行ったところ、2位になすびがランクインし、当時の影響の強さを物語っている。
1999年1月から3月のなすびゴール特番『電波少年はだか祭り』まで一時番組を降板していた松本明子は、降板中になすびの役に立とうと何度か韓国のなすびの部屋へ向かっていた。なお、1回目と2回目が失敗した後、テロップで「終了」と流れ、3回目で成功した時は「電波少年的水戸黄門 大成功!」と流れていた。
2009年、ジョージアがスポンサーとなり、小島よしおが挑戦する「電波少年的懸賞生活2009」が、10月8日から10日まで、第2日本テレビでライブ配信された。なお、土屋は懸賞生活終了後なすびに「会いたい」と何度もオファーを出しており、この時も電話出演などを要請していたが全て断られているという。
ここまでの合計は約45万円。なお、自動翻訳機とマニキュアの当選の舞は机と椅子が邪魔で舞う事は出来ず、朝起きた時のギャグは80日目から112日目までやる事はなかった。ここからはビデオ完結編。
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