新町(しんまち)は群馬県中南部にあった町である。多野郡に属していた。
現在は高崎市の一部になっている。面積3.74km2は東日本最小(高崎市への編入前の時点)で、北関東では最大の人口密度を誇った(1平方キロメートルあたり3359人)。藤岡市への通勤率は15.9%・高崎市への通勤率は15.5%。関東大都市圏に属していた(平成17年国勢調査)。
中山道の宿場・新町宿が置かれ、宿場町として栄えた。陸上自衛隊新町駐屯地がある。
2006年(平成18年)1月23日に群馬郡群馬町・箕郷町・倉渕村と共に高崎市に編入された。当初は隣接する藤岡市と合併交渉を行っていたが交渉が決裂。のちに隣接していない高崎市との合併が決まり、現在は高崎市の飛び地となっている。
1889年の町成立より新町には大字が存在せず、2006(平成18年)の合併後は旧・新町の全域をもって「高崎市新町」という1つの大字になった。
地理
隣接していた自治体
群馬県
埼玉県
歴史
古くは、当町北部を落合、南部を笛木と呼んだ。烏川、神流川の氾濫原であるために洪水が多かったようで、原始 - 古代の史跡等は残されていない。
古代〜中世
- 701年(和銅4年) - 大宝律令により上野国緑野郡設置。
- 高足郷、升茂郷が当地に比定されている。
近世
- 1582年(天正10年)6月 - 当地で厩橋城(現・前橋市)の滝川一益と小田原城後北条氏が戦う(神流川合戦)。
- 正保年間(1644年 - 1648年) - 加賀藩前田氏により、当地を通る街道(加賀街道)が開かれる。
- 慶安 - 承応頃 - 落合・笛木に宿場の町並みが形成される。
- 古文書によると、「落合新町」、「笛木新町」との記述が多く、宿場としては両町あわせて新町宿と呼ばれたが、行政的には比較的独立していた。
- 1654年(承応3年) - 加賀街道が中山道となる。
- 1724年(享保9年) - 新町宿が中山道の正式な宿場となる。
- 1742年(寛保2年)8月 - 大洪水発生(寛保二年江戸洪水)。
- 1747年(延享4年)1月9日 - 大火発生。
近代〜現代
- 1868年(慶応4年)6月17日 - 岩鼻県成立に伴い、同県に所属する。
- 1871年(明治4年)10月28日 - 群馬県成立に伴い、同県に所属する。
- 1873年(明治6年)6月 - 熊谷県成立に伴い、同県に所属する。
- 1875年(明治8年) - 緑野郡落合新町・笛木新町が合併し、新町となる。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 群馬県再成立に伴い、同県に所属する。
- 1877年(明治10年)10月20日 - 新町紡績所(内務省勧業寮屑糸紡績所)の開業式が行われる。
- 1883年(明治16年)12月27日 - 日本鉄道(現JR東日本高崎線)新町駅が開業する。群馬県内で最初に開業した駅となった。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、緑野郡新町が成立する。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 緑野郡が多胡郡・南甘楽郡と統合して多野郡となり、同郡の所属となる。
- 2006年(平成18年)1月23日 - 群馬郡群馬町・箕郷町・倉渕村とともに高崎市に編入。町域は高崎市新町となる。
地域
企業
- ハーゲンダッツ ジャパン群馬工場
- ガトーフェスタハラダ本社
教育
現在は高崎市立
- 小学校
- 中学校
- 大学
交通
鉄道
道路
- 国道
- 県道
- 群馬県道40号藤岡大胡線
- 群馬県道131号児玉新町線
- 群馬県道178号中島新町線
出身有名人
- 富沢美智恵(声優)
- 吉江まりも(群馬テレビアナウンサー)
- 柳家紫文(落語家)
- 金鶴泳(作家)
新町を舞台とした作品
テレビドラマ
- 木曽街道いそぎ旅(第3話)
- 昭和四十六年 大久保清の犯罪
脚注
参考資料
- 新井健司「江戸時代中期の新町宿に洪水被害を与えた神流川下流の河道変遷」『上武大学経営情報学部紀要』第29号、上武大学経営情報学部、2006年、119-142頁。
関連項目
- 群馬県の廃止市町村一覧
- 長谷川きよし ー 居住歴あり
外部リンク
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