大磯町(おおいそまち)は、神奈川県の湘南地域西部に位置し、中郡に属する町。
人口は約3.1万人。
大磯町は神奈川県の中央南部に位置し、南は相模湾、北は高麗山や鷹取山をはじめとした大磯地塊の丘陵地帯(大磯丘陵)で、この大磯丘陵が町域の大部分、約65パーセントを占める。相模湾には葛川水系の不動川と葛川が合流して注ぐ。北と東を平塚市、西は二宮町に接する。町域は東西約7.6キロメートル、南北約4.1キロメートルでやや東西に長く、面積は17.23平方キロメートル(大磯町による)。
国道1号を初め、JR東海道本線、西湘バイパス、国道134号、小田原厚木道路(国道271号)が通じ、市街地は国道1号沿いの平坦部に形成されている。日本最初とも言われる海水浴場が開かれて以来、湘南の別荘地、保養地として発展。第二次世界大戦後は首都圏の拡大に伴って宅地化が進み、現在は住宅都市。気候は海岸沿いに流れる暖流の影響で温暖であり、湘南でも休養地として最適とされる。
元軍医総監の松本順が「海水浴場開設論」を打ち出し、1887年(明治20年)に大磯駅が開業すると、駅前の高台に要人の避暑・避寒地として邸宅や別荘が多く建てられた。特に伊藤博文、吉田茂のそれは特に有名である。この他に山縣有朋や西園寺公望、大隈重信、陸奥宗光、岩崎弥之助、安田善次郎といった政財界要人の別荘が立ち並んだ。1907年(明治40年)頃の大磯には150戸以上の別荘があったと言われ、「政界の(あるいは湘南の)奥座敷」と称された。
現在は、企業の保養所や研修所として利用されている所が多く、一般公開されているのはごく一部である。歴史的価値のある別荘の多くはマンション建設や宅地分譲などで姿を消しつつある。旧伊藤博文邸(滄浪閣)は西武から新たな企業に売却された。
現存する建物の多くは関東大震災(1923年)後の再建である。日本政府は2017年11月、大隈、伊藤、陸奥、西園寺邸などを「明治記念大磯庭園」として整備することを閣議決定した。明治改元150年記念ツアーでも人気が高かったが、老朽化した建物群をどう調査・保存するかが課題となっている。
吉田茂の場合は首相退陣後、大磯にて隠棲生活を送った。晩年も政界への影響力を保持していた為、「大磯」は吉田茂を示す別称(政界用語)でもあり、国内外の要人来訪も相次いだ。吉田没後も1979年の日米首脳会談の会場となった。2009年に火災により全焼したが、寄付金により再建され、2017年4月1日に大磯町郷土資料館別館として公開された。同年10月23日には、河野太郎外相と訪日したミクロネシア連邦大統領との懇談・夕食会場として使われた。
人口は総数31,461。
男性:15,342
女性:16,119
世帯数は12,794(令和4年2月1日現在)
大磯八景は1905年に葉書シリーズが出たもので、高麗寺晩鐘、小餘綾晴嵐、照ヶ崎帰帆、化粧坂夜雨、花水橋夕照、鴫立澤秋月、唐ヶ原落雁、富士山慕雪が選ばれている。
相模トラフ沿いで発生すると考えられている相模トラフ巨大地震を想定した対策が検討されている。2015年3月、津波浸水想定検討部会による将来的な津波浸水予測が発表され、大磯町で17mの津波が襲う可能性を指摘され、ハザードマップの早急な見直しが図られている現状にある。
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