第12回衆議院議員総選挙(だい12かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1915年(大正4年)3月25日に日本で行われた帝国議会(衆議院)議員の総選挙である。
概説
大正時代最初の衆議院議員総選挙であり、いわば“大正デモクラシー”の嚆矢となった選挙でもある。
この選挙で初当選した人物に鳩山一郎・濱口雄幸(ともに後の内閣総理大臣)がいる。
当選挙においては、当時の内閣総理大臣である大隈重信が汽車の展望車から停車駅ごとに演説を行うといった停車場演説を行った。
また、大隈首相自身の演説を録音したレコードも全国に配布するなど、巧みに選挙パフォーマンスも行った。首相自らが選挙パフォーマンスを行うのは、現在ではごく普通のことであるが当時としては非常に稀有なことであった。
選挙データ
内閣
解散日
公示日
投票日
改選数
選挙制度
- 大選挙区制(一部1人区制)
- 制限投票
- 直接国税10円以上納税の満25歳以上の男性
- 有権者 1,546,411
選挙結果
投票率
党派別獲得議席
- 総裁=加藤高明
- 総裁=原敬、幹事長=永江純一
- 中正会 36議席
- 大隈伯後援会 29議席
- 立憲国民党 27議席
- 総理=犬養毅
議員
当選者
立憲同志会 立憲政友会 中正会 大隈伯後援会 立憲国民党 中立
※北海道の「○○等」は○○の周辺の複数の支庁管内を示す。
補欠当選等
立憲同志会・憲政会 立憲政友会 中正会 立憲国民党 大隈伯後援会・無所属団・公友倶楽部 中立
初当選
- 計147名
- 立憲同志会
-
- 53名
- 立憲政友会
-
- 32名
- 中正会
-
- 7名
- 大隈伯後援会
-
- 22名
- 立憲国民党
-
- 9名
- 中立
-
- 24名
返り咲き・復帰
- 計54名
- 立憲同志会
-
- 26名
- 立憲政友会
-
- 9名
- 中正会
-
- 4名
- 島田保之助(滋賀県郡部)
- 川崎安之助(京都府郡部)
- 横山金太郎(広島県郡部)
- 宮原幸三郎(広島県郡部)
- 大隈伯後援会
-
- 3名
- 金子元三郎(小樽区)
- 大村和吉郎(静岡県郡部)
- 須見千次郎(徳島県郡部)
- 立憲国民党
-
- 4名
- 藤井善助(滋賀県郡部)
- 望月長夫(滋賀県郡部)
- 川口木七郎(兵庫県郡部)
- 佐々木安五郎(山口県郡部)
- 中立
-
- 8名
引退・不出馬・落選
- 計200名
- 立憲同志会
-
- 32名
- 立憲政友会
-
- 119名
- 中正会
-
- 12名
- 立憲国民党
-
- 17名
- 中立
-
- 20名
脚注
注釈
出典
参考文献
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。
関連項目
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