浅草線(あさくさせん)は、東京都大田区の西馬込駅から墨田区の押上駅までを結ぶ、東京都交通局が運営する鉄道路線(都営地下鉄)である。『鉄道要覧』における名称は1号線浅草線。開業当初は「都営1号線」と称した(後述)。一般的に都営浅草線と呼ばれることが多い。
営業区間全線にわたって地下線を走行するが、車両基地(馬込車両検修場)への引込線は高架線を走行する。路線名の由来は下町のイメージが色濃く残り、かつ国際的観光地でもある浅草から。車体および路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「ローズ」、路線記号はA。ただし、線内では朱色(バーミリオン)・茜色等も用いられる。
それまで営団地下鉄(後の東京地下鉄〈東京メトロ〉)とその前身の東京地下鉄道・東京高速鉄道により建設・運営が行われてきた東京の地下鉄において、東京都(東京都交通局)が運営主体となる初めての地下鉄路線である。
東京都区部を南部から中央部・墨東地域にかけて走る。泉岳寺駅で京急本線と、押上駅で京成押上線と接続し、本路線を含めた鉄道5事業者(京浜急行電鉄〈京急〉・東京都交通局・京成電鉄・北総鉄道・芝山鉄道)による相互直通運転が行われており、千葉県北西部の成田市・印西市・芝山町の各方面から神奈川県逗子市・横須賀市・三浦市に渡る広域な鉄道ネットワークを形成している。これは地下鉄と郊外の民鉄事業者による日本初の直通運転である。また泉岳寺駅以南は京急本線に直通する列車が主流になっており、泉岳寺駅 - 西馬込駅間は支線のような扱いになっている。詳細は「運行概況」の節を参照。
直通先の京急線・京成線がそれぞれ東京国際空港(羽田空港)、成田国際空港へのアクセスを担っているため、浅草線自体も空港アクセス路線としての役割を有し、羽田空港第1・第2ターミナル駅と成田空港駅を結ぶ列車も設定されている。また、2010年7月17日に開業した北総線経由のアクセスルートである成田空港線(成田スカイアクセス線)との直通運転も行っており、都心部から成田空港へのアクセス路線としての役割は強さを増している。
都営地下鉄の路線では唯一千代田区を通らない。東京メトロ副都心線とともに東京都内の地下鉄の中で千代田区を通らない路線である。また東京都内の地下鉄路線では唯一東京メトロ丸ノ内線、千代田線、有楽町線との乗換駅がない。
路線はおおむねJR山手線・JR京浜東北線・東京メトロ銀座線・JR横須賀・総武快速線といった既設の旅客流入路線のバイパスとなる線形をとっている。収支状況は2015年度決算で純損益約107億円の黒字である。
本路線の建設費用は822億5,569万円である。主な内訳は線路費が553億4,195万円、用地買収・権利設定費用が92億4,443万円、総係費・建設利息が82億4,475万円、車両費が33億3,457万円(以下、省略)となっている。
戦前より地下鉄への参入を希望してきた東京都にとって、浅草線は初の地下鉄路線であり、その建設は多くの流転を経て実現した。
東京都心部の銀座・新橋地区を経由して京成電鉄(当時は京成電気軌道)の押上と京浜急行電鉄(当時は京浜電気鉄道)の品川を高速鉄道で結ぶ構想はかねてからあり、明治の市区改正を経て1920年(大正9年)に「東京市告示第2号」として示された7路線の中にも1号線(品川八ッ山 - 新橋 - 築地 - 両国西側 - 雷門 - 押上)として記載されていた。その後、関東大震災等を経てその構想は変化した。
1941年(昭和16年)9月1日、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)(東京地下鉄〈東京メトロ〉の前身)の設立に伴い、東京23区の前身にあたる東京市、東京地下鉄道、東京高速鉄道、京浜地下鉄道が保有していた路線免許は、全て営団地下鉄に有償譲渡された。
このうち、戦後の都市計画第1号線となるのは以下の路線免許である。
太平洋戦争(第二次世界大戦)後の1946年(昭和21年)12月7日、戦災復興院より告示された「告示第252号」において、戦後の都市計画第1号線は「武蔵小山駅 - 五反田駅 - 田町駅 - 愛宕町 - 虎ノ門 - 日比谷 - 銀座 - 茅場町 - 浅草橋 - 上野広小路 - 本郷三丁目 - 巣鴨駅 - 板橋駅 - 下板橋に至る路線」(23.9 km)とされた。
この告示に伴い、営団地下鉄は前述の免許済路線を告示第252号に合致させるため、1949年(昭和24年)4月28日に起業目論見変更認可を申請し、同年5月23日に認可を受けた。起業目論見変更後は新橋 - 巣鴨間の路線免許から南佐久間町一丁目(現・西新橋) - 日比谷公園 - 銀座四丁目 - 日本橋茅場町 - 浅草橋一丁目 - 上野広小路 - 本郷三丁目 - 巣鴨駅間(14.21 km)の路線免許となった。
急速な復興と将来の経済成長を見越した新たな高速鉄道(地下鉄)計画として策定された1956年(昭和31年)の都市交通審議会答申第1号、それを受けた1957年(昭和32年)6月17日の建設省告示第835号により、都市計画第1号線は「馬込東 - 中延駅 - 五反田駅 - 車町 - 田町駅 - 金杉 - 浜松町 - 新橋駅 - 銀座東四丁目 - 宝町 - 江戸橋 - 人形町 - 浅草橋 - 蔵前 - 吾妻橋一丁目 - 押上駅」(17.3km)に変更され、第1号線の一部であった蔵前 - 下板橋間は都市計画第5号線(東西線)分岐線の大手町 - 下板橋間の一部となった。
これを受け、営団地下鉄は1957年(昭和32年)6月18日に第1号線路線免許の起業目論見変更認可申請を行い、8月13日に認可された。
戦後の東京の地下鉄建設は帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が担っていたが、東京都の地下鉄建設への希望が強いことや営団地下鉄だけでは建設が追い付かないという東京都の主張が受け入れられ、第1号線は東京都によって建設されることになった。最終的に運輸省(当時)の指示もあり、1957年(昭和32年)9月30日に営団地下鉄が保有していた都市計画第1号線馬込 - 泉岳寺 - 新橋 - 蔵前二丁目間の路線免許は東京都に譲渡、芝車町(泉岳寺) - 品川間の路線免許は京浜急行電鉄に譲渡することとなった。東京都(交通局)は、営団地下鉄へ450万円を支払うことで譲渡を受けているほか、京浜急行電鉄は、1,526万円を支払うことで譲渡を受けている。
その際には高輪(泉岳寺)から南の馬込へ伸びる区間も東京都が建設することになった。同区間は1962年の東京都都市計画地方審議会では「6号線」(その後の三田線)に変更されたが、馬込に車両基地用地を確保していた都交通局の要望もあり、1964年12月の建設省告示で実情に合わせて浅草線の延長区間に戻された。一方、高輪(泉岳寺) - 品川間は京急が京急本線の延長として建設することになった。
開業順では3番目だが、1号線となったのは、東京湾側から時計回りでナンバリングされた際、上記ルートの西側が最も東京湾に近かったからである。
免許が交付されると、新造の地下鉄線はともに都心にターミナルのない京成と押上駅で、京急と品川駅での相互乗り入れを前提に建設が進められた。当時は京成と京急で軌間が異なっていたが、京成が1372mmから改軌して都営と共に京急の1435mm軌間に3事業者が統一することとなった。路線建設は京成側から進められ、1960年に押上 - 浅草橋間が開業、順次路線が延長された。当時同じく建設中であった営団日比谷線と競い合うように工事が進められたが、浅草線は軟弱地盤に悩まされて工事が遅れ、地盤陥没による死亡事故まで発生した。
これらが重なり、1964年10月10日の東京オリンピック開幕までに全線開通が間に合わなかった。このため、東京都交通局は開幕に先立つ同年10月1日に新橋 - 大門間を単線で暫定開業させ(下記参照)、オリンピック開催期間中は建設工事を休止した。この遅延は、6号線問題も絡んだとはいえ泉岳寺以南の路線計画が不安定なままという事情も影響していた。
1962年(昭和37年)6月8日の都市交通審議会答申第6号では、第1号線は「品川方面より田町、新橋、浅草橋及び浅草の各方面を経て押上方面に至る路線」とされ、第5号線(東西線)の一部であった大手町 - 下板橋間が第6号線(→都営三田線)として分離され、「西馬込方面より五反田、田町、日比谷、春日町、巣鴨及び大和町の各方面を経て上板橋および志村の各方面に至る路線」とされた。同年8月29日の建設省告示第2187号により、第1号線は馬込 - 押上間から品川 - 泉岳寺 - 押上間に、第6号線が西馬込 - 泉岳寺 - 大手町 - 巣鴨 - 志村間及び大和町(板橋区) - 上板橋間に都市計画路線が変更となった。
その後、都市交通審議会は1964年(昭和39年)1月31日に前述の第6号答申の変更を行った。第6号線の大和町(板橋区) - 上板橋間の分岐線を廃止し、志村からさらに西進して埼玉県大和町(現・和光市)に延伸、第6号線は桐ケ谷 - 泉岳寺 - (現在の都営三田線ルート) - 志村 - 埼玉県大和町方面間とし、西馬込 - 泉岳寺間は第1号線に振り替えるものである。同年12月16日の建設省告示第3379号により、都市計画第1号線は西馬込 - 泉岳寺 - 押上間(18.5 km)及び分岐線品川 - 泉岳寺間(1.5 km)に落ち着いた。
第5号線(東京メトロ東西線)の一部であった大手町 - 下板橋間が第6号線(→都営三田線)の一部となったことで、営団地下鉄が保有していた大手町 - 巣鴨間の路線免許は東京都(東京都交通局)に譲渡された。最終的に東京23区前身の東京市が取得した路線免許(戦前の東京市営地下鉄・第3号線新橋 - 巣鴨間)は東京都に戻り、東京都営地下鉄の路線免許(浅草線の新橋 - 蔵前・三田線の大手町 - 巣鴨間)として活用されることとなった。
その後、1972年(昭和47年)3月の答申第15号では、西馬込・品川方面 - 押上 - 青砥 - 高砂 - 大町付近 - 鎌ケ谷市北部 - 千葉ニュータウン小室地区への延伸計画が示され、青砥 - 高砂間は京成線の複々線化を行うものとされた。このうち、西馬込 - 押上が都営浅草線、品川 - 泉岳寺が京急線、青砥 - 京成高砂が京成線の線増分、京成高砂以東が北総開発鉄道(現:北総鉄道)北総線として開業している。
当初計画では浅草駅は存在せず、浅草橋から駒形を経由して押上に向かう予定であった(このほかにもいくつかのルート案があった)。しかし利便性を考慮して駒形駅を北に移動し浅草駅を設けることとなり、さらに蔵前・本所吾妻橋の各駅が追加された。駒形の駅用地は駒形変電所(地下変電所)として活用されている。
また、かつては西馬込から南進し、神奈川県方面へ延伸する計画も存在しており、1985年の運輸政策審議会答申第7号において「今後整備について検討すべき路線」として位置付けられていた。しかし、2000年の運輸政策審議会答申第18号ではこの計画は削除されている。
開業当初、他に都の経営する地下鉄は存在しておらず、単に都営地下鉄線と呼ばれていたが、その後現在の三田線が開業すると、1968年の都市交通審議会答申第10号の路線名称を借用し都営1号線、と称した。その後、正式名称を公募することになり、新宿線の開業を年末に控えた1978年7月1日より1号線は都営浅草線の名称が与えられた。その後2000年に正式名称から「都営」が外されている。
東京の都市交通の中で山手線の東側を通る昭和通りは交通量が多く、そのことは江戸橋(現日本橋) - 新橋間で同通りの地下を走行する1号線(浅草線)の建設と経営を東京都が行う重要な動機だった。しかし、新宿をはじめとした山手線西側の副都心(新都心)開発は東京の重心を西側にずらし、そこから外れた浅草線の輸送人員数や混雑率は他の地下鉄路線と比較すると低くなったが、これは輸送力増強の余地にもなった。1991年に京成が成田空港駅、1998年に京急が羽田空港駅(現羽田空港第1・第2ターミナル駅)に乗り入れると、浅草線は両空港や東京都心部を結ぶ空港アクセス鉄道の機能を飛躍的に強め、一部駅の通過運転で速達性を重視した「エアポート快特」の運転も行われるようになった。
押上 - 浅草橋間の開業は1960年(昭和35年)12月1日に予定され、開通式はその前日となる11月30日に実施した。
しかし、全体の施設完成後の同年11月に東京陸運局に運輸開始認可の申請を行い、11月25日より5日間にわたり運輸省(現・国土交通省)による運輸開始検査を行った際に、駅施設の内装の不備、駅務員の教育不足などいくつかの指摘事項を受けた。
このため、12月1日の開業時に運輸開始認可が下りず、旅客営業ができなくなるという事態が発生した。その後、東京都は指示された期限内に完成させること、業務指導を徹底することを確約し、再確認を受けた12月4日の午後になり、運輸開始認可を受けた。このため、当日も始発からの運転開始が押上駅14時35分発からの運行となり、多くの混乱が生じた。
以下の鉄道路線との乗り入れが存在し、相互直通運転の多様性が特色として挙げられる。大部分の列車が他の事業者の路線と直通しているため、終点駅である押上駅折り返しの列車は少なく、特に押上駅方では早朝・深夜を除きほとんどの列車が京成押上線に直通する。大幅なダイヤ乱れが生じた場合でも、押上駅での折り返し運転は原則としてされない。列車は最大で4事業者にまたがって運転される。これはPASMOにおける改札内乗継回数の上限と重なるが、乗り入れ先のうち芝山鉄道線内ではPASMOが使用できない。
乗り入れ先を含めた運用距離の累計は225.0 kmで、これは有楽町線・副都心線系統の有料列車・臨時列車を含めた運用距離187.7 kmを上回り、東京の地下鉄では最長である。
京成電鉄へは、かつては金町線京成金町駅、千葉線千葉中央駅、千原線ちはら台駅に向かう列車もあった。
現行ダイヤでは成田空港駅 (京成本線経由)- 三崎口駅 (京急久里浜線)間を結ぶ列車が当線を経由する最長距離の列車 (141.8 km) であり、東京の地下鉄としては副都心線の海老名駅(相鉄本線) - 小川町駅(東武東上線)間 (116.4 km) 、有料列車では土曜・休日運転の副都心線経由の「S-TRAIN」西武秩父駅(西武秩父線) - 元町・中華街駅(横浜高速鉄道みなとみらい線)間 (113.8 km) をしのぐ最も長い直通距離である。なお該当列車は京急の車両で運転される。
泉岳寺から南方向は京急線直通旅客の便を図り、品川・羽田空港・横浜方面への列車を多く運転している。支線的位置付けの西馬込駅 - 泉岳寺駅間については区間運転列車も多く設定されており、日中はこの区間の列車の半数にも及ぶ。それとは逆に押上駅 - 西馬込駅間の線内運転のみを行う列車は平日朝の南行3本と北行2本のみとなっている。
列車種別が案内上多数存在するのが大きな特徴である。
普通のほか、急行(南行のみ)・快速(北行のみ)・通勤特急(北行のみ)・特急・アクセス特急(北行のみ)・快特(北行では「快速特急」)・エアポート快特が存在する(2023年10月現在)。運行される種別は多いが、浅草線内で通過駅を持つのはエアポート快特のみであり、その他の列車は浅草線内では各駅に停車する。
エアポート快特を除き、南行は押上駅で、北行は京急線の品川駅で表示を変更した上で乗り入れ先での種別を表示し、線内で終点になる列車と品川行きの列車は「普通」を表示する(放送などの案内では「各駅停車」を用いることもある)。エアポート快特は、南北両方向とも押上駅で乗り入れ先の種別に表示を変更するほか、南行の一部は泉岳寺駅で快特もしくは急行に種別変更する。
2010年5月16日から2023年11月24日までは、京急線内で「エアポート急行」となる南行の列車は、浅草線内では「急行」として案内・運転され、泉岳寺駅で種別変更を行っていた。
浅草線と直通または接続し、泉岳寺駅から京急線内を「普通」で運行する京急線下り方面(品川行き)の列車は、平日に11本、土曜・休日に2本のみである。京急線内急行通過駅のホーム有効長の関係上、浅草線直通列車は北品川駅・梅屋敷駅などには停車できないため、該当する列車はすべて品川駅発着である。なお、時刻表ではエアポート快特以外は「普通」扱いである。また、快特については京急が「快特」、京成は「快速特急」を正式名称としており、都営側では直通先に準じて案内している。
優等列車として、当路線の泉岳寺駅 - 押上駅間でエアポート快特が運行されている(別料金不要)。停車駅は駅一覧表を参照。
新設当時は羽田・成田の両空港を結ぶ列車との位置付けであったが、車両運用の都合上昼間時および朝ラッシュ前の南行と夕方ラッシュ終了後の北行のみが運行されていた。また、浅草線内でエアポート快特と同じ駅に停車し(ただし大門駅は通過)、青砥駅または京成高砂駅が始発・終着駅となる「エアポート特急」も運行されていたが、1999年7月31日の京急の白紙ダイヤ改正で「エアポート快特」に統合された。その後のダイヤ改正で日中の列車が京成佐倉駅発着となるなど、空港間連絡列車の意味合いは薄れていたが、2010年7月17日に成田スカイアクセス線が開業し、この日のダイヤ改正で京成佐倉駅発着のエアポート快特を同線経由(京成線内アクセス特急)の成田空港駅発着に変更したため、再び空港間連絡列車として運行されるようになった。
押上駅で緩急接続、泉岳寺駅で西馬込方面の列車との接続を行うほかは、途中駅での追い抜きはなく、現行では各駅を55 km/hで通過している。
乗り入れ先である京急本線・北総線が20分サイクル、京成本線・押上線が40分サイクルのパターンダイヤのため、浅草線でも40分サイクルのパターンダイヤが組まれている。泉岳寺駅 - 押上駅間は運転密度が高く、平均5分間隔で運転される。エアポート快特は泉岳寺駅(一部を除く)および押上駅で先着列車の待避を受ける。
日中時の全体では、1時間に西馬込駅 - 泉岳寺駅間が6本(10分間隔)、泉岳寺駅 - 押上駅間が12本(概ね5分間隔だが、40分に1本がエアポート快特となるため通過駅では10分開く箇所がある)の運転となる。日中は泉岳寺駅で接続が図られ、西馬込駅発着の列車と京急線内発着の列車との乗り換えがしやすくなっている。
箱根駅伝開催日は京急蒲田駅付近にある第一京浜の踏切を選手が通過するため、毎年1月3日には臨時ダイヤが組まれ、一部の羽田空港行きが京急川崎行きに変更されていた。2012年10月21日に高架化工事が完成したため、2013年開催分からは臨時ダイヤそのものが廃止された。
2023年現在、浅草線では都営車のみが対応している。一方で乗り入れ車両については対応しておらず、車掌が直接案内する。
4事業者と相互直通運転を行っているため、2023年時点で最大13形式の車両が運行されている。京急2100形は浅草線へは通常は入らないが、泉岳寺駅までは入線できるため、泉岳寺駅に限り2023年時点で最大14形式の車両を見ることができる。乗り入れ先の芝山鉄道の車両は現行在籍車が4両編成1本のみのため、浅草線へは入らない。
乗り入れ各社を含め形式は全て「形」と呼ぶ。
どの列車がどの車両で運用されるかは列車番号の末尾アルファベットで区別されており、「T」が都交通局車両(5000番台)、「K」が京成車両(3000番台)、「N」が北総車両(7000番台)および千葉ニュータウン鉄道車両(9000番台)、「H」が京急車両(600・1000・2000番台)となっている。列車番号については『MY LINE 東京時刻表』(交通新聞社)にも掲載されている。また、乗り入れ先の車両がそれぞれの自社線に直通しない運用(京成車・京急車による西馬込 - 泉岳寺間の区間運転、北総車による泉岳寺・青砥・京成高砂行き)もある。
2014年11月8日のダイヤ改正で6両編成での運行が廃止され、全列車が8両編成となった。改正前の時点で、6両編成の設定は平日朝の西馬込 - 京成高砂間1往復のみ(京成電鉄の車両による運行)であった。
京成線(押上線・本線・成田スカイアクセス線)と京急線(本線の堀ノ内 - 浦賀と大師線を除く)、北総鉄道北総線に直通している。京急線の横浜方面には平日は朝・夕夜を中心に運行し、日中も一部に三崎口駅発着や逗子・葉山駅発着があるほか、土休日は終日羽田空港第1・第2ターミナル - 逗子・葉山間の京急線内のみを往復する運用も存在する。
全て8両編成。京急車が泉岳寺駅 - 西馬込駅間に直通する場合もある。
2020年(令和2年)度の朝ラッシュ時最混雑区間(南行、本所吾妻橋→浅草間)の混雑率は100%である。
最短で2分30秒間隔と高頻度で運行されており、東京メトロ銀座線(浅草 - 新橋間)、総武快速線・横須賀線(馬喰町 - 新橋間)、山手線(新橋 - 五反田間)等、ほぼ全区間で他路線のバイパスとなるような線形をとっていることから、混雑率は都営地下鉄の路線で最も低い。
開業以降の輸送実績を下表に記す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
ホームドアについては、浅草線では相互直通運転各事業者の乗り入れ車両数が多く、これまでの定位置停止装置等を車両に搭載する方式でホームドアを整備することが困難であった。そこで、東京都交通局とデンソーウェーブが共同開発した、車両のドアに貼り付けられた特殊なQRコードを駅のカメラで読み取りホームドアの開閉と連動させる技術を採用し、当初見込まれていた約20億円という整備コストを約270万円まで抑えることに成功した。
2017年11月24日より大門駅1番線ホームで実証実験を行った後、新橋駅、大門駅、三田駅、泉岳寺駅にホームドアを設置した。以後、2023年度までに浅草線内の押上駅以外の全駅にホームドアを整備する予定とされ、2023年11月18日には西馬込駅で運用を開始し交通局が管理するすべての駅で整備が完了した。押上駅については京成電鉄が整備を行い、2024年2月20日に整備が完了し、都営地下鉄全駅へのホームドア設置が完了した。
2001年5月の「首都圏の空港アクセス緊急改善対策」および8月の「都市再生プロジェクト第二次決定」を受け、国土交通省・東京都・中央区・鉄道事業者などが検討委員会を設置し、周辺の再開発とともに日本橋・東銀座間から東京駅への支線建設が検討された。この計画が実現した場合、東京駅から羽田・成田両空港への新たな直通アクセス路線となる。特に成田空港へは2010年7月17日に開業した成田スカイアクセスと直通した場合、最短アクセス路線となる。
国土交通省は羽田・成田両空港間を乗り換えなしで結ぶ鉄道の整備を計画している。2008年8月9日に発表されたのは、浅草線の途中駅(宝町駅・三田駅周辺)に特急列車待避設備を新設することで両空港駅間を65分で結ぶ計画(予算はおよそ400億円)。これに対し、同年9月7日にはバイパスとして並行する別線を新たに建設する案(およそ3000億円)も発表され、さらに10分の時間短縮が可能とされている(「都心直結線」も参照)。この案では東京駅付近へ駅の設置も検討するとされている。同年10月、国土交通省はバイパス線建設を最有力候補にすることを発表した。
2020年には開業60周年を迎え、それに伴い2018年にリニューアル・プロジェクトの基本構想を発表するとしている。
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