社会主義国(しゃかいしゅぎこく)は、自国を社会主義と標榜し、憲法・国家理念・国家原則などの中に社会主義的な考え方を記載する共和国のこと。世界初の社会主義国は1917年に成立したロシア・ソビエト連邦社会主義共和国だが、1989年の東欧革命及び1991年のソ連崩壊によって、ほぼ全ての社会主義国が滅亡した。現在では、社会主義国を自称する国は中華人民共和国・北朝鮮・ベトナム・ラオス・キューバの5か国のみである。
社会主義国という言葉は以下の二つの意味に分類できる。
19世紀の資本主義社会は過酷な労働環境をもたらすなど多くの矛盾・問題点を抱えていた。その問題点は多くの社会主義学者によって分析され理想の社会が論じられてきたが、特にカール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルスらは、資本主義が成熟した後に社会主義(共産主義)が実現しうるとした。
世界初の労働者による革命政権は1871年のパリ・コミューンであり、世界で最初の社会主義国家は、ロシア革命と十月革命を経てボリシェヴィキが主導権を握ったことで1917年に成立したロシア・ソビエト連邦社会主義共和国である。ボリシェヴィキの政権はロシア内戦を経て1922年に成立したソビエト連邦(ソ連)の前身となった。この他にもロシア内戦の時期には旧ロシア帝国領内に複数の社会主義政権が生まれている。1919年にはバイエルン・レーテ共和国とハンガリー・タナーチ共和国が成立したが、まもなく消滅した。1924年には中華民国から独立する形で、アジア最初の社会主義国としてモンゴル人民共和国が誕生した。
第二次世界大戦後、多くの社会主義国が誕生した。
東欧では、多くの国々がソ連により「解放」された結果として社会主義国(衛星国)となり、ソ連を盟主とする軍事同盟のワルシャワ条約機構に加盟した(東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキア、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、アルバニア)。ただしアルバニアは中ソ対立の際に親中路線をとり脱退した。ユーゴスラビアは当初の親ソ路線から独自の社会主義路線に転じ、非同盟中立政策や、一定の自由市場経済を認める市場社会主義を採用した。
東アジアでは、大日本帝国の敗戦により、1948年に韓国樹立に対抗する形で北朝鮮が成立した。中国では第二次世界大戦後に国共内戦が再開され、蔣介石率いる中国国民党及び中華民国が台湾に逃走した結果、1949年に中国共産党率いる中華人民共和国が成立した。ソ連、中国の間では同盟が結ばれた。
東南アジアでは、終戦の混乱に乗じて1945年に旧仏領インドシナ地域が独立を宣言し、ベトナム民主共和国(北ベトナム)が成立した。しかし1946年にはフランスが東南アジアの利権を守るべく傀儡政権のコーチシナ共和国を成立させたことで、南北分断国家となり、南北対立と断続的な戦争が行われた。
北ベトナムはソ連や中国の(中ソ対立ではソ連側に付いた)、南ベトナムは当初はフランスの、後にはアメリカ合衆国の支援を受けた。しかし1975年、北ベトナム軍は南ベトナムの首都サイゴンを陥落させ、社会主義国としての統一を実現した。周辺国のカンボジア、ラオスも社会主義国となった。
これに対し、ミャンマー(ビルマ)では、1962年、ネ・ウィンがそれまでの国内の混乱を背景にクーデターを決行。「社会主義へのビルマの道」と呼ばれる独特の民族主義・国家主義・社会主義体制を確立。アメリカ・ソ連との関係を最低限の範囲にまで縮小させて、国際的には孤立化の道を歩む事となった。
南アジアにおいては、インドはソ連の支援を受け、社会主義的政策を取った。
中東・アフリカでは、1976年にはアンゴラ、1977年にはセーシェル、1978年にはエチオピア、モザンビーク、南イエメン、アフガニスタンで社会主義政権、もしくは親ソ政権が誕生した。
中南米では、アメリカの半植民地状態であったキューバで、1959年にカストロ率いる革命政権が発足した。また1970年にチリの自由選挙においてサルバドール・アジェンデが大統領に選出される。しかしこのアジェンデ政権は、1973年にはCIAの後援を受けたピノチェト将軍らによるチリ軍事クーデターにより崩壊した。
以上のように西側諸国は「ソ連が国内には恐怖政治、国外には革命の輸出を行っている」として軍事的圧力や経済封鎖、反革命勢力への武器提供や資金援助を行った。東側諸国はこれに対抗して国内統制を強化しコミンフォルムを通じて西側の社会主義政党にも介入したため、冷戦や、朝鮮戦争やベトナム戦争などの代理戦争が繰り広げられた。
なお、東南アジア・アフリカ・南米などの社会主義国は、資本主義が進化して社会主義へ進んだというより、旧宗主国である西側諸国と対決して植民地や半植民地状態から独立し、ソ連などの援助を得て国家指導の近代化建設を推進する面が強く、陣営は異なるものの反共主義を掲げて西側の援助を得た開発途上国の開発独裁とも共通する。
1953年にソ連及び社会主義陣営に絶対的な影響力を持っていたソ連の最高指導者ヨシフ・スターリンが死去すると、1950年代半ば以降は社会主義諸国の間でもさまざまな紛争が起こり、軍事負担や西側の経済封鎖の影響もあり、「共産主義は一枚の岩の如きに団結」という宣伝は短期間で崩壊した。社会主義国同士は「近い未来、共に共産主義を実現せよ」と言いながら、1956年のスターリン批判とハンガリー動乱・米ソの平和共存路線に反対する形での中ソ対立・1968年のソ連のチェコスロバキアへの軍事介入・1978年からのソ連のアフガニスタン侵攻・1979年の中越戦争などに激突していた。
他方、資本主義諸国では、アメリカ合衆国のニューディール政策やイギリスの福祉国家、更には北欧諸国の社会民主主義政策など、教育水準の向上が社会流動性をもたらし、社会保障等の福祉制度の充実と生産力の向上が、貧困の克服と一定の社会の成熟と安定をもたらした。この背景には、国際的にも国内的にも社会保障面で社会主義勢力に対抗する必要があったこと、各国の社会民主主義勢力の役割などが挙げられる。
1980年代後半にはソ連共産党による体制が消耗を見せ、ベルリンの壁崩壊などの東欧諸国の民主化やペレストロイカを経て、1991年にはソ連が崩壊した。重しの外れたヨーロッパの社会主義国は次々に社会体制を改め、現在ヨーロッパにはソ連型社会主義国は残っていない。
2016年現在では、アジア(中華人民共和国、ベトナム、ラオス、北朝鮮)と中米(キューバ)では一党独裁制の社会主義国が残っているが、それらの国々でも北朝鮮を除けば、ある程度開発独裁的な体制である社会主義市場経済を採用している。
アジアでは、中華人民共和国は改革開放、ベトナムはドイモイ政策を採用し、政治的には社会主義(共産党一党独裁)を堅持しながらも、経済的には資本主義化(国有企業の株式会社化、外資誘致など)を導入して効率化と発展を追求する、一種の混合経済を進めている。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は独自の主体思想を掲げる軍事独裁専制国家で、経済的・政治的な体制はソ連型社会主義とも異なるが、2002年7月の経済改革では農産物など部分的な自由市場が認められ、2009年の憲法では、「社会主義」を標榜してはいるが、「共産主義」の語は削除され、独自の「先軍思想」が明記された。
一方、中南米ではキューバの社会主義政権が崩壊せず続いている事に加え、1990年代末より市場開放による国内産業の壊滅や貧富の差の拡大もあり、左派勢力が力を増し、ベネズエラのチャベス政権を筆頭に、エクアドル、ニカラグア、ボリビアなど社会主義を志向する国が続いており、2009年にもエルサルバドルでは、かつては共産ゲリラであったファラブンド・マルティ民族解放戦線が選挙で政権を奪取した。米州自由貿易地域に対抗した米州ボリバル同盟が結成されている。
なおロシア、ベラルーシなどの旧社会主義圏では、エリツィン時代の急速な市場経済導入による混乱と国家弱体化の反動で、超大国時代の社会主義ソ連を懐古する層もあり、大統領への権限集中を後押しする一因となっている。
西側諸国の社会主義者や社会主義政党では、かねてよりイギリス労働党などの社会民主主義と、プロレタリア独裁を掲げソ連型社会主義を目指したマルクス・レーニン主義が対立していたが、マルクス・レーニン主義勢力は次第に縮小した。
日本共産党は1950年代から「自主独立路線」を掲げ、ソ連共産党や中国共産党から次第に自律的な路線を模索しはじめる。1963年には部分的核実験禁止条約をきっかけにソ連共産党と対立し、関係を断絶。1966年には中国との対立も表面化し翌年には関係断絶に至る。このような流れの中で日本共産党は1966年の党綱領に自主独立路線を明記。1974年には党綱領からプロレタリア独裁の規定を削除し、1976年には「自由と民主主義の宣言」を出して議会制民主主義の擁護を明確にした。
西側最大の共産党であったイタリア共産党は、1970年代にはマルクス・レーニン主義を放棄しユーロコミュニズムの路線を確立、1980年代には社会民主主義政党へ路線転換した。西側では長らくソ連共産党への支持を続けたフランス共産党は、退潮傾向にあり1990年代より多様な路線を模索している。
対立する一方の超大国が消滅したため、世界唯一の超大国となったアメリカ合衆国の軍事力の突出に懸念する声もある。冷戦下では共通の敵を持ち歩調を合わせてきた西側諸国の中でも、アメリカ合衆国の軍事行動に同調しないケースが増えつつある。また冷戦終了後もアメリカ合衆国の二重基準が続いている(民主主義と市場経済を唱えながら、サウジアラビアなどの独裁政権は支持し、選挙で選ばれたイラン、ベネズエラなどの政権には敵対する)ことを批判する声もある。
2007年に世界金融危機が発生したが、その背景として「社会主義に勝利した」とする新自由主義によって推進された、自由主義経済の行き過ぎ(市場原理主義)と、政府や社会による市場の監視・管理機能の低下が、資本主義諸国の指導者からも含め、広く指摘されている。
ソ連及びソ連の影響下で成立した多くの社会主義国家では、基本的な教育・賃金・住宅・医療などが保障され、身分・民族・男女などによる差別は公式には否定され、国家による産業(特にインフラ)の整備が行われて近代化が促進された。一方、基本的には共産党一党独裁であり、言論の自由、信教の自由などはしばしば制限され、また官僚制による腐敗や非効率も深刻化した。特にスターリン時代には大規模な人権侵害が長期間行われた事がスターリン批判で暴露されたが、共産党独裁自体は継続された。またソ連の影響下の国々は衛星国とも呼ばれ制限主権論も唱えられた。
ソ連の影響下ではなく独力で社会主義政権を建設した国では、ユーゴスラビアやキューバのようにソ連に比べ政権党の統制が比較的緩やかな場合もあるが、とりわけ、中国・カンボジア・北朝鮮は、ソ連以上に厳しい抑圧体制を敷いた。カンボジアのポル・ポト政権は、中国の文化大革命に触発されて極端な農業集団化を推し進め、人口700万の同国で150万から300万の国民(国外亡命者を含む)を処刑した。1989年6月には中国で天安門事件が発生し、民主化を求める学生デモを武力鎮圧した。中国では現在、ネット検閲によってサイバー空間でも国民を抑圧し、またチベットにおける人権侵害が現在進行形で行われている。
日本共産党は特に日中共産党の関係が悪化した2019年以降の中国を、過激な大国主義や覇権主義などから社会主義に相当しないと批判している。
社会主義国の場合、支配政党の中央委員会書記長・総書記・第一書記が党首にあたるものとして存在し、党だけでなく国家の実権を掌握することが多かった。
国家主席・国務委員長とは、世界における社会主義国の国家元首(大統領)の役職名である。社会主義国の場合、国家元首は儀礼的な存在。
社会主義国の場合、政府の長(首相)が保持する行政権は最高指導者に劣る。総書記や国家元首とは異なる人物が務めている。
現存もしくは過去に存在した社会主義国の一覧は以下の通り。どのような範囲を「社会主義」または「社会主義国」と呼ぶかは議論があるが、ここでは憲法等の国家基本法等で「社会主義」を記載した国を記載する。「社会主義」のうち、特にマルクス・レーニン主義は「共産主義」と呼ばれる事も多い。マルクス・レーニン主義以外の社会主義はアラブ社会主義、ビルマ型社会主義、主体思想など。なお朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は当初はマルクス・レーニン主義を発展させたとする主体思想を掲げていたが、1992年以降は憲法から「マルクス・レーニン主義」および「共産主義」を削除し、主体思想を掲げる「社会主義」となった。
以下は、戦争や革命の時期(第一次世界大戦の余波によるものが大部分)に、短期間存在したが、国際的な承認を得て永続的な政権には至らなかったものである。これらの政権は自らを一定の解釈のもとで「社会主義」であると主張した。
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