特別捜査部(とくべつそうさぶ)とは、日本の検察庁の一部門。東京・大阪・名古屋の各地方検察庁に設置されている。特捜部・特捜と略されることが多い。
隠退蔵物資事件を契機にGHQ主導で設立された「隠匿退蔵物資事件捜査部」が前身。
独自の捜査権限を有している検察庁の中でも、大規模事件など、集中的に捜査を行う必要がある案件に取り組む機関として存在している。検事(副検事)のほかに検察事務官により構成されている。
政治家汚職、大型脱税、経済事件を独自に捜査する。一般的な刑事事件は警察による捜査が行われるが、この類の事件では最初から特捜部が捜査する場合が多い。ただし、大型脱税のうち暴力団による所得税法違反については、警察が捜査を開始する場合もある。また、独占禁止法違反については、公正取引委員会に専属告発権限がある。
特捜部長は他の部長よりもランクが上で、地方検察庁ではナンバー1の検事正、ナンバー2の次席検事に次ぐ三席的存在とされる。
1947年に発生した旧日本軍と政界、財界の汚職事件を契機に東京地検特捜部が「隠退蔵事件捜査部」として発足したのが最初。1949年に改称。1957年に大阪地検特捜部が発足し、東京・大阪の2特捜部態勢が続いていたが、1996年に名古屋地方検察庁にも特捜部が置かれ全国で3特捜部の態勢となっている。また汚職の摘発については、入札談合等関与行為防止法(2002年)や不正競争防止法(2004年改正)、公益通報者保護法(2006年)、一般社団法人及び一般財団法人に関する法律(2008年)などの法制も整備されてきている。
なお、3地検以外の一部の地方検察庁には、特捜部と公安部の機能を兼ねた特別刑事部(特刑部)が、旧公安部を改編して設置されている。特刑部は公安検察のテリトリーとなっている。
通称「東京地検特捜部」。
かつては中央合同庁舎第6号館A棟(東京高等検察庁、最高検察庁も入居しているので、B棟と共に通称「検察合同庁舎」と呼ばれる)に入居していたが、現在は千代田区九段南の九段合同庁舎内にある東京地方検察庁九段庁舎に移転している。
東京地検特捜部は政治家汚職、脱税、経済事件などを独自に捜査し、大物政治家の立件・有罪などの結果を出していることから、「日本最強の捜査機関」とも呼ばれている。以前は中央合同庁舎6号館A棟の8階にあったことから「8階が動いていると言われると永田町に戦慄が走る」と評された。政治家の案件ではロッキード事件以降の捜査で完全無罪確定判決が出たことがない(一審無罪でも、控訴審有罪・上告棄却)ため、「不敗神話」といわれることがある。
一方、東京地検特捜部に批判的な立場からは、東京地検特捜部が連合国軍による占領下で、旧日本軍が貯蔵していた隠退蔵物資を摘発してGHQの管理下に置くことを目的に設置された「隠匿退蔵物資事件捜査部」としてスタートした経緯や特捜部エリートに駐米大使館の一等書記官経験者が多いことから、「アメリカの影響を受けている」とする見方がある。また、捜査対象が歴史的に木曜クラブの流れを汲む平成研究会系列(田中派 - 竹下【登】派 - 小渕派 - 橋本派 - 津島派 - 額賀派 - 竹下【亘】派 - 茂木派)の政治家に集中する一方で、党風刷新連盟を興りとする清和政策研究会系列(福田派 - 安倍【晋太郎】派 - 森派 - 町村派 - 細田派 - 安倍【晋三】派)の政治家は多くが免れていることから、「捜査対象が偏っているのではないか?」という主張がある。
警視庁捜査二課とは捜査について協力関係と競争関係双方の面があるとされ、1996年に起きた特別養護老人ホーム汚職事件で、現職の厚生事務次官を逮捕したのは警視庁捜査二課だった。
総勢 検事40名・副検事2名・検察事務官90名
ゼネコン汚職事件で静岡地検浜松支部から応援で駆けつけた検事が1993年10月に参考人として事情聴取していた元宮城県幹部や贈賄企業幹部に対して暴行を加えてけがを負わせる事件が発生した。検事は特別公務員暴行凌虐致傷罪で立件され1994年6月に懲役2年執行猶予4年の判決を受けた。
陸山会事件の捜査報告書の虚偽記載に関し、2012年6月27日元東京地検特捜部検事田代政弘が減給6ヶ月、100分の20、元東京地検庁検事正岩村修二が厳重注意、元東京地検特捜部長佐久間達哉が戒告の懲戒処分を受け、田代は検察官を辞職した。
2019年11月に業務上横領容疑で捜査対象の男性を任意で取り調べた際、男性の妻から弁護依頼を受けた弁護士が東京地検を訪問。被告に面会する意思があるか確認するよう求めても、検事は適切ではないなどと否定的な姿勢を示し、計約2時間にわたり接触を認めなかった。その間に男性は自白調書に署名、押印したという。弁護士は、検事から接見を妨害されたとして、国に200万円の賠償を求め提訴し、2020年11月13日、東京地方裁判所は「弁護権を違法に侵害された」と認め、国に10万円の慰謝料を支払うよう命じた。
2021年7月と8月に東京地検特捜部でおきたボヤ騒ぎ調査の過程で、現場で焼け残った捜査関係書類の一部に変造された痕跡が確認された。書類は特捜部が民間企業に捜査照会した回答書の写しで、本来は照会先が押すはずの印影をコピーして貼り付けるなどして変造されていた。特捜部に所属する複数の職員から聞き取りを行うなどして経緯を調査し、担当の検察事務官が書類を変造したことを認めたため、厳重注意処分を受けた。
通称、「大阪地検特捜部」。1957年4月創設。
法務・検察の中で重要な一角を占める「関西検察」において実働捜査を担当し、関西地方を中心に活動をし、政官財の絡む大型事件を次々と摘発している。
東京地検特捜部を含めた検察庁全体で、マスメディアへの情報漏洩を警戒して、一部幹部を除いて検察官や事務官が、記者への接触制限による締め付けを厳しくするあまりに、独自情報を入手してくる検察官や事務官が少なくなっている中で、他の検察と比較して、記者への接触制限が緩い大阪地検特捜部では、幹部ではない検察官や事務官が、様々なネットワークを駆使して、独自情報を入手しているとされる。
2010年9月10日、障害者郵便制度悪用事件で村木厚子に無罪の判決が言い渡された後、同月21日、同事件担当の主任検事前田恒彦が、証拠物件であるフロッピーディスクの内容改竄を行ったとして、証拠隠滅容疑で最高検察庁により逮捕された。その後も、大阪地検及び同特捜部の組織的関与の可能性も視野に入れた形での捜査が最高検により継続されている。10月1日には当時の部長大坪弘道・副部長佐賀元明も犯人隠避容疑で逮捕された。さらに、11月1日、市民団体「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」が前田を特別公務員職権乱用罪で刑事告発。11月3日付で受理される。
通称、「名古屋地検特捜部」。1996年創設。名古屋では「名地検特捜部」(めいちけんとくそうぶ)とも呼ばれる。
特別捜査部は汚職を取り締まるために時の政権の意向に左右されやすいと言われている。また、有罪にするために強引な捜査手法が目立つとの批判もある。
最近では、特捜部の捜査手法が公安警察のように、社会の秩序安定を目的に一罰百戒を狙って逮捕することに重きを置くようになった(特捜部の公安化)という指摘がある。かつての特捜部は被疑者が反論できないくらい証拠を固めていて、強制捜査は事件の開始を告げる儀式に過ぎなかったが、現在の特捜部は証拠が固まっていない内から強制捜査に乗り出すため、捜査が行き当たりばったりになっていると指摘されている。ライブドア事件もそういう傾向が表れていたという。この背後にあるのは「国民が望んだ」という意識で、証拠固めよりも世論の空気に動かされて捜査に突入しているという。このことが国策捜査の連発につながっていると指摘されている。背景として、特捜部が恣意的な判断に基づいて、摘発対象の選定や摘発の可否を決定を行っている点が指摘されている。
沖縄密約告発事件(いわゆる西山事件)では、情報提供者の外務省の女性事務官と西山太吉を逮捕・起訴した際に佐藤道夫検事が起訴状に「ひそかに情を通じ、これを利用して」という言葉を記載。この結果、テレビのワイドショーなどが、西山記者と女性事務官の関係の連日批判を展開し、世論は一転して西山記者と女性事務官を非難する論調一色になり、沖縄密約については議論されなくなった。
各地方検察庁の特別捜査部が立件した事案であっても、無罪が確定した事件が存在する。1990年代から2000年代にかけても、障害者郵便制度悪用事件、陸山会事件における虚偽捜査報告書問題などで失点を重ね、批判にさらされるようになった。
これらの状況を踏まえ、大阪・名古屋の特別捜査部は解散、または東京と統合し最高検察庁に移す再編が必要ではないかとの意見も、政府「検察の在り方検討会議」で出ているという。「会議」では、内偵、捜査、逮捕、起訴を一手に行う特捜部のあり方が問題とされた。
2011年7月、会議の答申を受け、最高検察庁は、特別捜査部の陣営を縮小し、国税局や証券取引等監視委員会との連携を強めて、独自捜査を行う部門は1つだけとする事、更に目付役「監察指導部」の設置を決定した。
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