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永平寺


永平寺


永平寺(えいへいじ)は、福井県吉田郡永平寺町にある、曹洞宗の仏教寺院。總持寺と並んで、日本における曹洞宗の中心的な寺院(大本山)である。山号を吉祥山と称し、開山は道元、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏である。寺紋は久我山竜胆紋(久我竜胆紋・久我竜胆車紋)。

歴史

道元による開山

道元は出家して比叡山延暦寺に上った後に宋に渡り、天童山景徳寺の如浄に入門し、ひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)」の禅風を継いで帰国。初めは京の建仁寺に住し、のちには郊外の深草に興聖寺(こうしょうじ、廃寺となった後に宇治市で再興)を建立して説法と著述に励んだが、旧仏教勢力の比叡山からの激しい迫害に遭った。

道元は、信徒の一人であった武士波多野義重の請いにより寛元元年(1243年)、興聖寺を去って、義重の領地のあるた越前国(福井県)志比庄に向かった。義重は当初、道元を吉峰寺へ招いた。この寺は白山信仰に関連する天台の寺院で、現在の永平寺より奥まった雪深い山中にあり、道元はここで一冬を過ごし、翌寛元2年(1244年)には吉峰寺よりも里に近い土地に傘松峰大佛寺(さんしょうほうだいぶつじ)を建立した。これが永平寺の開創であり、寛元4年(1246年)に山号寺号を吉祥山永平寺と改めている。寺号の由来は中国に初めて仏法が伝来した後漢明帝のときの元号「永平」からであり、意味は「永久の和平」である。

道元以降

その後の永平寺は、2世孤雲懐奘、3世徹通義介の下で整備が進められた。義介が三代相論で下山し、4世義演の晋住後は外護者波多野氏の援助も弱まり寺勢は急激に衰えた。一時は廃寺同然まで衰微したが、5世義雲が再興して現在に至る基礎を固めた。義雲から19世祚玖までと、22世の常智祚天は寂円派の住持であった。

暦応3年(1340年)には兵火で伽藍が焼失、応仁の乱の最中の文明5年(1473年)でも焼失した。その後も火災に見舞われ、現存の諸堂は全て近世以降のものである。

室町時代から安土桃山時代にかけて皇室から重んじられ、応安5年(1372年)には後円融天皇より「日本曹洞第一道場」の勅額・綸旨を、天文8年(1539年)には後奈良天皇より「日本曹洞第一出世道場」の綸旨を、天正19年(1591年)には後陽成天皇より「日本曹洞の本寺並びに出世道場」の綸旨を受けた。

江戸時代初期の元和元年(1615年)、徳川幕府より法度が出され總持寺と並び大本山となる。

伽藍

文化財については後述
  • 勅使門:天保10年(1839年)の建築。
  • 山門:寛延2年(1749年)の建築。重層の門で、階上には釈迦如来像、五百羅漢像などを安置する。
  • 中雀門
  • 通用門
  • 円通門
  • 仏殿:明治35年(1902年)の建築。本尊の久遠実成の釈迦・方便の釈迦・無量寿の釈迦(阿弥陀如来)の三世仏(過去・現在・未来を表す)の他、禅宗初祖の達磨像、道元の師である如浄禅師像などを安置する。
  • 法堂(はっとう):天保14年(1843年)の建築。聖観音(しょうかんのん)像を安置する。
  • 大庫院 - 昭和5年(1930年)の建築。地上3階地下1階の近代木造建築で、台所兼事務所の役を果たす。建築当時のエレベーターが現存しており、これは稼動中のものとしては日本屈指の古さといわれる。
  • 承陽殿:明治14年(1881年)の建築。開山道元の廟で、道元以下第5世までの住職の像を安置する。
  • 僧堂:明治35年(1902年)の建築。僧堂は坐禅修行のための建物である。
  • 傘松閣(さんしょうかく) - 昭和5年(1930年)の二祖国師・孤雲懐奘650回忌を記念して建築。道元禅師と永平寺の名は、永平寺最初の山号「傘松峰」に由来。222畳敷きの大広間があり、天井画は小室翠雲らの尽力により、荒木十畝、伊東深水、鴨下晁湖、川合玉堂、島田墨仙、野田九浦、益田玉城、水上泰生、山田敬中、山本昇雲など計144名の画家によって描かれた。
  • 吉祥閣:昭和46年(1971年)の建築。地上5階地下1階の宿泊研修施設で、曹洞宗に限らず参禅研修を希望する人を広く受け入れている。
  • 浴室:昭和55年(1980年)の改築
  • 東司
  • 真陽閣
  • 光明蔵
  • 不老閣
  • 宝蔵
  • 一華蔵
  • 孤雲閣
  • 瑠璃聖宝閣
  • 五葉関
  • 祠堂殿

文化財の建物19棟については、清水建設の協力を得てレーザーで内部まで精密に計測してデータ化し、デジタルツインを作成済みである。

歴代貫首

数字は西暦の年

文化財

国宝

  • 普勧坐禅儀(附 普勧坐禅儀撰述記)

重要文化財

  • 高祖嗣書 1幅 紙本墨書 南宋時代
  • 明全戒牒 1巻 金銀絵料紙墨書 鎌倉時代
  • 正法眼蔵仏性第三 1冊 紙本墨書 孤雲懐弉筆 鎌倉時代
  • 後円融院宸翰 1幅 南北朝時代
  • 梵鐘 鎌倉時代 嘉暦2年(1327年)
  • 永平寺(建造物)19棟
    • 仏殿
    • 法堂
    • 山門
    • 中雀門
    • 僧堂
    • 大庫院
    • 大光明蔵
    • 監院寮
    • 廻廊 5棟(山門東方、山門西方、中雀門東方、中雀門西方、仏殿東方)
    • 承陽殿本殿及び拝殿
    • 承陽門
    • 経蔵
    • 松平家廟所門
    • 舎利殿及び祠堂殿
    • 勅使門

典拠:2000年(平成12年)までに指定の国宝・重要文化財については、『国宝・重要文化財大全 別巻』所有者別総合目録・名称総索引・統計資料(毎日新聞社、2000年)による。

福井県指定有形文化財

  • 絹本著色三帝釈天像
  • 絹本著色永平寺歴代祖師像 9幅

交通

  • 公共交通機関
    • えちぜん鉄道勝山永平寺線永平寺口駅から京福バス86・87系統(芦原丸岡永平寺線)・88系統(永平寺線)「永平寺」行乗車、終点「永平寺」(一休前)下車、門前まで徒歩。
      • 86・87系統は芦原温泉駅から丸岡城・丸岡バスターミナルを経て直通している。
      • 門前再構築事業(後述)により2016年(平成28年)6月1日のダイヤ改正で到着便の「永平寺門前」バス停留所への乗り入れが廃止され、「永平寺」(一休前)が終点となった。なお路線バスの始発はダイヤ改正前より「永平寺」(旧・永平寺駅、一休向かい側)であり、変更はない。
    • 福井駅東口(1番のりば)から京福バス「永平寺ライナー」(高速バス)乗車、終点「永平寺」(一休前)下車、門前まで徒歩。
      • 「一休」または「井の上」にて片道乗車券を発売している。永平寺・丸岡城・東尋坊2日フリーきっぷなどのフリー乗車券は発売していない(バス車内含む)。なお2021年(令和3年)3月20日よりバス車内でVisaの非接触型決済「Visaタッチ」が利用可能である。
    • 福井駅東口(2番のりば)から福井交通「朝倉・永平寺ダイレクトバス」(2023年4月29日から2024年3月31日までの季節運行)乗車、終点「永平寺」(一休前)下車、門前まで徒歩。
      • 途中、道の駅一乗谷あさくら水の駅・福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館・一乗谷朝倉氏遺跡に立ち寄り乗降可。
    • 片山津温泉・加賀温泉駅・山代温泉・山中温泉から「永平寺おでかけ号」(予約優先)乗車、終点「永平寺井の上」下車、門前まで徒歩。
      • 加賀市観光交流機構(KAGA旅・まちネット)が企画し、京福バス(2022年3月31日までは京福リムジンバス丸岡営業所担当)が受託運行している。
      • 「井の上」にて片道乗車券を発売している。
    • 京福電気鉄道永平寺線は京福電気鉄道越前本線列車衝突事故の影響による運休のまま再開されず、2002年(平成14年)10月21日に廃止されている。
  • 道路
    • 最寄りの高速道路は中部縦貫自動車道(永平寺大野道路)。最寄りのインターチェンジ(IC)は、福井北JCT・IC方面からは永平寺参道IC、大野IC方面からは永平寺IC。諏訪間交差点から国道364号にて約5km。
      • 中部縦貫自動車道(永平寺大野道路)は福井北JCTで北陸自動車道に直結。
      • 福井市北東部方面から国道416号等を経由して向かう場合、福井北ICが北陸道方面のみの出入口となるため、中部縦貫自動車道(永平寺大野道路)を利用する際は隣の松岡ICを利用することになる。
    • 福井市南東部方面から向かう場合は、国道158号(バイパスを通らないルート)、国道364号(かつて福井県道路公社が管理していた永平寺有料道路)を通るルートもある。このルート上には北陸自動車道福井ICがある。
    • 江戸時代は福井城下から途中の上中地区の追分まで勝山街道を通って、追分からは越坂峠を越えて永平寺に向かう道が一般的な参道であった。この道沿いには今も多くの道標や石仏が数多く残されている。また福井県道165号京善原目線や中部縦貫自動車道(永平寺大野道路)は古来の参道の追分から永平寺町京善までの区間にほぼ沿っている。
  • 町営駐車場
    • 有料の町営駐車場が3箇所ある。第1駐車場と第2駐車場は門前からあまり離れていないが、第3駐車場は国道364号から永平寺川を橋で渡った先にあり、未舗装である。
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門前再構築事業と宿泊施設

永平寺は「準聖域」と位置付ける門前の再構築を福井県や永平寺町と進めている。運営を藤田観光に委託する宿泊施設「永平寺 親禅の宿 柏樹関」(はくじゅかん)が2019年に開業した。

参考文献

  • 井上靖、佐和隆研監修、奈良本辰也、峯岸応哉著『古寺巡礼 東国5 永平寺』淡交社、1982年
  • 大本山永平寺編集・発刊『道元禅師と永平寺の宝物展』1994年3月2日
  • 石川県立美術館ほか『週刊朝日百科 日本の国宝』84号 朝日新聞社、1998年
  • 『道元禅師と永平寺』CD版(日本音声保存)、2001年5月
  • 福井県立美術館編集・発行『永平寺所蔵絵画調査報告書』2004年3月
辞典類
  • 『日本歴史地名大系 福井県の地名』平凡社
  • 『角川日本地名大辞典 福井県』角川書店
  • 『国史大辞典』吉川弘文館
  • 『新永平寺事典』四季社、2002年、ISBN 4884051386

関連項目

  • ふげん、もんじゅ:菩薩の名前に由来する新型転換炉「ふげん」、高速増殖炉「もんじゅ」の命名に永平寺が関わった。一方、これはまったくの誤情報であるとの見解も出ており、永平寺機関誌『傘松』第630号(1996年3月)ではこの命名伝説を訂正している。「もんじゅ」の命名は、他の新型動力炉「常陽」「ふげん」とともに動力炉・核燃料開発事業団副理事長の清成迪が発案したものであるが、その発案に当たっては、当時の仏教学会や国文学会の首脳とも相談したということが当時の広報室長の証言で判明している。仏教学会では宮本正尊、国文学では土岐善麿の名前が挙げられている。
  • 京福電気鉄道永平寺線:当寺の門前町の入口まで乗り入れていたが、2001年の京福電気鉄道越前本線列車衝突事故の影響により廃線。
  • 福井県の観光地
  • 蒟蒻問答:登場人物の旅僧の出身が越前永平寺の托善という名前。
  • 長谷寺(ちょうこくじ):永平寺の東京別院。
  • 福井テレビ(フジテレビ系列、本社所在地・福井市):長年にわたり、同局の局名告知の映像に使用している。

脚注

外部リンク

  • 【公式サイト】大本山永平寺ホームページ(日本語)(英語)(中国語):永平寺の公式サイト。2017年末に公式ホームページを開設。2018年6月には英語版も併設した。
  • 曹洞宗・曹洞禅ネット
  • 永平寺町役場ウェブサイト
  • 禅たび(永平寺町 公式観光サイト)(日本語)(英語) - 曹洞宗大本山永平寺や永平寺町の観光について紹介。
  • 禅の里永平寺へようこそ:「禅の里」まちづくり実行委員会(永平寺と門前町による地域振興活動を行う協議体)
  • 有道会:永平寺派の有志サイト
  • 大本山永平寺(日本語)(英語)(中国語):公益社団法人 福井県観光連盟

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 永平寺 by Wikipedia (Historical)



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