『ゴジラvsメカゴジラ』(ゴジラたいメカゴジラ)は、1993年(平成5年)12月11日に公開された日本映画で、ゴジラシリーズの第20作である。カラー、ビスタビジョン、ドルビーステレオ。観客動員数は380万人。配給収入は18億7,000万円。略称は『VSメカゴジラ』『vsMG』。
キャッチコピーは「この戦いで、すべてが終わる。」「世紀末覇王誕生 誰もがこの戦いを待っていた。」。
翌1994年がシリーズ第1作の『ゴジラ』(1954年)公開から40年目に当たることから、「ゴジラ生誕40周年記念作品」と銘打たれた。
本作品より対ゴジラ組織Gフォースが登場。メカゴジラを始めとする超兵器群は人類が開発した対ゴジラ兵器として描かれている。特技監督の川北紘一は、Gフォースの設定により昭和期の東宝特撮のような超兵器を登場させられるようになったと述べている。冒頭では、『ゴジラvsキングギドラ』(1992年)でゴジラに敗れたメカキングギドラの残骸を登場させており、物語の連続性を強調している。
一方で、人類とゴジラの戦いを描きつつも、ゴジラを悪役としては扱っておらず、自然の象徴のような捉え方がなされているのも特徴である。本作品でのゴジラは、平成シリーズで初めて仲間を守るために傷つくなど明確な感情表現が描写されており、唯一の同族であるベビーゴジラとの関係性を通じて、悪役という設定でありながら、最終的に観客が感情移入できる存在となっている。
1992年、留まることのないゴジラ被害に対応すべく、国連は国連G対策センター(U.N.G.C.C: United Nations Godziila Countermeasure Center)、および対ゴジラ部隊Gフォース(G-FORCE)を筑波に設置した。G対策センターは海底からメカキングギドラを引き揚げ、23世紀のテクノロジーを分析し、そこから得られた技術と過去の対ゴジラ兵器の技術を元に究極の対ゴジラ用戦闘マシンメカゴジラが完成した。
折しもベーリング海のアドノア島で翼竜の化石が見つかり、国立生命科学研究所の古生物学者である大前裕史を中心とした調査隊が出向する。そこには翼竜の巣があり、孵化した後の卵の殻と孵化していない卵があった。調査団は孵化していない卵をヘリコプターの中に持ち込み分析していたが、もう一方の卵から孵化し、核廃棄物の影響で巨大化した翼竜・ラドンが姿を現す。逃げ惑う調査員たちに追い討ちをかけるかのごとく今度は海からゴジラが姿を現し、ラドンと戦い始める。調査員たちは卵とともに辛くも島を脱出、持ち帰った卵を京都の国立生命科学研究所に持ち込んだ。
無類の翼竜マニアのGフォース隊員・青木一馬は国立生命科学研究所を訪ねるが、そこで卵を観察していた研究員・五条梓に部外者ということで拒否されてしまう。だが、その際に悪戯心から研究室から持ち帰った卵に付着していた古代植物のサンプルから、三枝未希が微弱で奇妙な波動を感じとる。精神開発センターで調査した結果、植物から音楽のようなテレパシー波が発信されていることが判明する。さらに、子供たちが感じたメロディをコンピューターで再現された音が国立生命科学研究所で再生されると同時に、卵が突如孵化を始める。卵からは翼竜ではなく、ゴジラザウルスの幼獣であるベビーゴジラが誕生。この卵はゴジラザウルスのものであり、翼竜の巣に托卵されていたのである。
その直後、同族であるベビーゴジラを探すために、ゴジラが四日市市のコンビナート地帯に上陸する。Gフォースの上層部はメカゴジラの出撃命令を下し、鈴鹿山中で両者は激突。メカゴジラの猛攻によりゴジラは圧倒されあと一歩のところまで追い詰められるが、打ち込まれたショックアンカーから体内放射のエネルギーを逆流された影響でメカゴジラの機関室に火災が発生し操縦不能に陥ったことで形勢が逆転する。大津付近で迎え撃ったGフォースの航空部隊と地上部隊を放射熱線でその防衛線を破ったゴジラは、大文字山方向からベビーのいる京都に進撃し国立生命科学研究所を襲うが、未希の発案で地下の細胞保存室に移されていたベビーゴジラを感知することはできず、諦めて大阪湾へ去った。
ベビーを研究したGフォースの兵藤は、ゴジラの腰部に第二の脳を発見し、この部分を破壊することでゴジラを倒す「Gクラッシャー計画」を立案する。
ゴジラがベビーを求めていることを察したGフォースは、梓たちの反対を押し切り、ベビーを
メカゴジラはガルーダと合体してスーパーメカゴジラとなり、Gクラッシャーによってゴジラの第二の脳を破壊する。ゴジラは力尽きるが、ファイヤーラドンが生命エネルギーを注ぎ込んだことで第二の脳が再生し、再び立ち上がる。スーパーメカゴジラを破壊したゴジラは、ベビーとともに海へと去っていく。
このほか、冒頭にメカキングギドラの中央の首の残骸が登場。
※ここでは『東宝SF特撮映画シリーズVOL.8 ゴジラVSメカゴジラ』で「主な登場人物」として掲載されている人物のみを挙げる。
当初、シリーズ第20作は前作『ゴジラvsモスラ』から2年のブランクを置く形で1994年の製作が予定されていたが、『vsモスラ』の東京国際映画祭をはじめとしたプレビューショーにおける好評判を受け、すでに1993年末公開予定で企画が先行していた『ヤマトタケル』の製作ペンディングと本作品の製作繰り上げが決定された。さらにハリウッド版ゴジラの制作決定を受け、本作品で平成ゴジラシリーズを一旦終了させる予定だったが、ハリウッド版の制作遅延により、
登場怪獣について富山は、シリーズが打ち止めとなる予定であったため人気怪獣をすべて出したと述べている。メカゴジラとラドンは、アンケートでキングギドラやモスラに次ぐ人気を得ていた。製作の田中友幸によると当初、ゴジラの対戦相手はキングコングが候補にあがったが、版権などの問題から不採用となった。代わりにメカニコングを登場させる案もあった。
前作でも監督を務めた大河原孝夫は、前作の記録的ヒットを受けて本作品でも続投となった。脚本を担当した三村渉は、前作でもシノプシス制作で参加しており、採用には至らなかったが田中の好感触を得て、『ヤマトタケル』の検討用脚本の作業を中断し、本作品の執筆を手掛けた。本作品での「卵を育てる女科学者」などの要素は、三村による前作のプロットから引き継いだものである。
本作品では、人間と怪獣との種の存続を賭けた戦いをテーマとしている。三村は「怪獣とは何か」ということを考え、異形の痛みを訴えることを意図していた。また、ゴジラとメカゴジラの戦いだけでは男性的な世界観となるため、女性受けする要素としてベビーゴジラを創作したと述べている。
脚本の検討稿では、白亜紀にゴジラザウルスがプテラノドンに托卵する描写が存在したが、予算の都合から不採用となった。準備稿まではアドノア島でラドンとメカゴジラが戦うというシチュエーションもあり、ゴジラの登場は中盤ごろであったが、川北からの提案によりアドノア島でゴジラとラドンが戦うという展開に改められた。
ゴジラが京都を襲撃するシーンは海外輸出を考慮したもので、外国人にもわかる観光名所を映すことを意図している。京都でのゴジラのシーンは、熱線で破壊される京都タワーを除き、実景との合成で処理されている。清水寺の避難シーンは当初エキストラを手配していたが、道路事情で当日の一般開放前の時間に間に合わず、やむなくその場にいた修学旅行生など実際の観光客に事情を説明し、協力してもらい撮影した。川北は、ハリウッド版の制作も意識して、ラストシーンでゴジラをサンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジの下から出現させるという描写も検討していた。
クライマックスの舞台である幕張は、東京湾のベイエリアで唯一怪獣に襲撃されていないことから選ばれた。当時は認知度が低い地域であったため、前作での横浜のシーンと同じく空撮による描写から始めることで全体をわかりやすく紹介している。空撮はデイシーンにする必要があったため、その前後のシーンは脚本から大幅に組み替えられている。ラドンが東京ディズニーランドを破壊するという案も存在したが、上空を通過するにとどまった。
主演の髙嶋政宏や佐野量子、原田大二郎、中尾彬らは、監督の大河原からの推薦による。大河原は、前年に開催された東宝のパーティで高嶋からゴジラへの出演を要望されていた。大河原は、髙嶋の起用について富山が『ヤマトタケル』を見越していたものと推測している。
当時の髙嶋はシリアスな役どころが多く、テレビドラマ『HOTEL』でコミカルな役柄で人気を博していた弟・高嶋政伸を彷彿とさせる青木役を危惧する声もあったが、富山は本人にとっても芸の幅が広がったのではないかと評している。助監督の手塚昌明によれば、高嶋は他の俳優の撮影時でもカメラ近くから演技を見ていたという。メカゴジラのシミュレーション訓練のシーンでは、高嶋は扁桃腺炎を発症した状態で撮影を行っており、翌日は高熱によりロケを中止している。
精神開発センター所長の細野役として、政宏の父であり昭和東宝特撮の常連でもあった高島忠夫が出演している。忠夫がゴジラシリーズへ出演するのは『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)以来26年ぶりであった。劇場パンフレットでは忠夫・政宏親子が本作品で初共演と紹介され、このことについての両者のコメントも載せているが、実際には『悲しい色やねん』(1988年)で既に共演している。大河原によれば、忠夫が前作『ゴジラvsモスラ』を観て面白いと言っていたことを政宏から聞き、話題性も加味して出演を依頼したという。政宏は、当初は親子共演であることを意識していなかったが、スタッフから冷やかされやりづらかったと述べている。忠夫が本作品を劇場で鑑賞した政宏から聞いたところによれば、観客は親子共演したことよりも過去のゴジラシリーズに出演していた忠夫が登場したことに盛り上がっていたという。また、助監督の手塚は、忠夫が自身の撮影時以外でもスタジオを訪れていたことを証言している。
Gフォースが国連組織という設定から、外国人俳優が多く起用されているのも特徴である。レオ・メンゲッティやシェリー・スゥエニーら外国人俳優には、英語台本が用意され、英語でのセリフも多く取り入れている。
幕張でのエキストラ撮影には、日本旅行とのタイアップによりゴジラツアーの参加者800人が動員された。ツアーには特撮現場の見学プランもあり、それに合わせて特撮の撮影スケジュールが調整された。
ベビーゴジラの撮影は、ゴジラと絡むシーンを除き本編班が担当した。大河原はベビーも特撮班が撮るものと思っていたが、芝居が絡むので本編でやった方がいいと川北から告げられたという。その後、大河原は『ヤマトタケル』や『ゴジラvsデストロイア』(1995年)でも怪獣の登場する本編特撮を演出している。
本編は、1993年5月24日に京都ロケからクランクインした。
ブルーバック撮影は、東宝スタジオ第8ステージで行われた。ベビーゴジラのみ、体色がブルー系のためグリーンバックでの撮影となった。
コンテナの輸送シーンは、6月17日に多摩センターで早朝に行われた。地上に降りたコンテナは、7月28日に千葉マリンスタジアム近くの空き地で撮影された。そのほかのコンテナのシーンは、セットで撮影が行われた。
アドノア島でのヘリ発着シーンは、川越のエースヘリコプター発着場で撮影しており、コンクリートを黒幕で隠し地面の色に合わせている。
尺の都合から、Gフォースの訓練や部隊内での恋愛模様などのシーンが編集段階でカットされている。大河原は、映画『七人の侍』のようにメカゴジラのスタッフを集める展開を構想していた。
通常の撮影照明は1個10キログラムくらいで、どんなに大きくても50キログラムだが、復活したゴジラの吐く熱線を受けるシーンでは、アークと呼ばれる100キログラムもの照明を使ってスパークを表現している。佐々木役の原田大二郎は大河原から「目を最後まで開けてください」と言われたため、目を最後まで開けていた。だが、翌朝に起きようと思っても目が見えず、キャサリン役のシェリー・スゥエニーも青い瞳であり、黒目の原田たちよりもダメージが大きかったことから、シェリーの回復を待つために1週間ほど撮影が中断されたという。後方の座席であった未希役の小高恵美と今井役の武野功雄は前列の3人よりも比較的症状が軽かったため、後部からのカットから撮影が行われ、その際の前列3名は代役による吹き替えとなった。
特撮監督の川北紘一は「ミニチュアでの実写はCGにはない味がある」「恐竜映画ではなく、最高の怪獣映画を目指す」と発言するなど、同年に公開された『ジュラシック・パーク』との差別化を意識していた。CGはメカゴジラの描写に一部使用しているが、川北は生物感の必要がないキャラクターのためCGの質感が合っていたと述べている。
特撮美術は、前作の撮影中盤より体調不良となった大澤哲三に代わり、美術助手の高橋勲が現場を指揮した。特撮助監督の神谷誠は、本作品の製作が決定する前に特撮テレビドラマ『電光超人グリッドマン』へ参加していたため、本作品には途中参加となり、クレジットも表記されていない。操演助手の白石雅彦は、工事記録映画の監督を務めていたため当初は本作品に参加していなかったが、操演チーフの小川誠がテレビでの仕事のため離脱し、応援として呼ばれた。
特撮班は、1993年4月20日にクランクインし、まず仙台、四日市、京都のロケーション撮影が4月27日まで行われた。
東宝スタジオでの撮影は5月に入ってから開始し、8日から20日にかけて第9ステージにてアドノア島の撮影が行われた。アドノア島のセットは、高低差を強調した構造となっている。
5月21日・22日には、大プールでゴジラが上陸する四日市コンビナートの撮影が行われた。このシーンは『モスラ対ゴジラ』のゴジラ上陸シーンをオマージュしている。同24日には、オープンセットでの四日市コンビナート破壊シーンも撮影された。川北は、一度このシーンを欠番にすることも考えていたが、脚本の三村の出身地であったことや、映画全体で火を用いるシーンが少なかったことなどから盛り込まれた。
5月25日から6月9日にかけては、第2ステージで鈴鹿でのゴジラとメカゴジラの対決シーンが撮影された。大平原での戦闘は、川北がスクリーンでのスケール感を見せるため入れたものである。神谷によれば、脚本ではメカゴジラのショックアンカーは関東全域の電力を集中させてゴジラを倒すという展開で撮影も予定されていたが、当日になり川北が時間の都合から全面カットを指示し撮影は行われなかった。大津での戦闘シーンのセットは、先行して撮影された鈴鹿のセットを流用している。
6月11日・12日には、大プールでゴジラとラドンの戦闘シーンを撮影している。ラドンの操演にはアームが20メートル以上ある工事用クレーンが用いられた。
6月15日から19日には、第5ステージでメカゴジラメインドックの撮影が行われた。タイトルバックでの全身カットは、カメラマンがフォークリフトの爪に乗って撮影している。フォークリフトのエンジンをかけた状態では振動が起こるため、試行錯誤のすえエンジンを切った状態で爪を下降させるという手段がとられた。冒頭やメンテナンスでのメカゴジラに放電がされているが、これは合成ではなく、実際にメンテナンスアームのセットとメカゴジラのスーツ双方に電極を付け、高圧電流を流した本物の放電である。上昇するシーンでは、セットを普通に組むとスタジオの天井が足りないため、セットを横倒しにして組み、カメラも横にして撮影している。
6月21日には、オープンセットで京都タワーの破壊シーンを撮影。天候不順により、ゴジラがタワーから去っていくシーンは撮影されなかった。そのほかの京都のシーンは、実景への合成が主となっている。
6月24日・25日には、第5ステージでガルーダドックの撮影が行われた。セットはメカゴジラメインドックを組み替えている。発進シーンは未使用カットが多数存在する。
6月28日から7月23日には、第9ステージで幕張ベイエリアのシーンが撮影された。このセットは、VSシリーズ最大規模とうたわれ、約1,000平方メートルのミニチュアセットが造られた。建物の破壊シーンに特に力を入れて演出しており、火薬の使用量はシリーズ最高となった。1993年当時の幕張は開発途中で空き地が多く、川北は「建物が多くないので被害が少なく、海も近くなにかと都合がよかった」「思う存分バトルシーンの演出が出来た」と述べている。一方で、セットが広すぎたため壊しきれなかったとも述懐している。千葉マリンスタジアムのミニチュアは、片側を石膏で作り壊れやすいようにしていたが、撮影時に壊す位置が変更となり、現像時にフィルムを反転させている。当初、クライマックスにはパイロットを乗せた脱出艇の描写があり、造形物も用意されていたが未使用となった。
7月24日から30日には、第2ステージで各飛行シーンやゴジラとベビーゴジラの掛け合いのシーンなどが撮影された。
7月27日には、オープンセットでメカゴジラの発進シーンが撮影された。本来は幕張セットより前に撮影を終えている予定であったが、雨のため撮影できず、クライマックスでの炎上シーンの後にスーツを修復して撮影することとなった。
7月30日には、大プールでゴジラとベビーゴジラが海へ帰るシーンを撮影。絵コンテでは、ラストシーンはゴジラを見送る画となっていたが、川北はゴジラシリーズがこれで終わりではないということを示すために、ゴジラが向かってくる描写とした。翌31日に特撮班はクランクアップした。
音楽は『vsキングギドラ』『vsモスラ』に続き、伊福部昭が担当。伊福部は、体調不良を理由に一旦辞退し1ヶ月ほど本作品から離れていたが、どうしてもやることになったといい助手を2人立てての制作作業となった。
本作品では、怪獣や人物ごとに7つの主題が設けられた。ゴジラの主題には、従来の「ゴジラのテーマ」に加え、第1作『ゴジラ』で本来ゴジラの主題として作曲された「ゴジラの猛威(ゴジラの恐怖)」が用いられた。これはふ、ファンからの要望に伊福部が応えたものとされる。ラドンの主題は、『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)のものをベースとしつつ、新たに別の主題も組み合わせている。メカゴジラは、旧作と異なり人間が乗り込んでいることからメカニックな音楽とはせず、人間味のある旋律としている。また、旧作でのメカゴジラの主題は調性がなかったが、本作品では明確な調性楽曲となった。
伊福部は、脚本を読んで古代植物の音楽の描写に面食らったといい、しかも子供がそれを歌うということでさらに度肝を抜かれたという。この「エスパーコーラス」は、ベーリング海の島という設定から北方民族をイメージし、歌詞にはアイヌ語を用いている。撮影では、先行して制作されたガイドを用い、その後に収録した合唱団の歌と差し替えている。
ベビーゴジラの主題は、卵から出てくるまでは怪しげな音楽とし、姿が見えてからはだんだんと旋律を柔らかくしている。『ゴジラvsデストロイア』(1995年)では、ベビーゴジラが成長したゴジラジュニアの主題としてベビーの主題と同じモチーフを用いている。
Gフォースマーチは、元々前作で未使用となった楽曲を修正したものである。構成は『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966年)での「L作戦マーチ」と似たものとなっているが、同曲がカノン調であったのに対し、本曲は直線的な楽想となっている。メカゴジラの出撃シーンでは、大河原は音楽で盛り上げることを考えていたが、伊福部は攻撃準備に音楽はいらないと主張し、音楽プロデューサーの岩瀬政雄が出撃シーンも攻撃と解釈するよう説得し納得させるに至った。
エンディングは、劇中のセリフに基づき生命の賛歌というイメージとなっている。
ベビーゴジラを輸送するコンテナがヘリコプターで飛び立つシーンやドックでメカゴジラとガルーダを改修するシーンなどにも専用の楽曲が作られていたが、演出意図により未使用となった。
川北は、平成VSシリーズでの伊福部の楽曲で印象に残っているものとして本作品のメカゴジラのテーマとGフォースマーチを挙げている。
本作は日本映画としては初めて実験的にドルビーデジタル5.1chサラウンドフォーマットが使用され、封切時には有楽町の日劇東宝、大阪の梅田東宝劇場において、5.1ch仕様のフィルムが上映された。後のビデオソフトなどでは全国上映用のドルビーステレオ仕様の音声がデフォルトとなっているが、BGM、効果音などが部分的に異なっている。本作品ではデジタル化作業はアメリカで行われており、東宝特撮作品における日本国内での作業による本格導入は『モスラ3 キングギドラ来襲』(1998年)からであった。
前作に引き続き大々的なタイアップが展開されたほか、ゴジラ生誕40周年にあわせ記念イベントが多数開催された。テレビやイベントなどでのゴジラは主に破李拳竜が演じた。
池袋サンシャインシティ文化館では、展示イベント「大ゴジラ博」が開催された。
1993年11月には、日本旅行とのタイアップにより「ミステリー列車・ゴジラ40周年記念号」が開催された。到着地点は日光江戸村で、同所にてゴジラ博士認定試験が行われた。
バラエティ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』では、ゴジラとメカゴジラが登場するコーナーが設けられた。
本作品は、制作当初から配給収入20億円を超えた前作は下回るものと想定されていたが、それでも20億円に迫る18億7,000万円を記録し、1994年度の邦画興行第2位となった。
講談社ボンボンKCにて刊行、ストーリー構成:安井尚志、作画:川石てつや
小学館てんとう虫コミックススペシャルから刊行、作画:坂井孝行
講談社版では五条梓が未登場で三枝美希がヒロインを務めており、小学館版ではメカゴジラ、ガルーダのデザインや設定が映画と違う、三枝美希が登場せず、『ゴジラvsビオランテ』の登場人物である黒木特佐が活躍するなど、それぞれ独自のストーリーが描かれている。
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