森久保 祥太郎(もりくぼ しょうたろう、1974年2月25日 - )は、日本の声優、俳優、歌手、ナレーター。東京都八王子市出身。アドナインス代表取締役。
代表作に『メジャー』(茂野吾郎)、『NARUTO -ナルト- 疾風伝』(奈良シカマル)、『弱虫ペダル』(巻島裕介)などがある。
小学2年生の時に隣に住んでいた英語演劇の教員から「近くに住んでいるお兄さんお姉さんも来るから遊びにおいで」と誘われて、習い事感覚で英語演劇を始める。その習い事は演劇を通して英語に慣れ親しむことが目的だったが、英語よりも芝居の楽しさに目覚めてしまい、それ以来、芝居を続けていたという。
父の出身地の福島県にいた父方の家族が楽器を演奏しており、祖父は太鼓、祖母は琴、父もギターやトランペットを演奏していた。そんな父方の家族を見て育ったため、「子どもの頃から人前でなにかするっていいなあ」と思い、中学時代からバンドを始める。中学時代は軟式テニス部の部長を務めた。
高校3年生になる頃に、「将来何になろう」と考えていた時に漠然と「芝居か音楽がいいな」と二択で悩んでいた時期があったという。高校時代に音楽をしていた大学生の先輩とも付き合いがあり、身近な先輩がバンドでメジャーデビューをしていた。先輩たちが音楽を仕事にしていたことを見て「大変そうだな」、「音楽は好きだけど仕事にするとやりたくないこともやんなきゃいけないのかな」と思っていたという。自己分析をして、森久保の強み、弱みをあらゆる角度から分析した上で、音楽よりもお芝居のほうが評価を得てきたこと、のめり込んでしていた森久保自身に気付き、「だったら音楽は一生遊びでやっていけばいいや。じいさんになっても、友達集めて楽しくやれればいいや」、「音楽は好きだけど自信はないから、趣味として一生やっていこう」と考えるに至っていたという。
しかし役者で食べていける自信があったわけでもなかったという。それまでの人生で何が一番楽しかったか、辛い事があっても何を一番頑張ったかをしっかり分析し、「そこから役者をやろう、25歳まで全力で目指して、それでダメなら別の道に行こう」と役者の道に進む覚悟が決り、大学に通いながら役者を志す。その頃に影響を受けた役者は西村雅彦。
1992年、日本大学第三高等学校卒業、多摩美術大学映像制作コース中退。
本格的に声優を始める前はタレント事務所に所属し、小学生のころに在籍していたラボ・パーティの先輩の三島ゆたかと立ち上げた劇団「おにぎりスキッパーズ」の舞台がきっかけで「セリフのデモテープを録らないかって言ってるんだけどやる?」と三島が間を取り持ってもらっていた。その時は「役者で食うぞ!」という気持ちはあり、声優の経験はなかったが、「とりあえずやってみよう」と思い、アニメ用のデモテープを自宅で音楽用の録音機材で録音して「こんな感じですか?」と声優事務所の人物に渡していたところ気に入ってもらい、ラジオCM、TVCMのナレーションに出演。偶々オーディションを受け、『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』のミニ四ファイター役で1996年に声優デビュー。同作は1年で最終話を迎えるはずであったが、予想を超えた人気から長期作品になったため、後に所属することになる声優事務所の社長に「うちで、本格的に声優やらない?」と言われて、役者時代世話になった事務所から声優事務所に移籍。以後、アニメ、ゲーム、ラジオパーソナリティ、音楽活動、舞台など様々な分野で活動している。
シグマ・セブン在籍後、アーツビジョン系列事務所「ヴィムス」に移籍。
1998年、声優の石川英郎と共に「あんず」(森久保が唯一食べられた果物に由来)というユニット名で音楽活動を始める。1999年、バンドメンバーを加えバンド「AN's ALL STARS」を結成。同年8月、別のバンド「Mosquito Milk」を結成。
2001年、カプコン セルピュータレーベルよりソロデビュー。2008年、Lantisより再デビュー。毎年末に開催される「Original Entertainment Paradise“おれパラ”」ではホストの一人としてライブを披露している。2010年、ソロプロジェクトとして「Buzzy→Bee(バジービー)」結成。
2015年1月、bayfm長寿番組『KEIYOGINKO POWER COUNTDOWN JAPAN HOT 30』の2代目DJとして就任。
2016年、第10回声優アワードで富山敬賞を受賞。
2018年8月31日、ヴィムスを退所。同年9月1日、株式会社アドナインスを設立し、その代表取締役として就任している。
2020年、第14回声優アワードでパーソナリティ賞を受賞。
『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』のミニ四ファイター役でのアフレコの際、当時声優として未経験だったためペーパーノイズを起こした。第1話の台本は1ページ目から4ページぶち抜きの長台詞だったため(本編開始直後から40秒ほどミニ四ファイターによるミニ四駆についての解説が続く)、音響監督には「こんなに喋る役だとわかっていたらお前には絶対やらせなかった」と言われた。経験がないため、戸惑うことだらけで「なんでアニメの口パクに合わせなきゃいけないんだ」と思ったりもしていたという。「はじめは口パクに合わせなくていいならもっと良い芝居できるのに」と違和感を持っており、「向いていない世界に来ちゃった」と思っていたという。当時は下手すぎて、冷や汗と恥しかかかない毎日を過ごしており、「アニメはシリーズが終われば終わりだし、こんな下手くそは二度と使われないだろう」と思いながら演じてたが、「同じ演じるのになんでこんなに違うんだろう」ということだけは、「どうしても知りたいな」と思いながら続けていたという。
そんな毎日を1年ぐらい過ごしていたところ、単発のドラマCDの現場で、「この声、すっごい聞いたことある!誰かな?」と思っていたところ、『タイムボカンシリーズ』の『ヤッターマン』で、ボヤッキーを演じていた八奈見乗児だったという。子供の頃から慣れ親しんでいた声だったため、「ああ、ボヤッキーだ!」と思いながら共演していたという。その時の八奈見は、60歳ぐらいだったが、楽しそうにスタジオで演技をしており、その姿を見たときに、「声優っていくつになってもあんな風に楽しそうにできる仕事だ」と気付いたという。その時、「僕は心を入れ替えよう!絶対にこの仕事を絶対モノにしよう!」と決めて、もっと積極的に先輩に聞くようになり、台本のチェックの仕方も全部聞いていたという。レンタルビデオ屋で、少し上の先輩達が主役を演じていたアニメを借りて見たこともいっぱいあり、先輩達の演技を盗み見て、「ああこうやって叫ぶんだ」と勉強していたという。
声優を続けた理由は好奇心が強く「興味があったらできなくてもやる」と言っており、「おもしろそうなことで食べていきたい」という思いはあり、後から努力しているという。基本的に仕事を断わらず、スケジュールが合わない時以外は、どんな仕事も受けるという。森久保にとって何が次のステップになるかわからないことから、「とりあえずやってみよう」と思うという。
声優としての仕事以外にも、ラジオパーソナリティとしてbayfmのDJなど、ラジオの仕事も多くこなしている。
先輩がベイエフエムでDJをしており、偶々がCMナレーションの仕事でベイエフエムに行っていたところ、生放送を終えた先輩が出てきて「この子、バンドやってて音楽にも詳しいんです」とディレクターを紹介してくれたという。後日、ディレクターから電話がかかってきて「DJやってみたい?」と聞かれ、経験はなかったが、「おもしろそうだな」と思い、「やってみたいです」と言ってデモテープを録音して、深夜の生番組を持つことになったという。声優と同じで、当初はラジオも全く興味がなく、元々ラジオ少年でもなく、「DJってカッコイイな、好きな音楽かけてしゃべればいいんだろうな」という感じだったという。軽い気持ちで始めたところ1人で4時間もしゃべらなくてはならなくて大変で、時間の読み方もわからないため、エンディングが余ってたりもしていたという。移動のたびに、各局の色々なDJのラジオを聞いて勉強していたという。色々手を変え品を変えつつして、自分なりに台本を書いたりもしていたという。「それじゃあフリートークじゃない!」とディレクターに言われ、うまくいかず、「もうDJは向いてないからクビになってもいいや」と気持ちもどこかにあったという。ある日、ゲストのことを事前に勉強できなかったが、その日のゲストとの会話が初めてディレクターに「逆にすごく自然で良かった」と褒められたという。少し自信が持ち、DJとしての基本的な心構えも発見でき、少しずつラジオが好きになったという。
タレント事務所に所属していたころは『タモリのボキャブラ天国』や『驚きももの木20世紀』の再現映像、Vシネマ、自動車教習所のビデオなどに出演していた。古巣の劇団である「おにぎりスキッパーズ」は一度は解散したが、「おにぎりスキッパーズ2」として再結成し、現在の公演ペースは年2回程度。
歌手活動においては、ほとんどの曲の作詞作曲を手掛けている。趣味はバイクツーリング、楽器演奏(ドラム・ギター)、料理など。駆け出しのころはガソリンスタンド(出光興産)で6年ほどアルバイトをしており、そこで発声の基礎を固めた。それ以外にもコンビニ、床剥ぎする解体のアルバイトもしていた。あとはプロパンガス屋でも働いていたという。
妹がいる。
新人の頃は若い人物が現場におらず、周囲は先輩ばかりだったが、誰も「下手くそ」とは言わず、「お前も飲み来い!」と誘ってくれたという。特にお世話になって印象的であった先輩に、渕崎ゆり子と三木眞一郎の二人を挙げており、様々なことを教わったという。また、三木とはよく一緒にお酒を飲む仲であり、親交が深い。
渕崎は当時は同じ事務所で森久保のデビュー作の『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』の主人公の一人を演じていた。その頃、初めに所属していた事務所は数年間新人をとっていなかったため、渕崎にとって初めてできた後輩で、凄く可愛がってもらったという。挨拶の仕方、飲み会のマナーなど全てを教わり、色々な人物を紹介してくれたり、飲みに連れて行ってもらった帰りには「ちゃんと帰れる?」と聞いてくれたり、ギャラをもらったところ「ちゃんと帳簿に付けなさい」と言ってくれたり、面倒を見てくれていたという。ある日、渕崎と久しぶりに仕事を一緒にして、お昼ご飯を食べに行っていた時に「先輩、今までたくさんご馳走になったんで、今日くらいご馳走させてください」と言っていたところ「あなたが先輩になったら、後輩にご馳走してあげなさい」と断られたという。
三木からは芝居のアドバイスを多数教えてもらった。家の方向も全然違うが、最後の店まで三木にくっついて行って飲んでいたという。
先輩から色々お世話になっていた分は「全部後輩に渡そう」と思っていたという。かつて所属していたヴィムスは、最初は所属声優が森久保しかいなかったが、2017年から7年くらい前から新人の声優が所属するようになり、後輩ができたという。その後輩たちには2017年時点ではきっちり教えており、それが先輩への恩返しだと思っているという。
24 - 5歳ぐらいで『魔術士オーフェン』で主役を演じていた時に、大先輩の玉川砂記子が途中で合流し、共演することになった。その頃は3つくらい主役がポンポンと決まっていた時期であり、収録もスムーズにいき、NGも出さず、「成長した自分を見せられたかなぁ」と思っていたという。しかし「あのさ芝居つまんないね」とダメ出しをされ、「えっ?」と思い、聞き直していたところ、「NG出さないように芝居してない?NGが出ないのは、いいことじゃないんだよ。」「みんなを主役として引っ張っていかなきゃいけないんだから、今からそんな芝居してちゃダメ。」「もっと尖った芝居をすれば、ディレクターがもうちょい右、もうちょい左って演出してくれるんだから。」「今はまあいっか、でOKもらってるだけだよ」と言われたという。そのため芽生えた自信が「ああ、そういうことですか…」と全て崩れ落ちていたという。当時は、アニメのラジオ番組が開始し、雑誌のグラビアに掲載して、「先輩たちがやってきたことを俺もやれるようになった」と思い始めていたため、「いいときにきゅと締めていただけた」と思っていたという。その後は「NGを出さないから良い芝居ができた」とは思うことなく、玉川の言葉を、肝に銘じるようになったという。
伊藤健太郎とはお互い親友と呼び合っている。伊藤が主宰する劇団K-Showの舞台音楽は旗揚げ当時から森久保が担当している。
元乃木坂46のメンバー衛藤美彩を気に入っており、2016年2月12日放送の『金つぶ』ではパーソナリティーの小島嵩弘がインフルエンザを発症したため、前番組の『The BAY☆LINE』に続いて衛藤と共演を果たした。
太字はメインキャラクター。
※はインターネット配信。
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Mosquito Milk
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