『寺内貫太郎一家』(てらうちかんたろういっか)は、1974年にTBS系列の水曜劇場枠で放送され、平均視聴率31.3%を記録したテレビドラマ。昭和の東京下町、石屋を営む一家とそれを取り巻く人々との人情味溢れる毎日を、コメディータッチで描いた。向田邦子脚本、久世光彦プロデュース、小林亜星主演。1974年第7回テレビ大賞受賞作品。
東京の下町、台東区谷中 で三代続く手彫りが売りの「寺内石材店(通称「石貫」)」を舞台に、納得できないことがあると家族に限らず街の学生や来客などに手を上げたりと短気で喧嘩っ早いが、温かくて懐が深く面倒見もいいため憎まれずに慕われる昔ながらの下町の頑固親父「寺内貫太郎(小林亜星)」を中心とした家族やご近所さんとの触れ合いを描いたホームドラマ。しかし「死」や「孤独」、「老い」、もう一歩踏み込んだ「闇」の部分も描かれており、単なる人情喜劇の一言では片付かない作品。
全般的に時折アドリブも展開しつつ、何故か寺内家の本日の献立がテロップで出たり「キタネエなあ!バアちゃん!」のようなきん(悠木千帆)と周平(西城秀樹)のお決まりの掛け合いも楽しい食卓や、貫太郎と周平らとの大喧嘩(西城はこのシーンで実際に腕を骨折して入院)や、きんが沢田研二のポスター を見て身悶えながら「ジュ~リィ~!」と叫ぶシーンなどが話題になった。また、タメ(左とん平)と岩(伴淳三郎)の喜劇役者同士の作業場での掛け合いも妙味。
2の第10話の食卓シーンでは中央上部にガンマイクがはっきりと映りこんだり、第24話では酔った節子(風吹ジュン)の下着も映ってしまったもののNGにせず、そのままOAされている。
平成になってからも、主な出演者が『東京電話』(東京通信ネットワーク)のCMに起用されたり、舞台でも公演され、新たにTVドラマスペシャルも3本作られるなど、その人気の根強さがうかがえた。また、寺内貫太郎の役柄そのままに、小林亜星が全優石のCMに起用された。
新・寺内貫太郎一家は10年前に他界した脚本の向田邦子に捧ぐと冒頭でテロップが出る。 2から16年経ち(家族構成もやや変更しながらも)きんは他界し、貫太郎の子どもたちにはそれぞれの悩みが。 しかし最大の違いは貫太郎がめっきり大人しくなったこと。年を取ったのかと思うとそれだけではなかった。
2000ではきんが復活し、序盤の貫太郎と周平の親子げんかに2の第1話の悪夢(上記の西城の骨折)も視聴者には鮮やかに蘇ったが、四半世紀の月日の関係か当時のスピード感は無く怪我には至らず胸を撫で下ろした。その分豪快なちゃぶ台返しを貫太郎が見せた。そして終盤での親子げんかでは今度は周平がちゃぶ台返しをやった。 時代の流れと共に食卓に掲げられている書が「初志貫徹」から「時代錯誤」に、食卓脇の黒電話もデジタルのコードレス子機に変わっている。
BS12トゥエルビで「寺内貫太郎一家」は2018年1月4日~3月14日、 「寺内貫太郎一家2」は2020年10月22日~2021年2月4日、単発スペシャル第1弾の「新・寺内貫太郎一家」は2021年2月11日、第3弾の「寺内貫太郎一家2000」は2021年2月18日に再放送された。城島茂や竹内結子が出演した第2弾の「寺内貫太郎一家98秋」だけは再放送されなかった。
脚本を執筆した向田邦子は当時多かったひらがなの軽いドラマタイトルに反して、「四角ばって漢字の多い(中略)左右対称で末広がりに落ちついた」タイトルを望んでいた。しかし『寺内貫太郎一家』はやくざ一家の物語のようなタイトルである、墓石屋は縁起が悪い、親の過失で身体障害者となった娘という設定はまずい、主役の小林亜星は演技経験がない、など諸方面から反対意見が出ていた。また、向田自身も自分の父親をモデルにした貫太郎役に当時髪を伸ばしていた小林を起用することに大変難色を示した。プロデューサーの久世光彦は、同局の下にある床屋で小林の髪を坊主にして、黒い丸縁めがね、印半纏、裁付袴、毛糸の腹巻、水天宮の守り札を身に着けさせて向田にひき合わせたところ、ようやく向田は納得して起用に承諾した。このときから小林は「タレント作曲家」と呼ばれるようになる。また本人の話では、当時太っている俳優は少なく、最初に若山富三郎、次にザ・ドリフターズの高木ブーに出演依頼したが共に多忙で断られ、その中で小林に白羽の矢が立った。
1975年4月3日、赤坂のスタジオでの番組収録中に貫太郎役の小林亜星が次男役の西城秀樹を突き飛ばすシーンで勢いよく突き飛ばしたところ、秀樹が釘の付いた板に手を突いて大怪我をしてしまい救急車が呼ばれた。この件以降2人は心が通い合って本当の親子喧嘩のようにお互いに演技できるようになったという。
後に亜星がアニメ『∀ガンダム』(フジテレビ)の主題歌『ターンAターン』を担当した際、歌手として秀樹を指名(この時期、ちょうど秀樹がレコード会社との契約が切れていた“空白の時期”であり、起用しやすかったという点もある)し、作曲者と歌手という形ながら、久々にコンビの復活となった。
『新・寺内貫太郎一家』のみ、寺内きんは既に亡くなった設定になっている。1979年、久世の女性問題を樹木がドラマ「ムー一族」の打ち上げパーティーにおけるスピーチで明かしたことから、一大スキャンダルに発展して以降、1996年放送のドラマ「坊ちゃんちゃん」まで距離を置いた状態にあったためである。
関西地区では、第1シリーズのみ朝日放送(ABC)にネットされていたが、東京 - 大阪間の腸捻転解消によるネットチェンジで第2シリーズから毎日放送(MBS)で放送された。
福島県では、第1・第2シリーズは福島テレビ(FTV。当時はJNNとFNSのクロスネットで現在はFNSフルネット局)にネットされていたが、1991年に放送された「新・寺内貫太郎一家」以降のシリーズはテレビユー福島(TUF。1983年にJNN系列局として開局)で放送された。
当時TBS系列局がなかった愛媛県では、第1・第2シリーズは南海放送(RNB。NNS系列局)で系列外ながら同時ネットで放送されていたが、1998年に放送された「寺内貫太郎一家98秋」以降のシリーズはあいテレビ(itv。1992年にJNN系列局として開局)で放送された。
現在もTBS系列局がない秋田県では、第1・第2シリーズ共、秋田テレビ(AKT。当時はFNS・ANNのクロスネットで現在はFNSフルネット局)で、水曜 22:00 - 22:54に時差ネットで放送されていた。
現在もTBS系列局がない福井県では、第1・第2シリーズ共、福井テレビ(FTB。FNSフルネット局)で、水曜 22:00 - 22:54に時差ネットで放送されていた。
現在もTBS系列局がない徳島県では、第1・第2シリーズ共、四国放送(JRT。NNS系列局)で、土曜 22:00 - 22:54に時差ネットで放送されていた。
当時TBS系列局がなかった山形県では、第1・第2シリーズは山形テレビ(YTS。当時はFNS系列局で現在はANNフルネット局)で、水曜 22:00 - 22:54に時差ネットで放送されていたが、1991年に放送された「新・寺内貫太郎一家」以降のシリーズはテレビユー山形(TUY。1989年にJNN系列局として開局)で同時ネットで放送された。
当時TBS系列局がなかった富山県では、第1・第2シリーズは富山テレビ(T34(現・BBT)。FNSフルネット局)で、水曜 22:00 - 22:54に時差ネットで放送されていたが、1991年に放送された「新・寺内貫太郎一家」以降のシリーズはチューリップテレビ(TUT。1990年にJNN系列局として開局)で同時ネットで放送された。
2006年3月2日、このドラマの演出・プロデュースを手掛けた久世光彦が急死した。TBSでは同年3月13日21:00 - 22:54に久世の追悼特別番組として、『久世光彦追悼特別企画・寺内貫太郎一家傑作選』を放送(通常の『月曜ミステリー劇場』の枠)。特番では、『寺内貫太郎一家』(1974年)の第1回と最終回を再放送。スタジオには小林亜星、樹木希林が出演し、在りし日の久世を偲んだ。司会進行は三雲孝江が務めた。
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