クイーン・エリザベス・オリンピック・パーク(英: Queen Elizabeth II Olympic Park)は、イギリスのロンドンにある、2012年ロンドンオリンピックおよび同パラリンピックのために建てられたスポーツ複合施設で、同市の東側ストラトフォード・シティ開発地区に隣接した場所にある。敷地内には選手村のほか、ロンドン・スタジアムやアクアティクス・センターを初めとする競技施設が複数入っている。
イギリス最大のパブリックアート作品であり展望台のアルセロール・ミッタル・オービットからこの公園が一望できる。五輪期間中はオリンピック・パークと呼ばれていたが、五輪閉幕後に現在の名前に改称された。これは2012年に女王エリザベス2世が即位60年となることを記念して付けられたものである(ただしロンドンの公式な王立所有地ではない)。
パークの敷地は4つのイースト・ロンドン自治区、すなわちニューアム区、タワーハムレッツ区、ハックニー区、ウォルサム・フォレスト区にまたがっている。この場所はかつて未開発緑地とブラウンフィールドが混在しており、ハックニー・マーシュズ(という湿地帯)を一部含んでいた。
ロイヤルメールはこの公園とストラトフォード・シティにポストコード"E20"を割り当てており、それはかつて連続テレビドラマ「イーストエンダーズ」における架空の郊外ウォルフォードに付されていた番号である。
2011年8月2日、そこには住宅および快適環境の整った5つの近隣地区ができると発表された。
これらの名前には同地域に関連した歴史がある。ウォルサム・フォレスト区を除いて、4つのイーストロンドン自治区全てがこのような近隣地区でパーク敷地を囲んでいる。
オリンピック・パークは (EDAWとBuro Happoldから成る) EDAWコンソーシアムによって設計され、アラップおよびWSアトキンスと協働している。詳細な景観構築は、ハーグレイブス・アソシエイツとLDAデザインの共同で行われた。同パークの照明はサットン・ベイン・アソシエイツの設計で実施された。
ロンドン・オリンピックおよびパラリンピックの招致活動において、当初はメイン会場に加えて4つの屋内競技場がオリンピック・パーク内にあると提案されていたが、2006年に公表されたマスタープランでは3つに削減された。フェンシング競技場も中止され、同競技はエクセル展覧会センターで開催された。残りの屋内競技施設はバスケットボール・アリーナとカッパー・ボックスであるが、これに加えてウォーター・ポロ・アリーナ、アクアティクス・センター、ヴェロパークがある。最終設計案はオリンピック会場建設委員会 (Olympic Delivery Authority) によって承認された。
ザ・レガシー・リストはクイーン・エリザベス・オリンピック・パークのための独立した慈善団体で、大会の遺産を支援するため2011年に設立された。 アルメイダ劇場の業務執行取締役でイングランド芸術評議会を運営していたサラ・ウィアー(Sarah Weir)が、ザ・レガシー・リストというクイーン・エリザベス・オリンピック・パーク慈善団体を創設した。 2013年秋、サラはワデスドン・マナーの最高経営責任者に就任した。
建設期間中、8万人超の作業者がこのプロジェクトに携わった。オリンピック・パークの建設は、CH2M Hill、Laing O'Rourke、MaceからなるCLMデリバリー・パートナーによって管理されていた。CLMは内部道路網の管理を含め、会場建設区域の間の「空白」スペースを特に管理していた。建設が本格的に始まると、作業を円滑に進めるために、建設予定地周辺に設置されていた最大高さ65mの送電用鉄塔52基が撤去され、その電力はPLUGプロジェクトで建設された新たな地下トンネルを通して供給されるようになった。 また公園敷地に関しては土壌の浄化作業が行われ、イギリス在来種の動植物が移植され、産業化前の植生の再現が試みられた。
加えて、オリンピックおよびパラリンピック大会時は以下の物もあった。
ローワン・ムーアは、クイーン・エリザベス・オリンピック・パークがオープンしたときに、ガーディアン紙に書いて次のようにコメントした。「狂ったように奇抜な、照明器具、競技場の設備、座席、木の種類、花崗岩の彫刻の塊、キオスク、手すりと表面の色合い...誰もが有名になろうとオリンピック・シンドロームに罹っています。賞賛に値するOudolfを除けば、落ち着いたものを誰もやろうとしていないのです」。
ロバート・ホールデンとトム・ターナーは、オリンピック・パークの景観構築のレビューにおいて、基本的に「景観プランのほうが景観デザインよりもはるかに優れている」と指摘。景観プランでは、パーク北部区画にあるリー川の開放、居住環境創造の戦略、同パークと周辺地区との優れた繋がりが考慮されている。景観デザインは広大な歩行者用コンコースばかりで、それは大会期間中こそ混み合うだろうが、それ以外の時は未使用の空港滑走路同然だ、と述べている。
この公園はロンドン五輪閉幕後も様々な用途で使用されていたり、使用する計画がある。
インターナショナル・クォーター・ロンドンは、2012年ロンドン五輪・パラリンピックの開催地ストラトフォードにある新しい商業地区である。そこは複合用途で開発が行われており、総投資額は13億ポンドを超え、レンドリース (建設業)とロンドン・アンド・コンティネンタル・レイルウェイズによって50/50の合弁事業で実施されたものである。
インターナショナル・クォーター・ロンドンには、400万平方フィートの商業オフィス空間、グラスハウス・ガーデンズとして知られる住宅330戸、そして新しいホテルが入っている。同地域へはストラトフォード駅を経由して行くことができる。
2012年ロンドン五輪終了後、同パークにあるスポーツ施設の規模は縮小されたが、遺産の一部は恒久的な施設として残っている。それは地元や地域コミュニティの資源として、また五輪のように世界水準の施設を使う主要な国際スポーツ大会のために継続的に利用されている。
国際大会のための会場使用に加えて、施設の一部は様々なスポーツのアマチュアおよびプロチームによる定期的な利用も考慮している。
2011年2月11日、ウェストハム・ユナイテッドFCはトッテナム・ホットスパーFCに先んじて、大会終了後にオリンピック・スタジアムをサッカー場として引き継ぐ優先交渉者に選ばれた。しかし、5日後にレイトン・オリエントFCの会長バリー・ハーンがウェストハムFCを同スタジアムに移転させる決定に異議を唱えると発表した、というのも彼はウェストハムがブリスベン・ロード・スタジアムから1マイル(1.6km)以内でプレーすることで、オリエントFCのサポーター達やその支援をも失いかねないと考えたのである。ハーンは何年か前からオリエントFCをオリンピック・パークに移動させ、その収容人数を25000席に減らすことに関心を示していた、一方でウェストハムFCは自分達の移転が行われた際には容量を6万人に削減する予定だった。またトッテナム・ホットスパーはこの決定に対する法的措置を追求し、最終的には2011年10月11日に法的圧力のためウェストハムとの契約は破談となった。ただウェストハムはその後のテナント入札に勝ち続け、2016-17年のサッカーシーズン初頭から同スタジアムをメインのテナントとして使用するようになった。
カッパー・ボックスは2012年ロンドン五輪終了後に残る唯一の恒久的な屋内競技場であった。主にハンドボールおよびゴールボール競技会の使用のために建設されたものだが、それはバスケットボールでの利用を含むだろう多目的会場に変えられた。ミルトン・キーンズにあるプレステージ・ホームズ・アリーナの所有者がリースを終了した結果、バスケットボールクラブのロンドン・ライオンズ(London Lions)が2013-14年のBBLシーズンに向けてカッパー・ボックスに移転した。
リー・バレー・ホッケー・センターは旧イートン・マナーの改修から生まれた。この施設は現在ワッピング・ホッケー・クラブ(Wapping Hockey Club)のグラウンドとなっている。同センターには最先端のホッケー競技場が2面あり、リー・バレー・リージョナル・パーク・オーソリティー(LVRPA)によって運営されている。
オリンピック終了後に元のウォームアップコースの解体に続いて、オリンピックスタジアム南側に新しい6レーンの施設が建設された。そこは2017年世界陸上に続いて、ニューアム&エセックス・ビーグルズ体操クラブのためのコミュニティ会場および新拠点として使用されている。
2013年1月、音楽コンサートのプロモーター社ライブ・ネイションがスタジアムとその周辺の公園でショーを上演する権利を獲得した。2013年7月に同パークで音楽イベントが開催されたものの、スタジアムは使用されなかった。リバーバンク・アリーナの以前の場所は、ハード・ロック・コーリング、ワイヤレス・フェスティバル、エレクトリック・デイジー・カーニバルといった音楽祭の開催に使用された。
以来、スタジアムではガンズ・アンド・ローゼズ、AC/DC、ロビー・ウィリアムズなどの様々なコンサートが開催されている。
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