株式会社ダイエー(英: The Daiei, Inc.)は、東京都江東区に本社、兵庫県神戸市中央区に登記上の本店を置く、関東地区と近畿地区で総合スーパー(GMS)およびスーパーマーケット(SM)の「ダイエー」などを運営する日本の企業である。
1973年(昭和48年)から国内小売業界首位の売上を維持していたが、2003年(平成15年)2月期決算で売上高でイオンを下回って2位に転落した。 1995年(平成7年)度の世界の小売業の中で売上高で4位となっていた。
20世紀の日本の流通・小売業界を発展させた代表的な企業としても知られ、ショッピングセンターやゼネラルマーチャンダイズストアを日本で初めて導入する等、ナショナルチェーンの一大企業であった。また、流通・小売業以外の事業分野にも積極的に進出していった。
バブル崩壊後から経営不振になり、21世紀に入ると産業再生機構に支援を仰ぎつつ多角事業の譲渡、本業である小売部門の縮小などのリストラを進め、事業領域をスーパーマーケットに絞り始めた。
イオンによる株式公開買付けを経て、2015年(平成27年)1月1日から、イオンの完全子会社となり、イオングループに入った。
1957年(昭和32年)に兵庫県神戸市で創業。創業者である中内㓛の生まれ育った阪神地区を中心に商圏を築き、1960年代後半から1970年代にかけて大きく発展し、全国展開を進めた。中には赤羽店(東京都)や津田沼店(千葉県)などのように、西友ストア(現・西友)などの既存店と衝突し、苛烈な価格競争といった「戦争」を引き起こしたこともあった。
小売業に関しては、創業以来一貫して「価格破壊」をスローガンとする拡張路線を進めてきた。ダイエー・松下戦争の影響で松下電器(現・パナソニック)製品の納入が停止した事を受けて、1970年にカラーテレビの価格が10万円前後であった時期に、クラウン(当時存在していた電機メーカー)を巻き込み5万円台で発売するなど話題を集めた。価格破壊とともに質への需要などニーズが多様化すると、「ダイエー」のほかに「トポス」「ビッグ・エー」「Dマート」「グルメシティ」「Kou's」「プランタン」など業態ブランドを拡大化し多様化する消費者ニーズに応えながらも流通革命により価格破壊を志向する「よい品をどんどん安く (GOOD QUALITY BEST PRICE)」「お客様のために (For the Customers)」の方針で事業が進められてきた(一時はグループ企業が300社あり、大阪国際女子マラソンなどでグループ各社の一覧が流れる企業CMも存在した)。
1980年代には「ふれあいさわやかダイエー」というイメージソングがあり、テレビCMで多用され、メインの店内BGMでも使用されていた。しかし、メインの店内BGMは1989年度に福岡ダイエーホークスが本格的に始動した際に、その球団公式応援歌である「いざゆけ若鷹軍団」に取って代わられ、以後は使用頻度が激減した。球団が身売りして消滅となった2005年度以降は、メインの店内BGMを「表参道」に変更した。
小売業以外にもホテル、大学、プロ野球、出版、金融など事業分野の多角化に乗り出し、特に、創業者の故郷である神戸市内と所属球団福岡ダイエーホークスの本拠地に定めた福岡市内で、グループ子会社とともに事業を数多く手がけた。
1980年代には業績悪化が起きていたが、中内は若手を抜擢したV革作戦によりV字回復させた。しかし、中内と若手が対立するようになり再び中内の個人商店化が進んでしまい、バブル時代になると、いきすぎた拡大路線に陥る。
バブルが崩壊し、低成長期が始まった1990年代後半から業績悪化が表面化。このような局面にあっても、基本的にダイエーは不採算店舗を閉店させない方針をとっており、1995年の阪神・淡路大震災による創業以来初の赤字決算の際に緊急措置として店舗の閉店をとった例外を除けば、原則店舗を閉店させることはなかった。しかし1997年2月にも再度の赤字決算となり収益改善が急務となる。その結果これまでの方針を転換し、1998年から同社初の店舗の大量閉鎖に踏み切り、さらに収益向上のために100店舗では改装費用では最高額となる400億円を投じて改装を行った。しかしこのような様々な改革も功を奏することはなく、ダイエーの赤字決算は続いた。さらには、大規模な出店攻勢をした後の不採算店の閉鎖を行ったこともあり、テナントとして入っていたビルが空き店舗になったままで、同じくテナントとして入っている別の店舗の売り上げが急激に落ちたり、商店街の集客力がなくなったりと、いわば閉鎖の余波とも捉えられる問題が少なからず起きるなど、社会的な影響は甚大だった。
結果として、ダイエーの経営再建を果たせなかった創業者の中内は、経営責任を取って、2001年にダイエーの会長からの退任を余儀なくされた。後任として、経済産業省出身の雨貝二郎会長と、元ダイエー役員で、ダイエーの子会社であったリクルートの再建に成功した高木邦夫社長にダイエーの再建が託されることとなり、ダイエーは産業再生法の適用を受けながら、主力行からの金融支援を仰ぐとともに、店舗・人員の大幅なリストラを推し進めた。
しかし、それでもなお、本業である小売業の業績は一向に改善せず、食料品こそ盤石なものの家電・家具・衣類などはロードサイド系専門小売業やショッピングモールの影響を受けて下落。次第に自主再建路線にこだわるダイエー側と、金融再生プログラムにより、2005年までに不良債権比率の半減の目標を課せられた主力行側との対立が目立つようになる。2004年に入ると、主力行は、国の特殊会社である産業再生機構の活用を求めるようになり、自主再建にこだわるダイエーはなおもその主張を拒み続けたが、2004年10月、主力行3行から、産業再生機構の利用を行わなければ、これ以上の金融支援を打ち切るとの通告を受け、ダイエーは産業再生機構に支援を仰ぐことを決断した。
支援に入った産業再生機構は、ダイエーの大口取引業者であった丸紅をスポンサーに選定し、非主力事業の譲渡やコア事業である小売部門の縮小などの再建策を実施。さらに、産業再生機構が出資を引き上げたあとの2007年には、流通大手のイオンが丸紅からダイエー株の一部譲渡を受け、丸紅とともにダイエー再建に携わることとなった。このような再建策により、ダイエーの経営破綻(倒産)は回避された。
経営不振後は日本経済盛衰の象徴として語られることもあるが、高度経済成長下の時代においては、(一部メーカーとの軋轢はあったが)新しい業態を開発し、流通業界を牽引する役割を果たしていた。また、流通革命や価格破壊の結果、これまでメーカーが握っていた価格決定権を小売業者に移行したこともあり、これらが無ければ1990年代後半から小売業の主役になっているコンビニエンスストアを始め、ディスカウントストアや家電量販店、ドラッグストアなどの安売り店は日本に存在しなかったとする識者もいる。
しかし丸紅とイオンの2社主導による再建策が大きな成果を出せぬまま2008年にリーマン・ショックが起こって景気が悪化局面に陥ると、ダイエーは2009年2月期から連続で最終赤字を計上し続けるなど再び経営が悪化する。こうした状況を受けイオンは段階的にダイエーへの追加出資を実施し、ダイエーへの経営関与を強める動きに出た。さらに2013年にはダイエー株の株式公開買付けを行い、ダイエーを完全子会社化することを発表。事実上の筆頭株主であった丸紅はこの買付けに対し約24%のダイエー株を応募することでイオンと合意、ダイエーも子会社化に同意しイオンと丸紅の間の資本提携契約は解消された。
親会社となったイオンは、重複する事業の再編を継続して進める。こうした中、2014年5月28日に行われた同社株主総会の席上で、イオン社長の岡田元也は、「ダイエーの事業を関東と関西のグルメシティに特化し、それ以外の地域についてはイオングループとの統合再編を進める」との方針を示した。既に伊豆地区のダイエー系店舗の一部がイオン系のマックスバリュ東海(旧ヤオハン)へ事業譲渡され、マックスバリュへ転換(一部店舗はマックスバリュを経てディスカウントストアのザ・ビッグへ再転換の後イオンビッグに再移管)されている。
ダイエーはイオングループ入りに際し、北海道、東海、九州の店舗を、イオンの地域子会社へ移管の上で店舗網を抜本的に見直している。
しかし、イオンの連結子会社となって以後のダイエーの経営環境の改善が一向に進まず、2014年2月期決算でも税引き後の赤字決算 であることから、さらなる抜本的な経営改革をする必要があるとして、イオンは現在株式の44%を保有するダイエーを2015年1月1日付をもって、株式交換方式(ダイエーの1株に対し、イオン株0.115株を交換に充てる) により完全子会社化することを発表。
これに伴い、東京証券取引所第1部に上場していたダイエーの株式を2014年12月26日付けをもって上場廃止にするほか、岡田は、「ダイエーの法人格はそのまま残すが、2018年(平成30年)をめどにダイエーの屋号(店舗ブランド)をなくす」とする方針を示し、その準備段階として、北海道、東北、東海、九州のダイエーの店舗をイオンなどの同グループ内の店舗ブランドに転換し、ダイエーのブランドは発祥地である近畿地方と首都圏(関東南部)に事業を集約し、かつ食品スーパー (SSP) 事業に特化。京阪神のダイエーグループの他ブランド名のスーパーなどやイオン系の食品スーパー担当子会社 も順次ダイエーに統合。2014年時点ではこれらの地域でも2018年度までにイオンフードスタイル(仮称)などのイオングループの別のブランドへの転換を進めるとしていた。
ところがその後、2017年に方針転換を発表、関西・関東地区でのダイエーの知名度を勘案し、2019年度までに「グルメシティ」ブランドを廃止して「ダイエー」に集約、「マックスバリュ」等イオン系SMとの店舗・ブランドの再構築を図る予定となった。そして、2018年(平成30年)10月10日にイオンが各地域でのスーパーマーケット事業の経営統合に関する基本合意書が締結されたことが発表され、その中でダイエーは2019年(平成31年)3月1日付で山陽マルナカから大阪府・兵庫県・奈良県内の14店舗の運営を承継した後、2020年3月1日付で光洋を吸収合併する方法によって近畿エリアのスーパーマーケット事業における経営統合を進める予定である事が示された。2019年(平成31年)3月1日付で山陽マルナカから大阪府・兵庫県・奈良県内の「マルナカ」14店舗の運営を継承し、「マルナカ」ブランドも展開するようになった。2021年12月1日付で全店舗を「ダイエー」ブランドに転換した。
2020年(令和2年)3月1日付で光洋を株式交換により完全子会社化した。
2016年からは、イオンフードスタイルとして展開する食品スーパーに「ÆON FOOD STYLE」又は「ÆON FOOD STYLE by daiei」のロゴを掲出している。詳細はイオン (店舗ブランド)#新店舗分類を参照。
後に、ダイエーは今後の出店で屋号として、イオンフードスタイルとダイエーを使い分けていく方針を発表した。商業施設内など広域からの集客を見込めるケースはイオンフードスタイルとし、足元商圏を中心とする場合はダイエー屋号を選択する。この方針に基づき2022年4月1日、ダイエー住ノ江駅前店(大阪市住之江区、2017年10月開業)以来、約4年半ぶりにダイエー豊洲店を開業した。2022年10月22日にはダイエー寝屋川中神田店を開業した。
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ダイエーは多くのプライベートブランドを有していたが、出典がある一部のみを挙げる。
などに使われていたが、現在使用されているかどうかは不明。1998年(平成10年)、ダイエーがエーエム・ピーエム・ジャパン(コンビニエンスストア運営、法人自体は2010年にファミリーマートに吸収合併され解散)などに対し、「自社の商標に似た商標を使用している」として、商標の使用差し止めと損害賠償を求め提訴したことがある。
登記上の本店は神戸のポートアイランド(神戸市中央区港島中町四丁目1番1)に、本社は東京・東陽町の東陽町駅前ビル(東京都江東区東陽二丁目2番20号)に置かれている。
かつてはダイエーグループ本社ビル(大阪府吹田市豊津町9番1号の旧江坂東洋ビル、現ビーロット江坂ビル)が存在した他、東京事務所が東京・浜松町の芝パークビル(東京都港区芝公園2丁目4−1)に置かれていた。大阪・江坂の事務所は江坂オフィスセンター(EOC)、東京・浜松町は浜松町オフィスセンター(HOC)という名称であった。後に、江坂はローソン本社や一部の事業を除き本社機能を浜松町と神戸へ集約。浜松町も家賃抑制の関係でダイエー成増店へ本社機能を一時移転した。EOC、HOC共に入居しているビルや周辺には自社・系列の店舗を入居させていた(芝パークビルの1階には店舗「NOW芝公園店」が存在した)。
創業満30周年を迎えた1987年に滋賀県近江八幡市のダイエー近江八幡店へ進出したことでスーパー業界初のほぼ全国制覇(島根県を除く)を実現したが、2016年3月時点では北海道、東北地方、中部地方、中国地方、四国地方、九州地方、沖縄県からは撤退している。グループ会社とした百貨店の中合(福島市)も全店を閉鎖して清算予定である。
かつては創業地の千林商店街に近い大阪市都島区の京橋店、西宮市の甲子園店、横浜市の東戸塚店、浦安市の新浦安店、目黒区の碑文谷店、福岡市のショッパーズ福岡店を旗艦店としていたが、ショッパーズ福岡店は2015年9月1日にイオン九州へ、その他の5店も2016年3月1日にイオンリテールへ承継された。
現在はイオングループのスーパーマーケット事業の中核企業として首都圏及び近畿地方に店舗を展開している。
2022年3月末時点で202店舗を展開している。
(矢印右側は事業譲受先)
2004年(平成16年)2月1日付でクリムゾングループ(楽天グループ)へ営業権を譲渡した。
(後にシティグループ傘下、現・CFJ。2008年事実上事業停止)
この他、トヨタビスタ兵庫(現・ネッツトヨタウエスト兵庫)の親会社だった時期があった。
2018年(平成30年)4月1日からはイオングループ共通のPOSシステムを使用している。2018年(平成30年)3月31日まで使用されたダイエー独自としては最後のPOSシステムは、2006年4月から2007年3月までに導入された(引き続き、グルメシティ地域子会社に同じシステムの導入が進められていた)。Linuxをベースに独自のシステムを東芝テックが開発。POSレジ端末は従来同様に東芝テック製の、最新機種2機種が採用された(食品レジはM-7000、他の売場はST-700。なお、旧レジ端末はどの売場もM-6220で、UNIXベースのシステムであった)。売上管理の全店リアルタイムオンライン化、ジャーナルの電子化、端末操作の改善ならびに処理の高速化、見切り値引商品の管理改善(無線携帯端末を導入し、個別のPOSコードを付与した値引きラベルを売場にて発行する手法)などが実現していた。
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